「隻手の音聲」

清流に手を入れると白濁するという白隠禅師の例えを先生は親切と言われた如く、
「神経症という現状公案」もそのまま、
「生活上の必要」にもよおされるのです。
合掌低頭






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.07 2018 他の療法との違い comment1 trackback0

「概念化の矛盾」

「苦悩」は、「概念」=事実そのものと錯覚することより起こります。
「治った・治らない自分」と概念化し「心の用事」が始まる以前、
「生活上の必要」にもよおされるのです。
合掌低頭






.31 2017 他の療法との違い comment0 trackback0

「分かる」と「治る」は別-2

「森田理論学習会」では、「人間観」など「認知の修正」により「治る」と言われるようです。
「知性」は「外」に「有効な道具」ですが、「概念化された自分」は「迷いの根源」となります。
「・・・という事(かと分かる)」に、とどまる・腰をかけると「脱線」です。
繰り返しますが、このブログに騙されないようにご注意ください。
「分かった事」を「考えた自分」に向けて応用し・やりくりなさらないように。
「記事」は「分かる形」で表現されていますが、「分かる事」を離れていただく「趣旨」です。
「分かる」以前に、すでに、このとおりの「全治」の場に立っているのです。
それは、「分かる事」が先に立つと見えないのです。
単に、いきなり、ぶっつけ、「生活上の必要」にもよおされるのです。
合掌低頭






.24 2017 他の療法との違い comment0 trackback0

「事実唯真」-7

「神経症になることもでき、治ることもできる」とは玄雄先生の言葉です。
「私」によってなされるのではなく、「因」と「縁」で現われ消えていくのです。
「神経症」の時は「神経症」が「真実に生きる姿」です。
「治り」の時は「治り」が「真実に生きる姿」です。
「今の状態」が「道」です。
「生活上の必要」あれば、単に、動かされるのです。
合掌低頭






.17 2017 他の療法との違い comment0 trackback0

「何にでもないもの」

以前、「フランス」から「精神科医」が20名ほど「三聖病院」に見学に来られた。帰りがけに、「何にでもないもの」と書かれた「三聖病院の壁」に飾ってあった「色紙」を持ち帰られた。
「私たち」が「問題」にする「これが自分」の「自分」は何だと決められないということです。
その後、「三聖病院」のインテーク担当の当時「仏教系大学の先生」が、会合で「フランス」に行って、ついでに「精神科医」らと再会した時、その「色紙」がさかさまに「壁」にあったのを見て、それは違うと正してきたという事です。
しかしながら、「宇佐療法の趣旨」から言うと、むしろ、さかさまの方が良かったのです。

「自分」を認め観察し「神経症の自分」と概念化なければ、「神経症」は成立しないのです。
「場」「時」「状況」に応じた生活活動時、おのずと、「これが自分」は立ち消えするのです。
「意識」は同時に二つに向かないからです。
ただ、「生活上の必要」にもよおされるのです。
合掌低頭







.10 2017 他の療法との違い comment2 trackback0
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