「習学」には非ず

多くが、実体のない「自分」中心で、「自分」「心意識」を「主題」にして「習学・修練」します。
「観念」上の「理想的な自分」「理想的な心意識」の「あり様」に向けて「努力」することで、「非合理領域」に「知性」を用いても奏効しないだけでなく、二つに分けられ「迷苦」します。
そのように続く限り、どこまでいっても「主観的虚構」内の「自分」対「自分」に終始します。
「主題」は「自分」「心意識」ではありません。
「生活上の行動・活動」という実際だけです。
合掌低頭







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.24 2017 他の療法との違い comment8 trackback0

「千聖不伝」

新たに伝え教えられるものはないのです。
「心(心意識)」について「学習」することは何もないのです。
すでに伝わってあるままを承当する。
あるままを承当するとは、意識せず手をつけないことです。
「神経症的」の時は「神経症的」のまま。
「不安」の時は「不安」のまま。
「安心」の時は「安心」のまま。
「その時その場その状況」がそのまま「道」。
「その時その場その状況」以外を求めないのです。
単に「生活上の必要」にうながされるのみです。
合掌低頭






.17 2017 あるがまま・如如 comment2 trackback0

「強迫観念」

「消そう」「気持ち晴らそう」「気持ち切り替えよう」が「結果として」やめばいいのです。
「苦しみ」は「消そう」「気持ち晴らそう」「気持ち切り替えよう」から生じるのです。
「消そう」「気持ち晴らそう」「気持ち切り替えよう」をやめようとすると同じことになりますのでご注意ください。
知らずに、結果的に、「心の用事」がやめばいいのです。
その「時」その「場」の「生活上必要」することするだけです。
「頭から離れない」まま、「スッキリしない」まま、「割り切れない」まま。
できそうにありませんか?
もしそうなら、「できそうにありません」という「思い」のまま、捨てようとしない一体のまま、
その「時」その「場」の「生活上必要なこと」するのです。
「やる気」あるないに関わらず、「有名作家」のように一行も「書く気」がない時でも
とりあえず、「机」に向かう、「ペン」を取る、それだけでもいいです。
書いてる「瞬間」(結果として、後で気つけばですが)「強迫観念」は出ても気づきません。
「注意」は「同時」に「二つ」に向かないからです。
「強迫観念」あり=「悪い」その他の観念=「良い」に設定し、「悪い」排除「良い」残そうと、
コントロールできない「心」をコントロールしようとするので「問題」になるのです。
なぜ「そのまま」かと言うと、「そのまま」とは、「良し悪し」つけないからです。
「生活上必要」あれば、とりあえず、「道具」を持つのです。
合掌低頭、不識







.10 2017 あるがまま・如如 comment7 trackback0

「ありあわせ」

「心意識」を概念化して、それ(「実際でない概念」)を相手に「良し悪し」をつけ「悪いところ」を「病気」と確信して削除しようと知的努力したことが「神経症」の始まりです。
どれほど「確信」されても、すでに「健常」であり、本来器質的な「病気」ではありませんので
「今の心の様子」の「他」に求めるものはありません。
「神経症」だ「全治」だと仮にそう呼んでいるだけで「実体」はありません。
実際にこの「身心」は迷っていないのですが、「考え」の中だけ「治る」「治らない」があり、
「考え(内容)」と「事実」を混同なさるので「考えの世界」で右往左往しているだけです。
「今の状態」の他に「理想的な自分像」「特別な心境」を求めれば求めるほど「脱線」します。
「不安」の時は「不安」という「全治」です。
「怖い」という時は「怖い」という「全治」です。
「はっきりしない」時は「はっきりしない」という「全治」です。
ですので、「今の心の様子」がどんなであれ「今の心の様子」以外求めない。
「今の心の様子」のまま・「生活上必要なこと」がなされるのです。
合掌低頭






.03 2017 あるがまま・如如 comment0 trackback0
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