「不安な心」-4

不安な時は「不安」と概念化し相手にしない。
その状態のままにありきると、不安は不安でないのです。
それを「空」と仮に呼ぶのです。
多くは、不安を削除しようとしたり、見方を替えようとしたりして、虚構の作業をさせ、
安心を残そうとする。
そうではなく、「不安」も「安心」も解決です。
もともと「不安」も「安心」もないのです。
合掌低頭





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.24 2016 他の療法との違い comment1 trackback0

PTSD-2

 被災地で求められるものは、怖がったまま生活を始めていくための援助をすることです。
たとえば、食料の供給、仮設住宅を大急ぎで十分な戸数建てることなどです。
それによって本当の意味の「心」のケアが成り立つのです。
 世間の人が不安を何とかしたい、恐怖心を軽くしたいと思われるのは無理もないことですが、(神経症でいう)「全治」は治療という何かが施される 前の状況をいうのです。
(宇佐晋一)

本当の意味の「心」のケアは「心の用事」しないことです。
「心の用事」しないこととは、「外向きの生活」という実際です。
合掌低頭




.17 2016 あるがまま・如如 comment0 trackback0

PTSD

 世間では大震災の教訓をいかして、被災者の心のケアというものが強調されていて、そういう恐怖の真っ只中の状況にあっても、地震の起こる前のような恐怖心のない状態にしようといろいろ「心のケア」という名のもとに工夫がなされるのです。
 それと比べ、神経症に対するこの療法の姿勢はそうではなく、まったくケアがないのです。「本当の怖がりになりなさい」というような具合で、窮地に立っていなさいということです。
 つまり(神経症で言うと)今ある心より別の状態を求めない状況を「全治」とするのです。
求めるよりも生活を先にしてくださいというわけです。(宇佐晋一)

こういう話をすると、同情もなく、冷たい、乱暴だなどという意見が出てくるかもしれません。
しかし、それは事実そのものを知らないからで、こんな親切は他に見当たりません。
起こったことが、起こったんです。
ところが、「心的外傷」などと概念化し、その「概念」を事実と錯覚すると、
それが固定化されて余計な「苦悩」を強いる結果となるんです。
傷つく「心」というそういう実体はありません。
合掌低頭







.10 2016 他の療法との違い comment0 trackback0

「癒し・リラックス」

「心」(心意識)にそういう(「自分」に都合のよい)「標準」があって
その状態を求めるから「神経症」が新たに始まるのです。
その証拠に、求める方は「神経症」が治らない。
「神経症」をその都度立ち上げて、自ら続ける努力になっているからです。
「自分」を中心に行しては失敗するんです。
いつも申すように、
すべて「体験」からの話ですが、信じる必要はありません。
ご自身で実証してください。
合掌低頭




.04 2016 他の療法との違い comment0 trackback0
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