「不染汚」

宇佐玄雄先生は、「全治(の状態)は、治ることもでき(いわゆる普通の状態でもあることができ)、神経症になることもできる。」という趣旨のことをいわれたと聞いております。
この「身心」と仮に呼ぶ作用は、黒にあれば黒になり、白にあれば白になる、そういうニュートラルな「法」です。
そのようですから「これが私だ」と決めこむことができないのです。
合掌低頭




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.30 2015 全治 comment0 trackback0

「法に異法なし」(信心銘)

「神経症」というも「法」です。「全治」というも「法」です。
「縁」によってそのような「作用」があるのです。
「内向き」に作業するか「外向き」に作業するかの違いだけで、
(いつも申すように、実際に、「内」「外」ありませんが)
「神経症」と呼ばれる「作用」・「全治」と呼ばれる「作用」になるのです。
その「作用」は、「私」の介在のない、ニュ―トラルで同じ「はたらき」です。
それを、「私」の「煩悩(神経症)」とするから、どうにか改善しようとなって、
「自分」対「自分」の努力・「内向き」作業になるのです。
その場その時に相応。生活そのまま。
合掌低頭




.23 2015 あるがまま・如如 comment7 trackback0

「生かされる」?

「生かされる」という表現を、よくききますが、「生かされる自分」とつながると
面白くない。
「生かされるもの」も「生かすもの」もないのです。
「・・・の自分」と認めて、概念化しないことです。

合掌低頭




.16 2015 あるがまま・如如 comment4 trackback0

「マインドフルネス」と「宇佐療法」

企業の研修などで再び話題の「マインドフルネス」ですが、「森田原法・宇佐療法」と混同されておられる方が療法家・精神科医の中にもいらっしゃるようです。
(「森田原法」は「不問」を排除した現在の「森田療法」とは別ものです)
いろいろな目的で「マインドフルネス」のような「方便」も、もちろん、あってよろしく、いろいろな効果を上げていると聞きます。
さて、「神経症全治」としてはどうでしょうか。

「マインドフルネス」は、事実より「考え」を先に掲げて、「私」を認め、それを「ベース」に、「理想の私」を遠くにおいてそれに向かって、「訓練」「練習」「育てていく」ことをします。
虚構の「私」目的です。
なぜ訓練をするのかというと、「考え」の中で「理想ではない私」という「概念」でくくっているからです。
「私」を「対象」として認め、傍観視するもうひとりの「私」がつきまとう、いわゆる「二人連れ」になります。
したがって、「私」対「私」の「努力」・「葛藤」になり、「私」という「くくり」の中での「訓練」になります。「軽快」することはあっても、「神経症全治」としては、奏功しません。
例えば、「不安」ということでいえば、「不安」を「隔て」をもった「対象」として実体視し「不安」=☓、「安心」=〇という「考え」をかかげて、「不安」だけを解決しようとするから「安心」が残ってしまう。残った「安心」はまた「不安」を産み出すという「輪廻」から脱しえないのです。「不安」「安心」同時解決には至らないのです。

「宇佐療法」では、「不問療法」といわれるほどに、「心」に用事なし。
「私」「(私の)心」という、実体ある「対象」としての認識をもたないので、(「隔て」・「距離」をもって)観察、コントロールということがでてきません。
例えば、「ストレス」と仮に呼ばれることについて、固定化された実体ある「対象」としての認識をもたないので、数値化し、軽減しようと処理するようなことがでてきません。
「葛藤」「ストレス」に「隔て」をもち「対象」として認識し、処理するのでなく、「そのもの」にありきってあるまま、つまり、「実際状況」にいきなりの「実生活」( 用事する「心」なし・そのまま)です。
「考え」を事実より先に立て、「私」(「私」の)「心」を認め、その「考え」を持ちいて、その「私」を取り扱っていくようなことはしません。

「宇佐療法」=〇、その他=☓ということを言ってるんではないのです。
「宇佐療法」と仮に呼んでいるだけで、そういう実体もありませんし、「宇佐療法」を虚構の「私」目的の「手段」としたら、面白くないのです。

大事な事は、
考えた「私」「これが自分だ」中心にするのでなく、考えた「私」・「これが自分だ」の「ありかた」・「見解」を離れた事実に徹する生活です。

合掌低頭





.09 2015 他の療法との違い comment8 trackback0

「自己実現」

「世間」でいう「自己実現」は、「これが自分」「自分らしさ」という「虚構」に基づいています。
「このもの」をこれだとつかむことができないのに、「自分」として、不変の実体と認識し、
その「虚構」の「自分」をどうにかしようということです。
「自分」を目的にして、努力すればするほど「苦悩」するのは「皆さん」ご承知のとおりです。

合掌低頭




.02 2015 他の療法との違い comment0 trackback0
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