「神経症の全治」ー3

「心の用事による気づき」においてでなく「実際生活上の必要に動かされる姿」
において「全治」するのです。
「立つものは立つ。坐るものは坐る。これで仏道の修行は終わり。」
良寛さんの「言葉」です。
「特別な事」でない「日常の営み」に徹するのです。
合掌低頭







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.21 2017 全治 comment12 trackback0

「神経症と職業」

神経症から離脱した後、仕事を探す方にとって、やりたいことが見つからない、見つかったが機会がないことで悩んでらっしゃるケースも多くあるようです。
やりたいことを先に掲げると職探しが難しくなることもあります。
求めらていることに応じて探していくと良いかもしれません。
合掌低頭






.16 2017 全治 comment0 trackback0

玄雄先生の体験

 ボーっとしてまったく勉強できなくなり、悩んでいたところ、精神科医に転地療法をすすめられ休養をとったがうまくいかなかった。その後、精神療法を知らない内科医が言うとおり、ノートを広げ勉強する格好し勉強した。気がつけば、それが「治り」だった。
 何かを学び取って、こうすれば、だんだんに、「治る」というものとは別ものです。
「学習」と関係なく、この時の「生活」上、いきなり、知らずに、「治る」のです。
 それは、「これが神経症の自分だ」という「考え」が組み立てられ治そうとできない時、
つまり、「外向きの活動」に徹していた時です。
合掌低頭




.01 2016 全治 comment10 trackback0

「分かって治ることはない」

「治り」が分からないことが本当です。
合掌低頭




.28 2016 全治 comment4 trackback0

「神経症」は「病気」ではない

「精神病」ではなく「とらわれ」です。
「外」に向かうその時、
「治そうとする目的」から知らずに離れ、分からずに「治る」のです。
合掌低頭




.29 2016 全治 comment2 trackback0
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