「隻手の音聲」-2

「神経症という現状公案」もひとつに同化そのまま、
「答え」を出す前に、
「生活上の必要」にもよおされるのです。
合掌低頭







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.18 2018 あるがまま・如如 comment0 trackback0

「神経症」について

DSM分類ではなく、あえて「神経症」という旧名を使用します。
「神経症」は病名らしい名称ですが、他の「精神病」と違い、「病気」ではありません。
「精神の病気」と認識して治そうとするから成り立つのです。
実質、「とらわれ」に過ぎません。
心理テスト上、「精神状態」は「正常」です。ですから、無理をしてかまいません。
「自分の状態」が「異常」なものと感じられた時、「精神の病気の症状」として「認識」して、
治そうとするところから「神経症的な苦悩」が始まります。
「治されるべき自分」対「治そうとする自分」の「葛藤」が「神経症の苦悩の本体」です。
「神経症の自分だ」と認識し概念化するから、「葛藤」し、「自分」で「自分」を苦しめます。
特筆すべきは、「病識」があり、「葛藤」があることです。
それは、「精神の病気」ではなく、「正常」であるから成り立つのです。
「とらわれ」をとらわれないようにしようとして、かえって、それでとらわれているのです。
「自分」を「認識」し相手して、「心」に用事すれば、好きなだけ、苦しむことも可能です。
「生活」上の「努力」が、「心」に用事し治そうとすることに向けられ「自縄自縛」するのです。
「結果」として治そうとすることが止めば、一気に「劇的な回復」が起こります。
他の「精神病」の「段階的な回復」ではあり得ないことで「病気でない一つの証し」です。
「結果」として「知らずに」「意識せずに」治そうとすることが止む時とは、いつか?
それは、「生活上の必要」にもよおされる時です。
合掌低頭







.11 2018 あるがまま・如如 comment9 trackback0

「概念化の矛盾」-2

「悩み」は概念化より起こるのです。
「概念」という「道具」を使う場合には、
「自分」「心」ではなく「外」向きに使い、
「生活上の必要」にもよおされるのです。
合掌低頭






.04 2018 あるがまま・如如 comment6 trackback0

「うわべの行動」

「生活」に必要だが、どうも「やる気」がおきない時は、
「ウソ」でも、「フリ」だけでも、「演技」でも、「行動手続き」をとるのです。
「事実」からすると、うわべだけの「行動」でも「行動」です。
「行動」だけが反映するのです。
そして、「行動=心」です。
「生活上の必要」にもよおされるのです。
合掌低頭






.28 2018 あるがまま・如如 comment0 trackback0

「無事」-2

「気になる事」がある時、「我慢」でも「無視」でもない。
「我慢」や「無視」は「対象」を認め相手する事になります。
そのままです。
単に、「生活上の必要」にもよおされるのです。
合掌低頭






.21 2018 あるがまま・如如 comment19 trackback0
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