「見たら見たものになる。聞いたら聞いたものになる。」                         (雪渓老師)

そうなっているんです。
入院第2期で周囲のものを観察する作業がありますが、「考え」から一歩も出ないで、あれこれやってる方には、腑に落ちないのです。
このブログも、雪渓老師の言うことも信じる必要はありません。
そうなのだろうかという方は、ご自身のことですから実証してください。
合掌低頭




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.02 2015 あるがまま・如如 comment27 trackback0

Comment

レッド
お世話になります。記事内容と関係の無い質問で申し訳なく思うのですが、一度質問してみたいと思っていました。

よく「生かされている」という言葉を耳にします。自分は、一秒でも早くこの苦悩の一生の幕が下りる事を願って生きてきたように思います。生きてるから様々な悩み、問題に対処しなければならなくなります。その割に喜びというのは少ない。

だからといって自殺できるほどの度胸もないようです。そしてそれをどこまでも叶えたいのかと自らに問うと分からなくなります。

生かされていることへの感謝は必要でしょうか?感謝が少ないと病気、貧乏などの不運な目に見舞われることになるのでしょうか?よろしくお願いします。
2015.11.02 23:49
高村
不識さま、宜しくおねがいします。ここは相談質問等は無料ですよね。気になるので確認させてください。
2015.11.03 01:30
レッド
不識さんじゃないですけど、僕も何回も質問、回答もらってますけど、お金を請求されたことはないですよ。少しでも安心できればと思って書き込みさせてもらいました。
2015.11.03 16:44
高村
ありがとうございました。
2015.11.06 15:57
レッド様へ(11.02 23:49 )
>よく「生かされている」という言葉を耳にします。

以前に記事で申し上げました。
仏家でも、西洋の一神教的に仏道をとらえる方がおられるようですが、そうではありません。
「生かしている」もの「生かされている」ものは、実際にはありません。
「ありません」というのは、固定的で不変なものはありえないということです。

>自分は、一秒でも早くこの苦悩の一生の幕が下りる事を願って生きてきたように思います。

たいそうご苦労されたことと存じます。

>生きてるから様々な悩み、問題に対処しなければならなくなります。

『「これが私」の「私」が生きてるのだ』となさっているから「様々な悩み」があるのです。
「私」がすべてやらねばならないとなったら大変です。
でも実際はどうですか。
呼吸ひとつにしても心臓一脈にしても、「私」がやってるんですか?知らないうちに動いているんでしょう。

「私という概念」以前は「様々な悩み」がなかったのです。
それは、
何年前、何十年前のことを言ってるんではありません。
「今」と仮に呼ばれる瞬時です。

>その割に喜びというのは少ない。

「喜び」を求めるから「苦しみ」するのです。
「喜び」を持たなければ、「苦しみ」もありません。
ただ、
そのように呼ばれる「状態」が、「縁」によって生じ「縁」によって消えていくだけです。
「苦しみ」の時「苦しみ」そのまま同化してしまうと「苦しみ」は「苦しみ」ではなくなっているのです。理屈上の理解だけの方はこれがわかりません。
(実際に「そのまま」同化とは、「外向き生活」ということです。)

>感謝は必要でしょうか?

「その時その場」により、レッドさん次第です。

「感謝の行ない」は、「感謝の心」がないとしても、どんな「心」もそのままに、「心」関係なく、そういう行動言動することは可能です。

ちなみに、「報恩感謝の行」ということが「仏道」では、修行上、必要不可欠と言われております。日常生活的に申せば、「人」のために、「ただ」はたらくこと自体がそういう行ないです。そして、実は、「人」も、「そのため」も、はたらく「私」もありません。ですから、(「私」以前の)「はたらき」が作用しているだけです。「その場その時の必要」に応じて。

>感謝が少ないと病気、貧乏などの不運な目に見舞われることになるのでしょうか?

「個々」の「因」「縁」はわかりません。

「不運な目に見舞われることになるのでしょうか?」は、「考え」の中で、あれこれして、「考え」の世界から一歩も出ずに、自らを苦しめてらっしゃるんです。

大事な事は、
「考え」「言葉」「見方」は、事実そのものではないんです。
そこが、
「煩悩の根源」です。
つまり、「根源」とは、「考え」「言葉」「見方」=事実そのものと思いこむ、実際には、「このもの」=「私」と思い込むことです。

それよりも、
「考え」「言葉」「見方」以前の事実に生活する。
そういう
「考え」「言葉」「見方」が出たら出たで、出しっぱなしの手つかずのまま、
「状況」に応じて、急がれることがあれば、もよおされて、なされること(「私」を忘れた「はたらき」そのものになってあるまま)が第一です。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2015.11.09 18:13
高村様へ
>相談質問等は無料ですよね。

無料です。

もともと、
三聖病院入院体験者だけにこのブログはエントリーされました。現在、そうでない方で熱心な方はお受けしています。

ただし、
このブログでかえって混乱されそうな方、ご自身の「見解」と当てつ比べつして「分別」の世界から一歩も出ようとなさらず実践されない方、「神経症状態」を「疾病利得」と(ご本人気付かず)されている方々は、ご遠慮願っております。
「ひどい」「冷たい」と受け取られるかもしれません。
しかし、ご本人のためにならないからです。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2015.11.09 18:19
レッド様へ(11.03 16:44 )
書き込みありがとうございました。
合掌低頭、不識
2015.11.09 18:21
高村
そうなんですね。ありがとうございました。三聖病院入院しなかったですけど質問宜しくおねがいします。
2015.11.09 19:14
-
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2015.11.13 21:15
高村様へ
よろしくお願いします。合掌低頭、不識
2015.11.16 21:13
11.13 21:15様へ
拝見いたしました。
コメントをここに書き込みますか?
それとも、個人的にメールしたほうがよろしいですか?
不識
2015.11.16 21:16
-
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2015.11.17 03:47
11.17 03:47 様へ
PCの都合により、今使用中のメールアドレスが使えなくなりました。
ご質問を伏せた形でコメントをここに書き込んでよろしいですか?
不識
2015.11.23 00:22
-
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2015.11.23 02:52
11.17 03:47 様へ
①原子含めて、そういうことです。「不変な物はない」ということは、固定した(=変化しない)ことはない、常に変化している。
(変化という表現も実はよろしくないのですが、)
ですから、「私」という看板は同じですが、精神状態も脈拍血圧呼吸数も状況によって一定しないでしょう。「私はこれだ」と言い切れない決められないのです。それでないというのです。
いつかと言えば、「外向き生活」の時です。

②「ほぼ1日中・・・様な感じ」と、そのように思えるということは、それはそれで良いんですが、(心に良し悪しなし)それは「思い」であって、事実それ自体ではないんです。「外向き生活」(=「思い」に手をつけず、「自己」観察しない)。

③「神経症」で申し上げますと、「神経症の私」をどうにかしたい、治したいということでお悩みでしょう。
「私という概念」がなければ、「神経症の私」という悩みの対象が成り立ちません。相手がなかったら、(悩む「私」がなければ)悩めないんです。「外向き生活」(=「思い」に手をつけないから、上記の両方とも消えてしまう)。

④「気分」が「目的」ではありませんよ、再確認してください。
「気分」が苦しい時は苦しい。これが「全治」ですよ。「全治」を誤解なさらんように。このまま(=「外向き生活」)ということですよ。

⑤同様です。ただ、肉体的な「苦痛」(痛いと感じるような「作用」は「因」と「縁」で出ます。そして消えてしまいます。)
仮に「人間」と呼ぶものの「苦しみ」は、「苦痛」がその時その場で出ては消え出ては消えしているのとは別で、そういう実際と別に続くでしょう。続くように思えるのは、「苦しみ」と概念化したことによって、「考えの世界」(「苦」と「楽」で比較する「世界」)でくくられて固定化(と思いこみ)されてしまうからです。「その考えの世界」を事実そのものと思い込んでいらっしゃるから。そういう「苦しみ」はなくなります。
要は、「苦しみという概念」にくくられて「苦しみ」ますから、「概念」化しなければよいです。このまま(=「外向き生活」)ということです。

⑥十分です。「行動言動」=「心」です。認識できるのは過ぎた事です。「感謝の心」がないという認識は、「行動言動」の1秒の何分の1かあるいは何分か前の過去の様子です。「行動言動」した時点でありません。「行動言動」=「外向き生活」ということです。

⑦「ある」とされてらっしゃるなら、「考えの世界」(「ある」と「ない」で比較する「世界」)で「ある」と決めこんでらっしゃってそれを事実と思い込んでらっしゃるんです。「ある」も「考え」です。「・・・目」と仮に「人間」と呼ぶものが、「ある状態」を勝手にそう言葉でくくっただけで、それは、反面、「幸運」だったということも後から気づかされることあるんです。
ですから、今起きていないことを、「考えの世界」であるとして、その上でああだこうだと悩むのです。それは「考え」ですから、事実ではありません。いくら悩んでもしようがない。それでも悩むんでしょう。ですから、そういう「思い」が出てくるまま、手をつけずに、「外向き」に「必要」なことにうながされていったらよいだけです。
ただ、繰り返しますが、そういう「作用」(「・・・目」と勝手に決め付け、仮にそう名付けているている現象)はその時その場で立ち現われて消えていきます。そういうことを相手にせず、「外向き」の生活上の「必要事」にもよおされていく、そういう作業がなされる「はたらき」そのものになっていく、そんな感じです、後は、こういう「理屈、説明」をお忘れになって、ぶっつけの実際のみ。

⑧「これが私」を中心にすることから離れて、事実に生活すること仕事することが結果として、「供養」になります。

⑨ありません。すべてそうだから(そのようであるから)、そう言わないんです。すべてが男性だったら、あえて、男性と言わんでしょう。「仏」とは、あなたのことですよ。もし、仮に、そうでないと思われているならば、「仏」の証拠は、聞こうとせんでも、救急車のサイレンが、好き嫌いに関係なく、耳に入ってくることです。死にたいと思っても心臓は脈打ってることです。
それはそれとして、「外向き」の生活上の「必要事」にもよおされていく、そういう作業がなされる「はたらき」そのものになっていく、そんなです、、ぶっつけの実際のみ。

⑨おかげさまで、「この地獄の人生」を経験することになったんですよ。そうでなければ、「仏縁」もなかったかもしれない、「菩提心」も生じないかもしれない、「修行という縁」もないかもかもしれないんです。それはそれとして、「外向き」の生活上の「必要事」にもよおされていく、そういう「はたらき」そのものになっていく、、、ぶっつけの実際のみ。

⑩「この地獄の人生を経験することになったと思い」は、かまいません。必ずしも、そういう「思い」を使う(行動化する)必要ないのです。それはそれとして、「はたらき」そのものになっていく、、、ぶっつけの実際のみ。

⑪効果的なのは、例えば、何か仕事でも他者とのアポイントとでもいい、それで、日中の何時にどこそこに出向くという必要に駆られて、という方が、例え、寝不足であっても起きざるを得ないので結果的にうまくいく。「目的」を仕事などにした方をお勧めします。

⑫具体的には、そうそう。そういうことですよ。もし「神経症」でしたら、その時点で「全治」の状態が実現してるんです。そんなふうには、とても思えない、分からないでしょう。それでいいんです。「私」について分からないことでいいのです。それで、
もし、次の瞬間、「私は、こうだから・・・」と「内」を観察して、「内」向きに作業しようとしたら、また、「自分」で「自分」を苦しめることになるんです。
「私」について分からないことでいいといったでしょう。「私」を分かろうとしたら、面白くないんです。だから、ただ「外」向きで、「事実」に、「状況」に、「急がれること」に、もよおされていったらいい。

以上のコメント、お分かりでしたら、すべてお忘れになってください。「分かる」ことから離れるのです。
実際のみ、ぶっつけ本番です。
よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2015.11.23 20:15
-
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2015.11.29 17:56
レッド
不識様

(2015.11.29 17:56 )にコメント致しました。よろしくお願いします。
2015.11.30 13:37
11.29 17:56様へ
①「~みます。」は、「自分」を取り扱う気配があります。
よろしくない。
このブログで「分かった」ことを、「自分」に応用しない。
「分かった」ことは、それはそれとして、
これからは、
「分かる」ことから離れるのです。

実際のみ、ぶっつけ本番です。
「自分」が「自分」を取り扱って「外の事に手を出す」で行こうでなくて、
「分かる」ことから離れ、実際にあたってください。
ただ、
生活上の「必要事」に、もよおされるだけ。

②できませんね。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2015.11.30 19:34
レッド
>このブログで「分かった」ことを、「自分」に応用しない。

自分を認めることにより行き詰まり苦悩するのだということが骨身に染みました。

>生活上の「必要事」に、もよおされるだけ。

こうすることが最も楽であるように思います。ありがとうございました。
2015.11.30 21:58
レッド様へ
>楽である

ご承知ように、結果そうであればよし。ところが、「楽」を求め、「楽」を目的としたら、「苦」しみます。

合掌低頭、不識
2015.12.07 00:15
レッド
不識様

「楽」という心の状態を求めず、することをする、ですね。
ありがとうございました。
2015.12.10 03:56
レッド様へ
ご承知でしょうが、
「することをする、ですね。」という「分かったこと」と実行は別ものです。

ただ、実行あるのみ。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2015.12.13 17:17
-
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2015.12.17 20:26
管理者様だけに閲覧希望
不識様

2015.12.17 20:26 に
投稿いたしました。よろしくお願いします。
2015.12.17 20:28
-
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2015.12.17 20:45
(12.17 20:26)様へ
>このように考えていますがどうでしょうか?

「このように考えていますがどうでしょうか?」という「考え」以前の
実際に生活すること(「考え」から離れる)です。

前回から申し上げておるとおり、
ただ、実行あるのみ。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2015.12.20 01:05
-
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2015.12.20 04:13

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