「神経症の全治」ー4

「全治は、三原則とでも言いますか、実証しない、根拠持たない、保証されないのです。」
宇佐先生の「言葉」です。
「知らなさ、分からなさ、決められなさ」です。
証される「全治」、証する「自分」はないのです。
「全治」に実体なく、「分かる」対象でなく「分かる」ことで成立しません。
「治る」「治らない」「神経症の自分」「健常な自分」という「概念」に置き換える以前の、
「生活上の必要に動かされる姿」において「全治」するのです。
合掌低頭






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.28 2017 他の療法との違い comment0 trackback0

「神経症の全治」ー3

「心の用事による気づき」においてでなく「実際生活上の必要に動かされる姿」
において「全治」するのです。
「立つものは立つ。坐るものは坐る。これで仏道の修行は終わり。」
良寛さんの「言葉」です。
「特別な事」でない「日常の営み」に徹するのです。
合掌低頭







.21 2017 全治 comment12 trackback0

「心に用事なし」-5

世界の「精神療法」で唯一、「自分」「心意識」を観察しない用事しない「療法」です。
繰り返しますが、「心の用事なし」の実際は「外向きの生活活動」です。
「外向きの生活活動をすればよいのだ」と「分かったこと」を「自分」に応用し取り扱わない。
「取り扱っている」と気がついたら、そのまま手をつけない「単に外向きの生活活動」です。
この「瞬間」この「瞬間」始まり終わるのです。
『「単に外向きの生活活動」ということも忘れて「単に外向きの生活活動」ですよ』と聞いて、「忘れること」ができない時は「忘れること」ができないまま「単に外向きの生活活動」です。
この「記事」に留まるなら、「考えに翻弄される神経症の世界」」から一歩も出られません。
「生活上の急がれる必要」があれば、とりあえず「道具」を手に取るのです。
合掌低頭






.13 2017 他の療法との違い comment0 trackback0

「健康な状態」

「健康」という「言葉」を使えば、「神経症」であろうとなかろうと実は「健康」です。
「神経症」は「言葉」・「考え」で成り立つのであって、「本人の自己意識内」で増大した
実体のない「主観的な病感」です。
つまり、実際の「精神的な病気」「脳の故障」ではないのです。
ですから、一般的な「病気」のように「段階的治癒」とは別に、
「インスタントに治る(直る)こと」が起こるのです。
それは「自分」を「言葉」・「考え」で括る「余地」のない「生活上の急がれる必要」に
動かされる時です。
合掌低頭






.06 2017 他の療法との違い comment0 trackback0
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