「全治の全治知らず」(宇佐晋一)

「私は治った、あなたは治っていない」というは、おかしな話です。
「治った」なら、その様な事は言わない。
「神経症」に「治る」「治らない」という世界はないことを伝えなくてはならんのですから。
「治り」を認識したら、それはそうではないのです。
合掌低頭




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.09 2015 全治 comment33 trackback0

Comment

ひのき
不識さま


ご無沙汰しておりました。ひのきです。
だいぶ寒くなってまいりましたが、
お変わりありませんか?

少々アドバイスをいただきたく、お願いいたします。

先日、仕事の段取りを考えていた時に、
ふと気づくと、何もないところから
突然目の前が現れました。

眼科・脳神経外科などに診察を受けに行くべきですか?

それとも…これは、
坐禅を行っていたので、現れた出来事でしょうか?
何が起こったのか、最初は狼狽しました。

先月から2、3度あったので、少々気になりました。
とはいっても、ずっと気にしていたわけではなく、
すっかり忘れていたり、たまに思い出したり…。


「このもの」の活動ってすごいですね。
いろいろ現れますが、すべて消え去るという…。
(自分モニターはしていません。)

2015.11.16 23:09
ひのき 様へ
>仕事の段取りを考えていた時に、ふと気づくと、何もないところから 突然目の前が現れました。

状況がよくわかりませんが、、、、
突然目の前が現れたということは、その直前、□□だったということですか?

>このものの活動

「万法に証せられ」の「万法」とは、「このもの」の活動の様子です。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2015.11.23 00:09
-
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2015.11.23 17:46
11.23 17:46 様へ
□□は、文字化けではありません。その直前、それだけだった。それは□□だなと目の前の景色が現われた時に気づかれたのかと、うかかがったんです。
よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2015.11.23 20:19
ひのき
不識 さま


いつもありがとうございます。ひのきです。

>その直前、□□だったということですか?

あまり記憶が定かではないのですが…。
「考え」だけだったと思います。
「考え」だけだった時は、「考えている」もなく。

「考え」だけだったことは、目の前の景色が現れて気付いたと思います。
(すいません。結構うろたえる出来事だった割に記憶があいまいです。
その「考え」だけだった時の記憶が空白です。)


その出来事の後、意識がなくなったりなどの
健康上の問題は発生していないので、
脳神経などの障害などではないと思うのですが、
ちょっと気になったのでお伺いしました。



2015.11.24 10:23
ひのき 様へ
>「考え」だけだった、「考え」だけだった時は、「考えている」もなく。「考え」だけだったことは、目の前の景色が現れて気付いたと思います。「考え」だけだった時の記憶が空白です。

気付くは、「自忘」ですね。
「これが・・・の自分だ」が用いられることなく、介在がなかったでしょう。

それはそれでお忘れになって、
また、「六根のはたらき」が作用するままにまかせて生活してください。
よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2015.11.30 19:28
ひのき
不識さま



いつもありがとうございます。
ひのきです。

身体的な不調ではないようなので、ほっとしました。


>それはそれでお忘れになって、
はい。忘れようと努力しなくても忘れますね。


今回の出来事も、ふとした時に思い出され、気になったので
お尋ねしました。


>「これが・・・の自分だ」が用いられることなく、介在がなかったでしょう。
はい。日々の生活を【「六根のはたらき」が作用するままにまかせている】と、
「自分」はめったに出てこないです。


また、ご指導・ご教示ください。

師走の折、ご多忙かと存じます。
お体ご自愛ください。


2015.12.01 17:38
ひのき様 へ
>日々の生活を「六根のはたらき」が作用するままにまかせている

よろしくお願いします。

>「自分」はめったに出てこないです。

出る時はどういう時ですか?

合掌低頭、不識
2015.12.07 00:17
ひのき
不識さま


こんにちは。ひのきです。
お返事ありがとうございます。

>出る時はどういう時ですか?

と問われ、あらためて考えてみると・・・
どんな時も「自分」は出てきませんね。

たとえば…
職場のミーティング等個人の意見などを申し述べる際に
「自分」が出てくる「気がしていました」が、実際「自分」は出てきません。
(思いこみですね。。。)


いつも的確な質問を投げかけてくださり、
はっと気付かされることばかりです。
いつもありがとうございます。
2015.12.07 17:22
ひのき様 へ
>「自分」が出てくる「気がしていました」が、実際「自分」は出てきません。

出てくる気がしていた「自分」ということは、「自分」があると認めていたんでしょうか?

そうだとしたら、
その「自分」が出てこない、その「自分」がなくなったということですか?

それとも・・・

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2015.12.13 17:13
ひのき
不識さま


いつもありがとうございます。ひのきです。

>出てくる気がしていた「自分」ということは、「自分」があると認めていたんでしょうか?

うまく説明できるか自信がありませんが、やってみます。

仕事をしているときは、「役割」がありますから、どうしても
その「役割(自分・個人)」が立つ「気」がしていましたが、
実際はそうではなく、
「思いがわいたり、意見したり」と
仕事以外と差異がないと気付いたということです。


仕事だろうが日常生活だろうが、常に今の様子、ということです。
その時その時で縁にしたがい「このもの」が活動しているだけなので。

「仕事」という縁にしたがって活動をしている様子、だと
気付いたのです。

職場に一歩足を踏み込むと、「自分(個人)」を起動させようとしていました。

その必要がないなと…。

たいそうなことではないです。

不識さん風に言うと、「目の前」ですね。
常に六根で、常に坐禅の生活です。


ありがとうございます。
2015.12.14 15:23
ひのき 様へ
>実際はそうではなく、 「思いがわいたり、意見したり」と・・・

そうそう。
「これが私」以前の、「思いがわいたり、意見したり」という「法」「はたらき」です。

>「自分(個人)」を起動させようとしていました

ということは、その時、「自分」があると認めていたのです。
前回「それとも・・・」で、確認したかったのは、「自分」があると認めた上で、「自分」をなくそうとするのは「間違い」ということです。
よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2015.12.20 00:45
ひのき
不識さま

いつもありがとうございます。
ひのきです。

>その時、「自分」があると認めていたのです。

はい。そうかも知れません。
職場で「個人」が要求されると、それに引きずられていました。
「自分」が出てくるというより、「自分をださなきゃ」という
思いに引きずられていたのです。

もし、引きずられたら、引きずられたままで、ですね。
↑それがその時の自分の様子なので。
そしてすぐに立ち消えます。(モニタはしていません。)

ご質問くださってよかったです。

ありがとうございます。
2015.12.20 02:09
ひのき 様へ
>「自分をださなきゃ」

詳しい事はよくわからないのですが、‥「自分」(主語)を出すというより、必要な事する・作用するに任せる(動詞)だけでことたりるかもしれません。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2015.12.23 23:49
ひのき
不識さま


いつもありがとうございます。
ひのきです。


>必要な事する・作用するに任せる(動詞)だけでことたりるかもしれません。

はい。おっしゃる通りです。


いつもありがとうございます。
2015.12.25 23:20
ひのき 様へ
追伸です。
>仕事だろうが日常生活だろうが、常に今‥

ご承知でしょうが、
「今」は、「今」と認識した時点で「今」ではないのです。
認識は過ぎ去ってそれが可能なのです。
したがって、「今」は、認識できません。


>不識さん風に言うと、「目の前」ですね。

何度も申し上げているように、「外」「内」同様、「目の前」という実体もありません。お分かりでしょう。

>自忘
忘れるべき「自分」はもとなかったんです。じゃ修行せんでいいかということではないです。

忘れたら「忘れたこと」も忘れる。
「忘れたこと」を認識すれば、あらたに「迷い」になります。

そして、忘れた(大死)だけでしたら、役に立たない。
つまり、忘れた(「平等」)だけでしたら「はたらき」がないので、おのずと、そこにとどまらず、「このもの」(「差別」)の「はたらき」現前(大活)です。

それは、この愚ブログで、聞き飽きるほど繰り返されておる、「状況」にもよおされて「外向き生活」活動です。
それは、これからそうしようでなくて、(悟りも迷いもない)
この「身心」はすでにそうあるんです。
すでにそうあるなら修行せんでいいかということではないです。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2015.12.27 22:47
ひのき
不識さま


こんにちは。毎々ありがとうございます。
ひのきです。

伝わりにくい表現で申し訳ありません。

「今」とか「目の前」などを意識をして生活してはおりません。
そんな面倒で厄介なこと…はしていません。


自分が体験したことが何らかの身体的な病の兆候か否か知りたかっただけです。
(場合によっては、受診が必要かと思い。)

お手を煩わせて失礼いたしました。


よいお年をお迎えくださいますよう…。



2015.12.30 02:35
ひのき 様へ
>「今」とか「目の前」などを意識をして生活してはおりません。

たいへんけっこうです。

>お手を煩わせて失礼

せっかくの体験でしたので、書き込みましたが、かえって邪魔になったかもしれません。

合掌低頭、不識
2015.12.30 18:43
ひのき
不識さま



こんにちは。ひのきです。



>かえって邪魔になったかもしれません

いえいえ、そうは思っていません。
今回色々とご質問くださり、仕事中と普段のあり方に違いはないと
はっきりわかりました。
いつも助けていただきありがたいと思っています。


しかしながら、私は、仏教(禅?)を学んでいませんので、
不識さんの示される回答が「??」のことがあります。

「??」な状態の時は「??」のままにし、
こちらのブログを閉じれば忘れてしまいます。


お心遣いでせっかくお示しくださったので、時間のある時でかまいませんので
もしよろしければ、少しご教示ください。
※「??」だったとしても邪魔にはなりません。


>忘れた(大死)

>忘れた(「平等」)

の違いはなんですか?
本来「忘れる」ことに差異はありませんよね?


>(「差別」) 
とは、すべて(ものやこと、人など)がユニーク、ということですか?
2015.12.31 03:08
ひのき様 へ
>「??」な状態の時は「??」のまま

「??」という「法」です。
そのように参じていけばよろしいです。

>忘れた(大死) と忘れた(「平等」)
の違いはなんですか?
本来「忘れる」ことに差異はありませんよね?

同じことを別の言い回しにすぎんです。

>(「差別」) 
とは、すべて(ものやこと、人など)がユニーク、ということですか?

細かい事ですが、「ユニーク」と言い切れない「ユニーク」のような・みたいなということです。
そして、違うままに同じ、同じままに違うということです。(「違う」「同じ」もないということです。)言葉で説明すると小難しいのですが、事実このとおりです。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2015.12.31 18:34
rurumik
不識さん

すみません、教えて下さい。

>忘れた(大死)だけなら役に立たない
>忘れただけだと「はたらき」がない

このことが、どういうことなのかよくわかりません。
この「身心」はすでにそうある、のに、「はたらき」がない、ということがよくわかりません。

>修行せんでいいかということでない

修行は、どうして修行する必要があるんでしょうか?
自分自身は、修行していこうと思っていますが、世の中の多くの人は、修行なんて考えてもないようだし、そして、結局、生も死もないのなら、仏縁なくてもそのままずっと行ける人は、それでいいんだろうし、と思ったり。。

自分の聞きたいことをちゃんと伝えられた自信がありませんが、もし教えてもらえたら、よろしくお願いします。でも、わからないままでも、ひのきさんのおっしゃるような「??」のままで、修行は続けていけます。


2016.01.02 22:26
rurumik様へ
>忘れた(大死)だけなら役に立たない。忘れただけだと「はたらき」がない。
>このことが、どういうことなのかよくわかりません。

忘れた(大死)ところに腰かけて、「空」を空じない「空」を認め「空」に執する「病」というのがあるんです。そうだったら、役に立たないのです。
「同等・ひとつ」で「全体的」だったら「個別的」な「機能」「作用」が発揮されないわけです。

ですから、それぞれの「このもの」の「持ち場」「状況」でそれぞれの「縁」が違う様に、「はたらき」様(「色」)も違う、その「違い」を活かせば役に立つということです。
「同じ」ままに「違う」・「違う」ままに「同じ」ということ(「空即是色・色即是空」)です。「同じ」「違う」「空」「色」も「考え」の中だけです。事実にはないんです。それじゃ、ないからと言って何も言わんと話にならんのでそれを知りつつ、また「同じ」「違う」と話すんです。

初詣の参道で昔ながらの飴細工の屋台があります。飴の塊だけでしたら売れんでしょう。鶴の形・亀の形、・猿の形にすると売れるんです。しかも、それらは、お互い邪魔しないで、融通無碍であり、それぞれの持ち味違いの状態(色)がありつつも飴として同等の様子(空)でもある。・・・というようなところです。


>どうして修行する必要があるんでしょうか?

道元禅師で言えば、一通り経典を勉強されて、「本来仏」として出来上がっておるなら「どうして修行する必要があるんでしょうか」と同じ「疑問」を出された。

「法」「事実」から言うと必要ないのですが、「人」から言うと「修行する必要」は、その方次第です。「縁」によります。

経典で「本来仏として出来上がっておる」「あるがまま」と言われても、そんなこと、どうしても受け入れられないという方がおられるでしょう。さらに、徹底解決のため・実証したいために、「修行」するのでしょう。

そして「修行」が始まり、曹洞宗の坐禅で言えば「祗管打坐」、「ただ坐っていればそれでいいんだ」で済ませる僧もおられる。近頃は、「坐禅」も「独参」もなく、「悟りという目的」もない代わりに、「目的を持つなという目的」を教えられていると老師が嘆いておられました。
「ただ 坐っていればそれでいいんだ」で済めばいいですが、それでは、満足はしない方もおられるはずです。そこで「修行」が出てくるのです。
それでは、なぜ必要かと言えば、「ただ坐っていればそれでいいんだ」という「自分」が残っていて、それで「問題」になってくるからです。問題にぶち当たった後はその方次第です。「縁」によります。「神経症」で苦悩する方にとっては、「神経症的苦悩」もそういう「法縁」です。そして「菩提心」が出てくることがあります。

「修行」というと、多くは、「自分」を認め標準に決め、「悟り」という目的地を向こうにセッティングして、釈尊、祖師方の経典・宇佐先生の講話を地図代わりに、「自分」を進ませて近づこうとしますが、そうでない。この「行」はやればやるほど、消耗し別の方へ行ってしまう。一般の修行、一般の療法です。

そうでなくて、すでに目的地におる。ところが、それがそうとわからん。それは、「間違った地図」ということもあるんですが、主に、「我見」「これが自分だ」が邪魔して、事実に眼が行かないからです。「我見」「これが自分だ」から離れる必要があるのです。

「すでに目的地におる」とは、求めるべきは「このもののはたらき」で、すでに求める以前に備わっておるということです。ですから、「状況」にもよおされ「このものの作用活動」にうちまかす。
つまり、「その場その時の必要事」に勤める(=「内側」不問=「我見」「これが自分だ」から離れる)ことです。・・・「これが自分」立ち消えです。・・・「自分」も「もの・相手」もない体験です。・・・「これが自分」が思い込みというのは本当だと気づくんです。

事実を写し取った「考え」「概念」「見解」をわかることと、事実そのものになる・腑に落ちることとは違うのです。
分かる「自分」と「分かったこと」という相対二元で傍観し、事実から隔てをもった理解では至らないのです。
それを結果的に離して、「考え」「分かる分からない」以前の事実にありきるのです。

「これが自分」が思い込みというのは本当だと気づく以前は、「生死する主体」があって、苦悩していたのです。ところが、その「主役」がなかったんです。問題になる「主役」がなかったなら、問題ごとキャンセルですね。

「主体」がないまま、「いろんな出来事」が立ち現われては消える(因縁生因縁滅)それ自体がそれだったんです。除夜の鐘が何もないところからゴーンとなって消えるように。


>世の中の多くの人は、修行なんて考えてもないようだし、そして、

「菩提心」が出るような「因」「縁」がなかっただけでしょう。
「菩提心」が出て、「修行」がひっぱり出されてきて、その上で、「修行」を「修行」で忘れて「修行なんて考えてもないよう」なほど、坐禅=行住坐臥・生活(坐を忘れ・生活を忘れる生活)であることは、よいんです。

ちなみに、・・・ほんとにやりたいことってなんだろう。そして、やっと見つけた、苦労と努力の末、なんとか夢がかなった。素晴らしい友に会えた。一生の伴侶に会えた。大きな社会事業をなした。前人未到の大冒険をした。莫大な富を築いた。・・・としてもですよ。

・・・世間で言うすべてが満たされ生活上の何の苦労も不自由もないところに行きついても、満たされない問題が、最終的に出てくるようです。

釈尊がそうでしょう。その問題解決でそういう当時のあり余るほどの「金・財物・地位・名声・権利・家族」など「世間でいういわゆる幸せ」を投げ打って、「修行」の道に出られたのはご承知のとおりです。

ちなみに、
修証義に「人身得ること難し、仏法に値う(あう)こと希なり」とあります。須弥山の南の閻浮提(えんぶだい=我々が住む人間界・地球)に、釈尊の体験したことは本当なのかと追体験しに来たんだという話もあります。

そして例えですが、宇宙全体を海として海上に穴のあいた木片が浮かんでいる。その海底に盲目のカメがいて500年に一度水面に呼吸しに浮かび上がってくる。その時に木片の穴に亀がひょこっと出る、そのありえないぐらいの確率でしか、この「身心」という道具立ては、簡単に得られないし、「仏縁」に出会うというの難しいのだから、おろそかにできないのだという話があります。


>結局、生も死もないのなら、

一般に、そう思われているかどうかわかりません。
マスメディアも学校教育も一般的な精神療法・現代の森田療法でさへも「これが私だ」という「虚構の土台」の上で「自分らしさ」を育て上げようとしていますから。

「生も死もない」というは、「生死」概念は、事実そのものでないということですね。生きている時は、「生きてる」とことさら説明し概念化しません。「私は女です。」などとわざわざ言わんでしょう。
つまり、「このもの」と「生」がひとつになっています。生きてる状態はその時そのようにあるけれど「生」はないんです。事実には「生」が入り込む余地がないんです。「生」という概念で分別される以前が事実なんですから。
動画のように流動していていて定型がない時、これが定型だと固定化できない(=事実)ところに、人間の認識作用は静止画像にして、それをどこかのファイルに保存して、あたかもその静止画像が元の基本型のように認証してしまうところに「これが私だ」という「司令塔・中心的な核」があると錯覚してしまったのです。

「このもの」も時計や車のように部品の寄せ集めで「中心的な何か」はないものところに、「このもの」は「私」だといつの間にか思い込んでしまったところに「迷い」が出てきたんです。

その「私」が出る前、知る前の、赤ちゃんの時は、だれもが「迷い」「悟り」もなかった(=「悟」)のです。



>ひのきさんのおっしゃるような「??」のままで、修行は続けていけます。

「??」のままとは、「??」の出た「作用」に教わるということです。聞こうとしなくとも救急車のサイレンが聞こえた「作用」に教わると同様です。
構えていて疑問を出そうとして出したんでないでしょう。
それ自体が「結果」であり「そのもの」「証」「脱落」です。

十分ご承知でしょうが、経典・宇佐先生の講話、この愚ブログの屁理屈から教わる(間違いを教わる程度で、「相対二元の考えの世界」で左から右へ移動するだけ)のでなくて、実際に「このもののはたらき」に教わる(殺してもらう・万法に証される)のです。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2016.01.11 00:30
ひのき
不識さま

こんにちは、ひのきです。

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。


>「同じ」ままに「違う」・「違う」ままに「同じ」ということ
(「空即是色・色即是空」)です。…

おっしゃっていることがわかりました。ありがとうございます。
※「??」で放っておいても、いつか答えはどこからかやってきます。
不思議です。


>経典で「本来仏として出来上がっておる」「あるがまま」と言われて…

↑これは「理」で納得しています。
ですが、

>さらに、徹底解決のため・実証したいために、「修行」するのでしょう。

↑私が坐禅(修行)をする理由はこれです。


すなわち、

>事実を写し取った「考え」「概念」「見解」をわかることと、事実そのものになる・腑に落ちることとは違うのです。

↑このご説明の通りです。


>「修行する必要」は、その方次第です。「縁」によります。

↑これは、本当にそう思います。

たとえば…rurumikさんはお菓子作りがとてもお上手でいらっしゃいますが、
私の場合は、「機会があれば」お菓子作りにも挑戦したいですが、
もっぱら食べる方が楽しいです。

なので、世の中の人が仏教や修行などに興味を持たなくても、
私はまったく意に介さず…というか、人それぞれ、得意・不得意、
興味が向くもの、向かないものがあっていい(縁?)ので、
その点は無頓着です。(笑)

まずは「自分」のことに決着をつけてから…
(「自分」に嘘はつけない・ごまかせないです。)
人さまのお役に立てればと思っています。


誰もがモレなく「本来仏」で悟りの真っただ中にいるのだから、
(すでにずっとそうであるのだから)六根にまかせて過ごし、
自覚をすることで心底うなずけるのだと思っています。

丁寧なお示しをありがとうございます。

今後もご指導いただきますよう、よろしくお願いいたします。
2016.01.11 17:38
rurumik
不識さん

お忙しい中、たくさん教えて下さってありがとうございます。

>宇佐先生の講話、不識さんのブログから教わるのでなくて、実際に「このもののはたらき」に教わる・・・

はい。今も、宇佐先生の講話を拝聴したり、不識さんのブログを読ませて頂いておりますが、道しるべとさせて頂いておりますが、自分を立てて地図としているわけでないです。(多分。。)
「聞法したい」という、煩悩?もあるかもしれませんが。。


大死とはたらき、わかりました。ありがとうございました。

>飴細工
素晴らしいですね。

ありがとうございました。

2016.01.11 18:02
ひのき 様へ
>人さまのお役に立てればと思っています。

素晴らしいです。
合掌低頭。
「人さま」という目的語・対象を持たないでただ、動詞だけですとさらに良いです。

>ご指導

指導しているつもりはないんです。
むしろ、余計な屁理屈で皆さんの邪魔ばかりしているのではと案じています。
相対二元世界に終始する神教と違い、仏道は、「教え」は妄想であり、「ご自身・このものという法」に参じて教わるという実際です。

合掌低頭、不識
2016.01.18 00:16
rurumik様へ
ありがとうございました。
合掌低頭、不識


2016.01.18 00:17
ひのき
>「人さま」という目的語・対象を持たないでただ、動詞だけですとさらに良いです。

承知しました。



>余計な屁理屈で皆さんの邪魔ばかりしているのではと案じています。

そんなふうに考えたことはありません。
むしろ、自分では気づきにくい点を的確にご指摘・ご質問してくださるので、
こころよりありがたいと思っています。

先日お伝えした通り、ご教示くださったことがわからない時はわからないままにおりますし。


>「ご自身・このものという法」に参じて教わるという実際です。

はい。承知しました。



今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
2016.01.24 23:52
ひのき 様へ
よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2016.01.25 21:18
M
>①「全治の全治知らず」(宇佐晋一)
>②「私は治った、あなたは治っていない」というは、おかしな話です。
>③ 「治った」なら、その様な事は言わない。
>④「神経症」に「治る」「治らない」という世界はないことを伝えなくてはならんのですから。
>⑤「治り」を認識したら、それはそうではないのです。

上記は全部分かり難い言葉です。
①は全治の人は全治を自覚していない、という意味ですか?
②は神経症は病気ではないから、治った、治っていない、というのは成り立たないという意味ですか?
③は変です。治った人は自分は治っているという自覚があるから、他人に「治った」と言うのではないで
 すか?
④も変です。本人には「治った」とか、「治っていない」とかの自覚があるのではないですか?
⑤も変です。⑤の文章は「「治り」を自覚したら、その時「神経症」になっている」という意味ですか?
 しかし、本当に治っていたら、本人は「治り」を自覚する時があるのではないですか?
2016.05.22 22:15
M様へ
多くのコメントありがとうございました。
M様のご質問の目的をお教えください。
それによって、返答もかわってまいります。
合掌低頭、不識
2016.05.29 21:17
あゆ
質問は口が裂けてもしてはいけない。
質問をしない事が神経症を治す前提条件だからです。
2016.06.01 22:21
あゆ様へ
>質問は口が裂けてもしてはいけない。

「菩提心」からでしたら質問されてもけっこうです。

>質問をしない事が神経症を治す前提条件だからです。

そのような「前提条件」はありません。

合掌低頭、不識
2016.06.06 00:06
M
>「私は治った、あなたは治っていない」というは、おかしな話です。
>「治った」なら、その様な事は言わない。
>「神経症」に「治る」「治らない」という世界はないことを伝えなくてはならんのですから。
>「治り」を認識したら、それはそうではないのです。

上記の文章は、説明が不十分だと思います。理解不能です。なので質問しました。

治りを認識したら、そうでないのでしたら、「治っていない=神経症に戻っている」という意味でしょうか?

治ったらなら、その様な事は言わないのでしたら、何と言うのでしょうか?

2016.06.06 01:22

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