「忍辱」

我慢することではありません。
「これが私」を用いず、出てきた事実そのままに行ずる消息です。
「そんなこと分かってるけど、できなくて苦しんでるんです。」の思いのまま、
「そんなこと分かってるけど、できなくて苦しんでるんです。」を言わず、
ばれないように隠して、必要な「仕事」にもよおされるのです。
「こんなに苦しんでるのに、このブログは癒しがない。」の思いのまま、
「こんなに苦しんでるのに、このブログは癒しがない。」を言わず、
ばれないように隠して、必要な「活動」にまかせるのです。
合掌低頭






スポンサーサイト
.21 2017 あるがまま・如如 comment0 trackback0

「恐怖突入」-3

三聖病院を退院された方で介護職の方がおられた。三省会で話を伺った。
お仕事は主に食事・排せつ・入浴介助。入院前、この方は不潔恐怖で便所掃除があることから何年も入院をためらっておられた。結局入院されたが、第3期の便所掃除の当番を言い渡されると腹痛を理由に逃げ回ったそうだ。ある日、人数が足りないということで、駆り出され、しかたなく、言われるとおり、恐々、向かった。それが、面白い事に、退院する頃には便所掃除の工夫が楽しくなり、なんと毎日志願して便所掃除をしたそうだ。介護の仕事では糞尿に触れることもあり以前の自分から想像もつかないと言われた。
その話を聞いておられた人が「勇気だして恐怖突入したのがよかったんですか。」と聞くと、
「いや、勇気どころか、とにかく、もう一人の掃除当番の人にやり方教えてもらうため便所につられて入ったんです。そこからです。」と言っておられた。
そういうことです。
合掌低頭






.23 2017 あるがまま・如如 comment0 trackback0

「同時成道」

「私は治ったけどあなたは治ってない」という方がおられますが、そうじゃないですね。
すでに治るでもなく治らないでもないところで生活していながら、「言葉と文法」という素材で組み立てた「考え」を上乗せして「神経症という問題」を自ら作り出しているのです。
その「見解」「これが私」を用いることが止む時、「自分」で「自分」をなんとかしようが止まり、もとの何でもない事実生活にもどるというだけです。すでに「もとから、そうだった」のです。
なんとかしようとする「自分」となんとかされる「自分」がひとつになりなくなるのです。
すでに「もとから、そうだった」のです。
合掌低頭






.10 2017 あるがまま・如如 comment0 trackback0

「案ずるまま産むが易し」

「案ずるより」という比較なしに、「案ずる」時は「案ずる」まま。
事実は、「考え」と別ものです。
「案ずる」ままにありきる時、「案ずる」なし。
このような話をいくら理解しても無駄です。
「考えによる生活」でなく、「事実による生活」の「必要」にうながされるのです。
合掌低頭






.13 2017 あるがまま・如如 comment0 trackback0

「カンフー」

以前、米TVで「カンフー」というタイトル、デイヴィッドキャラダイン主演、孤児として少林寺で育てられ修行した僧が米国に帰って兄を捜し旅をするという番組がありました。旅の途中、僧はチベットの魔術使いに戦いを挑まれました。魔術使いは僧と同じ者を現わし、僧と戦わせました。僧は、同じ力量の自分と戦うので決着がつかないで消耗するだけでした。すると、回想場面になり修行中の師匠との問答がフラッシュバックされました。その後、僧の戦い方は変わったのです。よく覚えていませんが、視聴者によく分かるような説明もないうちに、相手方は消え、魔術師も退散したという内容でした。
・・・同じ力量の自分と戦うので決着がつかないところ「神経症」に似ていますが、「神経症」にたとえると、なぜいきなり消えたんでしょう。
合掌低頭






.09 2017 あるがまま・如如 comment0 trackback0
 HOME 

最新記事

最新コメント

カテゴリ

カレンダー

04 | 2017/05 | 06
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -

リンク

月別アーカイブ

最新トラックバック

検索フォーム

RSSリンクの表示

QRコード

QR

カウンター