「習学」には非ず

多くが、実体のない「自分」中心で、「自分」「心意識」を「主題」にして「習学・修練」します。
「観念」上の「理想的な自分」「理想的な心意識」の「あり様」に向けて「努力」することで、「非合理領域」に「知性」を用いても奏効しないだけでなく、二つに分けられ「迷苦」します。
そのように続く限り、どこまでいっても「主観的虚構」内の「自分」対「自分」に終始します。
「主題」は「自分」「心意識」ではありません。
「生活上の行動・活動」という実際だけです。
合掌低頭







スポンサーサイト
.24 2017 他の療法との違い comment8 trackback0

「神経症の全治」ー4

「全治は、三原則とでも言いますか、実証しない、根拠持たない、保証されないのです。」
宇佐先生の「言葉」です。
「知らなさ、分からなさ、決められなさ」です。
証される「全治」、証する「自分」はないのです。
「全治」に実体なく、「分かる」対象でなく「分かる」ことで成立しません。
「治る」「治らない」「神経症の自分」「健常な自分」という「概念」に置き換える以前の、
「生活上の必要に動かされる姿」において「全治」するのです。
合掌低頭






.28 2017 他の療法との違い comment0 trackback0

「心の用事なし」-5

世界の「精神療法」で唯一、「自分」「心意識」を観察しない用事しない「療法」です。
繰り返しますが、「心の用事なし」の実際は「外向きの生活活動」です。
「外向きの生活活動をすればよいのだ」と「分かったこと」を「自分」に応用し取り扱わない。
「取り扱っている」と気がついたら、そのまま手をつけない「単に外向きの生活活動」です。
この「瞬間」この「瞬間」始まり終わるのです。
『「単に外向きの生活活動」ということも忘れて「単に外向きの生活活動」ですよ』と聞いて、「忘れること」ができない時は「忘れること」ができないまま「単に外向きの生活活動」です。
この「記事」に留まるなら、「考えに翻弄される神経症の世界」」から一歩も出られません。
「生活上の急がれる必要」があれば、とりあえず「道具」を手に取るのです。
合掌低頭






.13 2017 他の療法との違い comment0 trackback0

「健康な状態」

「健康」という「言葉」を使えば、「神経症」であろうとなかろうと実は「健康」です。
「神経症」は「言葉」・「考え」で成り立つのであって、「本人の自己意識内」で増大した
実体のない「主観的な病感」です。
つまり、実際の「精神的な病気」「脳の故障」ではないのです。
ですから、一般的な「病気」のように「段階的治癒」とは別に、
「インスタントに治る(直る)こと」が起こるのです。
それは「自分」を「言葉」・「考え」で括る「余地」のない「生活上の急がれる必要」に
動かされる時です。
合掌低頭






.06 2017 他の療法との違い comment0 trackback0

「心の用事なし」-4

「心に掃除なし」「心に責任なし」「心は心の勝手たるべし」「心ほったらかし」「心に準備なし」「心に良し悪しなし」は「心の用事なし」の具体例です。
「心は決まったもの」として「認識」できない(不変の実体がない)ゆえに、「心は不可得」。
つかむことができない「心」に「用事」しようとしても実はできないのです。
例えば、「不安をあるがままにしてという作業」、「怒りを抱きしめてあげるという作業」等は、「虚構の中の作業」にほかならないのです。(そういう「療法」があり、「副作用」を伴うことがありますが、それで「満足いく方はそれでよい」というほかありません)
「心の用事なしの実際」は「外向きの生活活動」です。
「外向き」というだけ「生活活動」というだけ実は「余計」なのです。
ですから、「単に外向きの生活活動」ということも忘れて「単に外向きの生活活動」です。
合掌低頭






.30 2017 他の療法との違い comment0 trackback0
 HOME 

最新記事

最新コメント

カテゴリ

カレンダー

09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

リンク

月別アーカイブ

最新トラックバック

検索フォーム

RSSリンクの表示

QRコード

QR

カウンター