「雑行をやめよ」(親鸞上人)

「これが私」を中心にして、「私」を持ち運んで、「行」をしてはダメですよということです。「私」という「わかったこと」から離れて、結果として、「わかったこと」以前の事実に動かされるのです。
合掌低頭





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.27 2015 他の療法との違い comment0 trackback0

お知らせ

皆さまのコメントにその週内に回答してまいりましたが、次週から約1カ月、回答・最新記事が遅れることがあるかもしれません。もし遅れた時はご了承くださいますようお願いします。不識




.20 2015 お知らせ comment0 trackback0

「わり切れない心 」

わり切ろうと努力することでなく 、一歩踏み出すこと。
整理がつかない形で整理がついておるんです。
単に、生活上に努力することです。
合掌低頭






.20 2015 あるがまま・如如 comment0 trackback0

お知らせ

長い間返事がない投稿に関して、次回からはコメントいたしません。どうぞよろしゅう。不識




.13 2015 お知らせ comment25 trackback0

「神経症」は、だんだん治ることはない

「現実を抜きにして、治る時はありませんので、そうであればこそ、森田先生も前の院長も、治った人としての生活をさっそく始めるようにと、こう言われたんですね。ですから、治すという段階を一挙に飛び越えるのです。だんだん治るという予測の下にいろいろ工夫された事柄は、全く脱線ということです。」 (宇佐先生講話より)
合掌低頭






.13 2015 他の療法との違い comment2 trackback0

「ただわが身をも心をも放ち忘れて、仏の家に投げ入れて」(道元禅師)

ただ、「分かったこと・知ること・決めこんでいること」を放ち忘れて、事実に没頭していく時、「私」を用いず、「心」をも費やさず、「解脱」です。
換言すると、「状況」にもよおされ「外向き」(実際「内」も「外」もありませんが)活動三昧=「分かったこと・知ること・決めこんでいること」は、結果的に、「私」を用いず、「心」をも費やさず、放ち忘れられるのです。
この記事のことは、お忘れになって、実行してください。
合掌低頭




.06 2015 道元禅師 comment0 trackback0
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