「事実」が先

「この療法の入院生活は、人間味ある優しさなど微塵もなく、TVで見た禅寺の厳しい修行と同様に違いない、果たして、勤まるのだろうか」と悲壮な思いで、入院される方がおられました。回復され、退院後の体験発表の時、当時を振り返って次のように話がありました。
「私は、事実より自分の思いを見ていた。」

「自分」が「自分」にだまされていたんです。「事実」を対象化し、その上に「自分の見方」を貼りつけた「名札」を「事実」としていたのです。
「自分の思い」=「事実」ではないのです。
こういうことは、いくら、話を聞かされても、体得しないと腑に落ちないのです。
合掌低頭




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.26 2015 あるがまま・如如 comment10 trackback0

「意識・無意識」

アンドロイド研究の大学教授が「意識」について語っておられた。その中で「意識」と「自我意識」を混同して話されてました。詳しくはお聞きしないとわかりませんが。
さて、言いたいことは、「意識」=「自我意識」では、必ずしもないということです。
大事な事は、「意識」の中に「自忘」することです。
「神経症治癒」サイトを拝見すると、「無意識」が「良し」、「意識」が「悪い」というものもあり、
さらに「無意識」=「仏性」で「意識」は「仏性」でない言いぐさのとんでもないものもあります。
「心意識」を実体化し観察し、「内」向きにさせるだけです。おすすめしません。
「本来」そんなことはできないのです。「眼」が「眼」を見ることができないように。
「意識・無意識」ともに「良し悪し」をつけようがない。
実際には、「事実」に動かされる「生活」です。
合掌低頭



.19 2015 他の療法との違い comment0 trackback0

「不自由の自由」

「不自由」の時、「不自由」のままで生活していてごらんなさい。
「不自由」がなくなることを体得します。同時に、自らに由るという、
そういう「自由」もなくなるでしょう。
合掌低頭




.11 2015 他の療法との違い comment4 trackback0

「心の支え」


支えようとする「心」をとっておくことができないのですから、支えようがないのです。
用事がなくていいでしょう。
合掌低頭




.04 2015 他の療法との違い comment0 trackback0
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