「空」

「この療法ほど心を自由に持っていることができる、心はどのようにでもなりうるということを言う療法は他にありません。世間一般には心の持ち方という、はなはだ窮屈なものを考えて今の皆さんとは別なあり方を尊いというふうに思ってしまう節があります。
例として心が癒されるということが最も良いことのように考えたりします。そうすると、それでない状況はことごとく良くないことになります。これが本当だと決める皆さん方のあり方に対して、もう一切ご自分の言葉でご自身を決めてかかることができないように、その言葉と論理を奪い取られることとみて結構です。」(宇佐晋一)

「言葉」と「論理」で情報化された「概念」をナマの事実そのものと思い余計な用事することから離れたいんです。つまり、「事実風呂」に浸ってあるまま、解脱生活。 
その「概念化された自分」「概念化された心」を不変で固定的な実体あると認識し、「良し悪し」をつけ、加工、改造、削除しようとする一切の「心」の用事は無効です。 そして、そういう「虚構」の中の作業(一部の仏教修行・多くの精神療法含め)によって、程度の差はあるものの、「自縄自縛」する結果となります。
「ご自身を決めてかかることができないように、その言葉と論理を奪い取られる」は、(知らずに)成り立つのです。それは、いわゆる「外向き」生活の時(「修証一如」として)です。
合掌低頭




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.23 2015 他の療法との違い comment4 trackback0

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麦茶
 毎週、記事を読むことを楽しみにしているものです。三聖病院にかかったことはないのですが、今回の記事について、よく分からないところがあるのでコメントいたします。

宇佐先生の講話に 

>例として心が癒されるということが最も良いことのように考えたりします。そうすると、それでない状況はことごとく良くないことになります。これが本当だと決める皆さん方のあり方に対して、もう一切ご自分の言葉でご自身を決めてかかることができないように、その言葉と論理を奪い取られることとみて結構です。

とあります。
最後のところの「その言葉と論理を奪い取られること」というのは、心が癒されることをもっとも良いことのように考えた人が、自分の言葉や論理を奪い取られるてしまう。自由を失ってしまう。ととったのですが、不識様の説明を読んでいて違うのかなと分からなくなってしまったのです。

宇佐先生の講話はとてもすばらしいのですが、私の国語力が不足しているためか時に分からなくなってしまいます。教えていただければと思います。
2015.11.23 17:05
麦茶 様へ
>国語力が不足しているため

国語力で推し進めて行った「分かる」ことの果てに、いわゆる「悟り」や「治り」と仮に呼ばれる事があるのではありません。

>自分の言葉や論理を奪い取られるてしまう。自由を失ってしまう。ととったのですが、

「ご自分の言葉でご自身を決めてかかること」が、「自由」を奪ってるのです。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2015.11.23 20:23
麦茶
こんばんは、ご回答ありがとうございました。

不識様の回答を読んで、「空」を読むことを繰り返して見ましたら、

そういうことかと宇佐先生の言っていることが納得ができました。

ありがとうございました。
2015.11.24 20:50
麦茶様へ
ありがとうございました。
合掌低頭、不識
2015.11.30 19:30

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