「絶学」

多くが、「自分」を実体と認め、「理想的自分」という結果を将来に求めて、段階的に「療法」の「学習」「訓練」を積むことで、「理想的でない自分」との「距離」を縮めようとします。
そうやっている間は、「神経症」が「療法」という名称に変わっただけですから、依然として「自分」対「自分」の努力のまま、「神経症世界」から一歩も脱することができないのです。
合掌低頭







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.30 2013 あるがまま・如如 comment0 trackback0

「神経症の全治」

「全治」というのはカルテ上の表現です。「神経症」は、「機能的障害」であり、他の「精神病」のような「器質的障害」ではありません。平たく言うと「病気」ではなく、「病態」です。
「病気」に違いないと思い込み、治そうと熱心に努力したことで「苦悩」が生じます。
「全治」は、治そうとすることが止んだ時、つまり、「外向き」の実生活中に現前します。
合掌低頭







.29 2013 全治 comment2 trackback0

自己観察しない・自己概念化しない

「精神療法」が300以上あると言われますが、「自己」観察しない「自己」概念化しない療法(不問療法)は、「森田療法」の元のバージョンを引き継ぐ「宇佐療法」だけです。
そう言われると、「自己」観察してないだろうかと、チェックすることもあるかもしれません。
もしそうなら、そういう「心の作業」から離れてください。
実際には、「環境状況」と一如に動かされておるまま生活です。
合掌低頭







.23 2013 他の療法との違い comment8 trackback0

分かったら、、

分かったら、その分かったことから離れてください。
その分かった「考え」でもって、「自分」を取り扱うことのないように。
実生活、はたらきそのものにある時、おのずと、「神経症」から知らずに離れてあります。
合掌低頭





.22 2013 注意すること comment0 trackback0

「分かること」は「治り」とは別

このような、ブログ上では、「言葉」・「概念」を「媒介」としてやりとりすることになります。
そして、「自分」を観察・概念化し、「内面の作業」に進んで治そうとされるかもしれません。
そのように、「自分」「心意識」を実体として認め、「心の用事」が加速すると、面白くない。
「治り」とは、「意識内容」に関わらず・そのまま、実生活するそれ自体です。
その時、治った(「心の用事」がやんだ)かどうか分からないのです。
合掌低頭






.16 2013 注意すること comment0 trackback0

「全治」の誤解-2

不安という状態が出てこなくなる事が「治り」ではありません。
不安の状態の時は不安の状態であることが、苦しい状態の時は苦しい状態であることが「全治の中味」です。
合掌低頭








.16 2013 全治 comment4 trackback0

宇佐療法という名称について

森田正馬先生が、「神経症」の「苦悩」の解決に創めた「療法」が「森田療法」です。
残念なことに、現在の国内・海外に広まっている「森田療法」は、名称だけは同じであるものの、元の「森田療法」(森田原法)とは趣を異にしております。
森田の弟子で禅僧で医学博士・宇佐玄雄先生と医学博士・宇佐晋一先生が、オリジナルバージョンである原法を守り、さらに参究を加えました。それは、現在の「森田療法」と区別するため、「禅的森田療法」と呼ばれるようになりました。
しかし、「森田療法」を知らない方にとっては、ともに「森田療法」という名称が付きますので、中味は同様、違いは禅の話が多く出てくる方が「禅的森田療法」だろうと受け取られました。
つまり、元のバージョンではない現在広まっている「森田療法」と、元の「森田療法」を引き継いだ「禅的森田療法」の違いは、うまく伝わらなかったのです。
ところで、どこがオリジナルかといいますと、それは端的に、「不問」(「心意識」を問わない、認知しないこと)である点です。
そこで、近年、「療法の名称を宇佐療法にしてはどうか」ということが多くの入院経験者・関係者などから言われるようになりました。
そういう経緯をふまえ、このブログでも、「宇佐療法」という名称を使用させていただくことになりました。
合掌低頭






.16 2013 はじめに comment0 trackback0

他の療法との違い

多くの「療法」は「不安」だけを解決しようとします。
「宇佐療法」では、「不安・安心」ともに解決するんです。
「言葉」で言うと難しく聞こえるんですが、実際は簡単。
生活に動かされたらよろしいんです。
合掌低頭




.15 2013 他の療法との違い comment0 trackback0

注意すること

「これが自分だ」という「自分」は、「虚構」です。それを実物だと思い込んで「迷い」が生じるんです 。「自分」を認めるということは、常に変化してやまない、つかみどころがないところを、これだと言って断定して固定化してしまうことです。位置も形も流れる雲の一瞬を切り取った写真をとって、これがすべてだというようなものです。
祖師の祖録、本、ブログで、「よしわかった」と理解して、それを、「虚構」の「自分」に応用しようとするから事実から脱線するのです。「自分」で「自分」を取り扱うことになるからです。
ですから、理解したら、それはそれとして、、お忘れになって・・・、
生活上の必要に動かされていくのです。
合掌低頭







.09 2013 注意すること comment0 trackback0

ブログの開始にあたって


このブログは、宇佐晋一先生の入院・通院療法を体験された方、やろうとされている方に向けて、お役に立ちたいとエントリーしました。そして、宇佐先生の通院・入院療法を体験され回復された方の中には、療法の趣旨を恣意的に受け取られた方が、いらっしゃいます。その間違いをお知らせしたい所存です。

ご質問あれば、お受けします。
回答は数日かかることがあります。ご遠慮なくどうぞ。


どうぞよろしくお願いします。
合掌低頭


FC2ブログ・テンプレート作成者にこの場をお借りして感謝申し上げます。
ありがとうございます。
合掌低頭

.08 2013 はじめに comment1 trackback0
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