「カンフー(工夫)」-2

前回の続きです。どういうことかと言いますと、「自分」を「相手」にすることが止んだんです。その時その場の活動時、「自分対自分の虚構の戦い」はあるまま「作用」しないのです。
「工夫」は、「工夫」を忘れて「実行」することです。
「三聖病院」があった頃、「食事の時間」には「直日さんの木版」が鳴って知らされたと記憶しています。「ある日」、「食堂」に「修養生」さんほとんどが「席」に着いたにもかかわらず、
ただ一人「入り口」で立ち止まって動かない方がおられました。後で分かったことですが、
「自分対自分」の「葛藤の極致」だったようで、「身動き」できなくなったのです。
「自分対自分」の時は「自分対自分」のまま。「自分対自分」を「相手」にせず邪魔にせず。
(「相手にせず邪魔にせず」をしようとするのではありません)
ただ、「前進」(即、結果、そのまま)。「指一本」でも「動けるところ動かす」。
「どんな状態」もそのままぶっつけ「生活」。
そのように分かったら、「分かった」を忘れて「状況」にうながされ「実行」です。
合掌低頭






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.09 2017 あるがまま・如如 comment0 trackback0

「事実唯真」-4

「どうして治らないんだろうか」
「これだけ外向き生活してるのに治らないじゃないか」
にひとつにありきる時、そのまま「外向き」生活する時、
「治そうとする自分」が知らずになくなってしまうのです。
「ある」と思っていた「治すべき対象」もなかったのです。
「神経症のカルテ」上「全治」と仮に呼ばれるものははじめから何もなかったのです。
「観念素材のロープ」で「自縄自縛」していただけだったのです。
それはそれとして・・・、
ただ、
「生活上必要な実行」だけです。
合掌低頭







.25 2017 あるがまま・如如 comment0 trackback0

「事実唯真」-3

「どうしたらいいんでしょうか」が続くうちは、「自分」対「自分」の無駄な「努力」になります。
「こちら」から「自分」を用いて手をつけようとする「手段」「方法」が尽きれば、
「観念内容が実際であると錯覚する世界」に「脱線」せず、
知らずにピタッと事実にあるのです。
合掌低頭







.11 2017 あるがまま・如如 comment2 trackback0

「事実唯真」-2

「こういうこと(神経症の症状)で困っています。どうしたらいいんでしょうか。」
「何でもないことだよ。」(鈴木大拙)
「何」ということ以前のそのまま。
そのままに「問題」は成り立たないのです。
合掌低頭







.28 2017 あるがまま・如如 comment6 trackback0

「忍辱」

我慢することではありません。
「これが私」を用いず、出てきた事実そのままに行ずる消息です。
「そんなこと分かってるけど、できなくて苦しんでるんです。」の思いのまま、
「そんなこと分かってるけど、できなくて苦しんでるんです。」を言わず、
ばれないように隠して、必要な「仕事」にもよおされるのです。
「こんなに苦しんでるのに、このブログは癒しがない。」の思いのまま、
「こんなに苦しんでるのに、このブログは癒しがない。」を言わず、
ばれないように隠して、必要な「活動」にまかせるのです。
合掌低頭






.21 2017 あるがまま・如如 comment0 trackback0
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