「ストレス低減法」

「キラーストレス」をテーマにした番組がありました。冒頭から「ストレス対策」ということで、「ストレス」を認識させて相手どらせるようになっています。
「ストレス対策」「ストレス低減」ということは、暗に、「ストレス」を不変の固定したもの、永続するものとして実体視するということです。
「ストレス状態」というのは、その都度、「その時その場限り」で、一時的に「現われた」だけです。それを概念化してその「概念」を相手どる(認知の中で、過去を認知した情報に対して、認知を使って作業する)こと自体、(ナマの流動変化する事実から離れた作業になり)「今にいない」ということです。
これでは、そこで言われる「マインドワンダリング」です。これは番組に出ていた大学教授の言う、「思考は現実ではない」ということとも矛盾します。

ただ、「体の痛み」に(一時的な)「効果」を上げているとのことです。それで「満足」という方がいらっしゃる以上、それはそれで素晴らしいのです。
しかし、「精神的な問題」の根本的な「解決」とはなりません。むしろ、「クライアント」にとっては、長期に渡って関わることを強いられる「副作用」が困ります。
合掌低頭





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.27 2016 他の療法との違い comment7 trackback0

「坐禅は習禅にはあらず」(道元禅師)

「自分という土台」をもとに、「未来の理想の自分」に向けて、「自分」を持ち運び・近づけて
いこうと(坐ることを手段として)訓練・習学するものではないのです。
「坐禅」は他の「瞑想」と違って、そういう「土台」を持たず、あらたに何かを習得していくものでなく、「坐禅」そのもの、「証」です。
だからといって、「ただ坐っているだけで良いんだ」にあぐらをかいてはいけない。
「ただ坐っているだけで良いんだという自分」が残ると面白くない。
「坐禅」によって「坐禅」がすりつぶされる。
「坐禅」をしている「自分」、「自分」がしている「坐禅」もないのです。
合掌低頭






.20 2016 道元禅師 comment0 trackback0

「迷い」

認識すれば「迷い」、認識せずは、「悟り」。
合掌低頭




.13 2016 他の療法との違い comment9 trackback0

「自己観察」「自己概念化」しない-2

世界で300以上の精神療法がある中で「自己観察」しない・「自己概念化」しないのは、
「森田原法の不問」を受け継いだ「宇佐療法」だけです。
「私はこんなふうにつらいです。こんな私をわかってください。」という「承認欲求」から離れてもらうのです。
ここでもそういうコメントする方は、よろしくないので、離れていただいております。

「自己観察」・「自己概念化」するから、「神経症」が成り立つのです。

実際に、観察できる「自己」はないのです。
眼が眼を見ることができないと同様です。
合掌低頭





.06 2016 他の療法との違い comment12 trackback0
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