「分かって治らない」

「どうして分かって治らないんだろうかということを考えても、どうもうまく行かないんですね。分かってることは、安心です。一つの安心として、考え方が変わったわけですね。けれども、それが治らないというのはですね、治った状態いうのは、今まで、良いと悪いに分けておられたのを良い方に変わったということですまないからです。」〈宇佐晋一〉
合掌低頭






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.27 2016 あるがまま・如如 comment4 trackback0

「提婆進道拈針」

龍樹菩薩が. 迦那提婆尊者が来た時に 侍者に命じて水を満した鉢を置いて試したところ、尊者は針をその中に落としたという話です。
それについて、「水がひとがほんらいもっている自性清浄心をあらわしている・・・」や、「龍樹はどこにいたか。全宇宙鉢満杯の水ぎり。提婆はどこにいるか。針は提婆である。龍樹と提婆はぴったり一つ。鉢満杯の水ぎり。提婆は消えて龍樹ぎり。師匠ぎり、弟子ぎり、一体となってしまう、ばらばらではない。そのとき法が伝わる。・・・」など解説がありますが、そうではないですね。水に針が落とされたというだけなんです。
合掌低頭






.20 2016 道元禅師 comment6 trackback0

「気持ち」-2

この療法は、「優しさが足りない。励ましがない。癒しがない。」という意見があるようです。
「気持ち」「感情」が目的ではありません。
「気持ち」「感情」のまま、必要な活動がなされるだけです。
合掌低頭







.13 2016 あるがまま・如如 comment5 trackback0

「事実生活」

このブログで、へ理屈するのは、「自分」説明「自分」作業していただくためではありません。
観念生活でない「事実生活」の徹底していただくためです。
事実というのは、観念化された「事実」ではありません。
ドンと音がした時、良い音か悪い音かなどと「考え」が出る前の、ドンの状態です。
ちなみに、その後、「あれは嫌な音だ」という「思い」が出てもかまいません。
合掌低頭






.07 2016 あるがまま・如如 comment19 trackback0
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