「神経症」は「病気」ではない

「精神病」ではなく「とらわれ」です。
「外」に向かうその時、
「治そうとする目的」から知らずに離れ、分からずに「治る」のです。
合掌低頭




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.29 2016 全治 comment2 trackback0

「分かること」と「治り」

「分かる=治り」、あるいは、「分かる」から「治る」という「治った方」の「意見」があります。
それらは、「間違い」です。
事実は「考え」より先なのです。
「分かること」と「治り」は別事です。
換言すると、
何も分からんでも治る。誤解していても治るのです。
合掌低頭




.22 2016 他の療法との違い comment0 trackback0

「喫茶去」-2

茶を立てる音がする。茶の湯気が立つ。お茶をどうぞ。ありがとうございます。いただきます。茶をいただく。茶の色見える。茶の温かさ甘味苦味。一つ一つのこと、「脱落」です。
合掌低頭





.15 2016 あるがまま・如如 comment3 trackback0

「外向き生活」

「外向き生活」というは、「こちら」という位置を認め、そこから、「動け動け」で、「外に向かう」ということではありません。
「こちら」から動こうとする(「自分」中心に動こうとする)と、「これが自分」を認め「自分」で「自分」に注文するので、摩擦が生じ、多くの労力で無理やり動かすことになるのです。
無理やり動かすので「難しい」となる。
「難しい」と概念化すると「難しい」という言葉にくくられ、さらに、「自分」を縛ります。
「考え」が先に立っていることに気づかないんです。
一方、事実が先、つまり、「自分」「外に向かう」「難しい」でくくられないこのとおりです。
「縁」にうちまかせてもよおされるのです。
合掌低頭




.08 2016 他の療法との違い comment12 trackback0

「至道無難 唯嫌揀擇」(信心銘)

「好き」「嫌い」を認識してその「標準」を掲げて
事を選択しないように心の作業することではありません。
「道」はすでにあるこのとおりです。
その「道」もない事実に徹するということです。
「好きだ」「嫌いだ」「難しい」「やさしい」と思いが出るのはかまわない。
しかし、「好きだ」「嫌いだ」「難しい」「やさしい」と主張しているうちは、
徹していないということです。
合掌低頭





.01 2016 あるがまま・如如 comment3 trackback0
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