「喫茶去」

相談者が三聖病院診察室に入ると、先生が深くお辞儀されて迎えてくれ、椅子に坐ると間もなく、お茶が出された。
カウンセリング専門の京大の教授がかつて見学に来た時、「ここはダメだ」と言った。
お茶が出されることでカウンセリングの非日常性がこわされるからという理由からだった。
ところが、挨拶する。お茶が出される。御礼を言う。お茶をいただく。・・・という瞬間、
見事に「これが神経症の自分」対「治そうとする自分」から離れておるのです。
「全治」の現前は、そういう「日常の生活」です。
合掌低頭




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.26 2015 他の療法との違い comment0 trackback0

動詞だけ

動詞だけでよい。
「主語」(「これが私だ」の「私」)、「目的語」はいらない。「主語」(「これが私だ」の「私」)、「目的語」を不変の固定的な塊として認識するから、その認識した概念=事実として錯覚し振り回されるのです。
幸い、「日本語」は動詞だけで通じますね。素晴らしいです。
合掌低頭




.19 2015 他の療法との違い comment0 trackback0

「感情」を相手にしない

有名な禅僧が、「怒り」を処理するに、「怒り」を認識して、あやしていくと説教されていた。
「怒り」を処理する時は、その「怒り」自体は過ぎ去っておるので気づくことできるのです。
処理しているつもりの「怒り」は、概念化された「怒り」・「怒りという概念」です。
それは、「実物」ではないので、「怒り」に処理することは、「虚構」の中の作業になります。
「処理」という言葉を使えば、「感情」には「無処理の処理」です。
「心(心意識)」を「私」するから、それを相手して、「良し悪し」という「見解」を立て、
「虚構」の中で、「私」流に作りかえたくなるのです。
「心(心意識)」に「良し悪し」なし。
「良し悪し」する「心(心意識)」なし。
「心(心意識)」をつかむことはできないのです。
合掌低頭




.12 2015 他の療法との違い comment8 trackback0

「心」(心意識)が目的ではない

今日までに銀行でお金を振り込む目的がある時、現金を振り込む「手続き」さえなされればその目的は、済むのです。
「集中している、集中していない」・「やる気がない、やる気がある」・「不安だ、安心だ」というような、「心」(心意識)の状態に関わりがないのです。
必要な「行動」が実行されれば十分です。
そもそも、「心」(心意識)の状態を「問題」にしてどうこうしようとしても、その「心」(心意識)を「相手」にできないのです。
「眼」が「眼」を見ることができないように。
合掌低頭




.05 2015 他の療法との違い comment55 trackback0
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