生活は生活なり

生活は生活なり。「私」という介在がありません。
合掌低頭



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.28 2014 あるがまま・如如 comment1 trackback0

「とらわれ」がないとは・・・

「今まではどう具合が悪かったのかというと、こわいものをこわくないようにしようとするという風に、治すというのは悪い状態の克服であったんですね。勝とうとすることだったですね。そういう事実でない状態、克服という気にならない状態にしていこうとする、事実に反する事柄を実現しようとした,それさへひっこめれば、もう事実があるだけでして、自分を変えようという余計なやりくりが実はいらないのです。もうその感情のまま大事な仕事や勉強をなさるその瞬間瞬間が、とらわれから離れた状態なんですね。自分を変えようと努力をするその事実に反する努力をする前に実際の生活に骨を折るということですね。
それが、ここで数十日皆さんに是が非でも体験していただこうとする課題、今晩の課題でもあるんです。
そうしますと、お望みの対人恐怖より離れるということより、もっと上等な何物にもとらわれない皆さん方がさっそくあらわれて、自分でも全く思ってみなかった自分、知らなかった自分、そういう知ることから離れた皆さん方が、さっそく、すべてのとらわれについて、知ることから離れて、事実に従い、ただその事実だけで、ご自分の問題は解決・処理というわざとらしい、やりくりが何もなされないままで、放置して十分満点なんです。」
(宇佐晋一講話より)

「とらわれ」のまま、前進する時、(結果として、知らずに)「とらわれ」がないんです。
合掌低頭




.20 2014 あるがまま・如如 comment19 trackback0

「自分らしさ」

現代の認知行動療法化した森田療法や多くの療法でいわれる、「自分らしさ」は虚構です。
「自分らしさ」を求めない。
合掌低頭



.13 2014 他の療法との違い comment9 trackback0

「苦しい」時

「苦しい」時ほど、純一になれるんです。「苦」の時は「苦」のまま、生活上、必要な事をひとつひとつもよおされていく。
「心」はそれはそれとして、できることをやっていくということがいわゆる「苦」と同一化、「苦」になりきるということです。
結果として、「苦」のままであれば、「苦」が「苦」でなくなってしまうのです。
「楽」も同様になくなってしまう。
「苦楽」超然、「苦楽」も同時に解決です(解決すべき「苦楽」はもとなし)。

合掌低頭




.06 2014 あるがまま・如如 comment10 trackback0
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