「心に用事なし」-4

「心に掃除なし」「心に責任なし」「心は心の勝手たるべし」「心ほったらかし」「心に準備なし」「心に良し悪しなし」は「心の用事なし」の具体例です。
「心は決まったもの」として「認識」できない(不変の実体がない)ゆえに、「心は不可得」。
つかむことができない「心」に「用事」しようとしても実はできないのです。
例えば、「不安をあるがままにしてという作業」、「怒りを抱きしめてあげるという作業」等は、「虚構の中の作業」にほかならないのです。(そういう「療法」があり、「副作用」を伴うことがありますが、それで「満足いく方はそれでよい」というほかありません)
「心の用事なしの実際」は「外向きの生活活動」です。
「外向き」というだけ「生活活動」というだけ実は「余計」なのです。
ですから、「単に外向きの生活活動」ということも忘れて「単に外向きの生活活動」です。
合掌低頭






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.30 2017 他の療法との違い comment0 trackback0

「心に用事なし」-3

「心」に「論理」を持ち込む「知的やりくり」がやむ時、おのずと、直り(元通り)ます。
「部屋」の「掃除」は結構ですが、「心」についてはどんな「状態」であろうと「掃除」しない。
たとえ、「ゴミ屋敷」のようで、「蜘蛛の巣」だらけのようであろうとも、「掃除」しない。
そのまま「ただ」「(自分以)外」の「掃除する、作業する、仕事する、家事」するだけです。
繰り返しですが「心の用事なし」とあえて言うんですが、これでかえって、「心」に関わって(「用事」しないようにしようという「形」で)「用事」されないようにお願いします。
「心に用事したか・用事しなかったか」を問うてるんではないのです。
「心に用事なし」・「あるがまま」・「不問」・「純な心」・「事実唯真」・「努力即幸福」・・・
すべて「同様」です。
つまり、「状況」「生活上の必要」による(「外向き」の)「用事」・「生活活動」の実際です。
合掌低頭






.23 2017 他の療法との違い comment0 trackback0

「心に用事なし」-2

「森田理論」の「症状はあるがままに受け入れてなすべきをなす」ですが、
「症状はあるがままに受け入れて」というところが「心の用事」になるのです。
「心」のことは、一切、「何」もしようとしないで「よい」のです。
「結果」として「そのまま」になるのです。
「結果として」の「結果」とは、「いきなりぶっつけ本番の外向きの生活活動の結果」です。
「結果」と言っても詳しくは、「外向きの生活活動」即「そのまま」です。
「心」に何かしようとしたことに気づいたら、手をつけず放って「外向きの生活活動」。
ですから、「安心」して「生活上の必要」にもよおされるのです。
合掌低頭






.16 2017 他の療法との違い comment0 trackback0

「カンフー(工夫)」-2

前回の続きです。どういうことかと言いますと、「自分」を「相手」にすることが止んだんです。その時その場の活動時、「自分対自分の虚構の戦い」はあるまま「作用」しないのです。
「工夫」は、「工夫」を忘れて「実行」することです。
「三聖病院」があった頃、「食事の時間」には「直日さんの木版」が鳴って知らされたと記憶しています。「ある日」、「食堂」に「修養生」さんほとんどが「席」に着いたにもかかわらず、
ただ一人「入り口」で立ち止まって動かない方がおられました。後で分かったことですが、
「自分対自分」の「葛藤の極致」だったようで、「身動き」できなくなったのです。
「自分対自分」の時は「自分対自分」のまま。「自分対自分」を「相手」にせず邪魔にせず。
(「相手にせず邪魔にせず」をしようとするのではありません)
ただ、「前進」(即、結果、そのまま)。「指一本」でも「動けるところ動かす」。
「どんな状態」もそのままぶっつけ「生活」。
そのように分かったら、「分かった」を忘れて「状況」にうながされ「実行」です。
合掌低頭






.09 2017 あるがまま・如如 comment0 trackback0

「事実唯真」-5

「宇佐療法」は、「心意識」に手を出さないでいただく唯一の「精神療法」です。
ただ、「生活上必要なこと」してください(「事実」に手を出してください)といわれるのです。
そんなんで「精神療法」といえるのか、「親の小言」だかなんだかわからないじゃないかと
思われるかもしれない。
これだけ「苦しい」んだから何かもっと「手立て」があるはずだろうと思われます。
それだけでは、「単純」すぎて「当たり前」すぎて、「納得」されず「実行」されない。
そこで仕方なく、「法則」めいた「療法用語」・「禅の話」などを持ち出させていただいて、
「入院生活環境」で「理屈を持ちだす余地」がないほど、いきなりのぶっつけ本番「作業」に
「忙殺される膳立て」ですが、ほんとは「余計」です。
「生活上必要なことする」と分かったら、
「分かったこと」は忘れて、
「生活上必要なことする」のです。
「全治」して「全治」も忘れたら、同時に「宇佐療法」も「事実唯真」も忘れていただくのです。
合掌低頭







.02 2017 他の療法との違い comment0 trackback0
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