「心の用事なし」-6

「自己意識内容」を観察し概念化し、事実から離れた「言葉」に置き換えられた「概念化された心」を相手にして、「良し悪し」をつけ、「良い」方残して「悪い」方を改善しようとしない。
「非合理な心意識」を実体と認識し、「合理的な知的工夫」を加えて制御・排除しようとして、
「心」に注文・命令・批判するような「心の用事」をするから「葛藤」し「苦悩」するのです。
そこで「心の用事」を止めようとしますとそれ自体が「心の用事」になります。
結果として止むのが良いのです。
それでは結果「止める手段」として「外向き生活」すると、それも「心の用事」になります。
単に「生活」上急がれることに動かされていくだけです。
合掌低頭







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.15 2017 あるがまま・如如 comment2 trackback0

「正受不受」-2

「心」に「良し悪し」つけて「悪い」と決めたものを離そうとすると、結果、「距離」ができて
「問題」になります。根本的に解決しないのです。
「不安」の時は「不安」そのまま「生活」。
「不安」のまま、「不安」がないのです。
「安心」の時も同様。
「脱同一化」という、「心意識」と「自分」とに二分して離そうとする「修行・療法」があります。
「観念」の中で「ない」ものを認めて、離そうと「作り事」することは「事実」から脱線です。
そうでなく、
そのまま、「縁」のまま、「同一」のまま(ない)のです。
「考え」ると難しくなりますが、実際に「体験」すると頷けます。
合掌低頭








.08 2017 あるがまま・如如 comment0 trackback0

「正受不受」

「神経症」の「心の問題」は、手をつけなければ現われては消えていきます。
「意識内容」を観察し、概念化し、自ら問うことで問題化され、自らを苦しめます。
多くの療法が、すでに過ぎ去った「意識(内容)」を「認識」し「言葉」に置き換えて、
「良し悪し」つけて、「自分」にとって「邪魔なもの」は削除しようと「虚構」の中で作業します。
「心」を概念化しその「概念」相手にした、実際から脱線した、「療法」をおすすめしません。
「作りごと」の中で「削除」しようとするのでなく、「そのまま・ない」のです。
合掌低頭







.01 2017 あるがまま・如如 comment0 trackback0

「習学」には非ず

多くが、実体のない「自分」中心で、「自分」「心意識」を「主題」にして「習学・修練」します。
「観念」上の「理想的な自分」「理想的な心意識」の「あり様」に向けて「努力」することで、「非合理領域」に「知性」を用いても奏効しないだけでなく、二つに分けられ「迷苦」します。
そのように続く限り、どこまでいっても「主観的虚構」内の「自分」対「自分」に終始します。
「主題」は「自分」「心意識」ではありません。
「生活上の行動・活動」という実際だけです。
合掌低頭







.24 2017 他の療法との違い comment8 trackback0

「千聖不伝」

新たに伝え教えられるものはないのです。
「心(心意識)」について「学習」することは何もないのです。
すでに伝わってあるままを承当する。
あるままを承当するとは、意識せず手をつけないことです。
「神経症的」の時は「神経症的」のまま。
「不安」の時は「不安」のまま。
「安心」の時は「安心」のまま。
「その時その場その状況」がそのまま「道」。
「その時その場その状況」以外を求めないのです。
単に「生活上の必要」にうながされるのみです。
合掌低頭






.17 2017 あるがまま・如如 comment2 trackback0
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