よくある「間違い」

「恐怖症」で悩んでらっしゃる方は、「恐怖」を思わなくなるように努力するのですが、そうではなく、「恐怖の思い」が出る時は出てかまわない。(表現をかえれば、「恐怖」の時「恐怖」して「全治」、あるいは、「健常な状態」と言った方がはっきりするかもしれない)よく間違える点かもしれません。
「思い」(その思いそのものが過ぎた後で認知した情報)と「行動」を一致させるように行動していこうとする一部の「心理療法」があります。そこでいう「思い」とは、その「思いそれ自体」ではなく、それが過ぎた後で認知し概念化した「情報」を「思いそのもの」と勘違いしているのです。それは、「心理療法」という名の「煩悩」です。
「心」の状態とは関係なく、「その時・その場」で必要な「活動」ができていればよいのです。
合掌低頭




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.30 2015 他の療法との違い comment10 trackback0

Comment

丸山
こんばんわ。いつも拝見してます。人生問題解決というホームページで「命の働き=神や仏とは右脳の、機能の事です。」と、右脳だけを神や仏機能と云うんですけど、左脳も、命の働き神や仏の機能ということにならないとおかしいと考えるんですがどですか。
2015.09.05 23:36
丸山
追記です。人生問題の解決掲示板はhttp://9019.teacup.com/jinseimondainokaiketsu/bbs/?です。
2015.09.06 07:26
丸山様へ
そのホームページは、左脳は分別、右脳は無分別の機能、左脳はダメ、右脳は良しと言いたいんでしょう。(実際にそんなに割り切れるものではありません。右脳も左脳的なはたらきを、あるいは、左脳も右脳的なはたらきをする場合もあるようです。)
おっしゃるとおり、そのような説明は不適当です。
無左脳右脳身意 無色声香味触法ですので。

そして、分別自体、無分別なのです。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識

2015.09.07 00:07
不識様
ありがとうございました。分別自体も無分別なのですね。またよろしくどぞ。丸山
2015.09.13 01:22
丸山
(無為療法というホームページから)「座禅せば四条五条の橋の上行き来の人をそのままに見て」と読みを深めた。前作の行く人を木に例えてのごまかしの思量が、人をそのままに見る心境にまで到達している。美人を美人と鏡に写る映像のように余計な思いが働かなくなった。非思量の境地にまで進んだのである。

この一休さんの作と云われるものですけど、これだったら、自分観察になってさおかしくないですか?
2015.09.13 01:31
丸山
追記です。無為療法ホームページhttp://mui-therapy.org/zen/zen.htm
2015.09.13 01:33
丸山様ヘ(9.13 1:22)
そうです。
そのHPで言われているように、意識が悪くて無意識が良いというのではありません。
「これが自分」が忘れられているかどうかです。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2015.09.14 00:12
丸山様ヘ(9.13 1:31)
「座禅せば」=「坐禅すると」「坐禅した結果」ということなら、おかしな話です。
宇佐療法で言う、「自己観察」は、「これが自分・自分の心」を認め、それを相手にして、モニターすることです。
見るという「外向き」行動は自己観察にあたりません。
実際、そのままに見ている時は、「そのまま」・「見ている」がなくなっていますので、わざわざ「そのままに見て」などと言う必要はないのです。説法上、仕方なかったのでしょう。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2015.09.14 00:14
丸山様ヘ(9.13 1:33)
ありがとうございます。合掌低頭、不識
2015.09.14 00:16
丸山
了解しました。ありがとございました。
2015.09.14 22:57

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