「八風吹けども動ぜず」

「動ぜず」という「心」を問題にしているのではありません。
「動ずる」まま、「必要な事」するということです。
合掌低頭





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.13 2015 あるがまま・如如 comment36 trackback0

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2015.12.17 11:49
rurumik
2015.12.17 11.49 コメントしました。
よろしくお願いします。
2015.12.17 11:51
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2015.12.17 17:07
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2015.12.18 16:54
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2015.12.19 04:54
非公開希望
不識様

【2015.12.19 04:54】にコメント致しました。
よろしくお願い致します。
2015.12.19 04:56
(12.17 11:49)様へ
>神経症になることは?

神経症になることもできるし、神経症でならないこともできる。

>南無阿弥陀仏の時は、

「南無阿弥陀仏」だけ。
「気持ち」にはライトが当たってません。
だから、いいんです。

>どうして、「空念仏、結構」と仰っているんでしょうか?

「分かったこと」「考え」を「事実」より先に掲げるなと言っても、
「分かったこと」「考え」を「事実」より先に掲げるなという「考え」が掲げられて、
うまくいかない時、それではそれとして、
とにかく、
「外向き」という「考え」掲げたまま、生活に懸命になっている時、そういう余計な「考え」が落ちて、活動しているそれだけ(はたらきそのもの)になることもあるからです。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2015.12.20 00:50
(12.17 17:07 )様へ
>必要なことをしながらも、私は時々つい、「南無阿弥陀仏」と・・・

「これが私だ」の「私」が言おうとせんでも、(思わず出てきた)「つい、南無阿弥陀仏」に気づけばよいです。
「私」がやってなかった証拠です。
よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2015.12.20 00:53
(12.17 11:49 )様へー2
>また考え方で。。とボソッと、言われたと思います。(はっきり聞き取れませんでしたが)

「こうしておけばいいんだという分かったこと」でもって、
「自分」を取り扱っていこうとするところが外来の面白くないところです。
それを、ボソッと(何回も言っておられたので)言われたんです。
「分かったこと」は、それはそれとして、
ただ、(手ぶらで)
実際に動かされていく、実行だけ。
合掌低頭、不識
2015.12.20 01:01
(12.18 16:54 )様へ
>「自分を概念化しない」

=「外向き」生活です。
よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2015.12.20 01:08
(12.19 04:54)様へ

>必要なことというのが分かりません。

そのような生活上の問題を解決することが必要なことです。

ただ、ご質問の具体的な回答はこちらは場違いです。
申し訳ないですが、詳しい相談は弁護士などに聞いてください。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2015.12.20 01:11
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2015.12.20 04:11
ただいま
不識さん

(12.17 17:07 )様へ から

>「これが私だ」の「私」が言おうとせんでも、(思わず出てきた)「つい、南無阿弥陀仏」に気づけばよいです。
「私」がやってなかった証拠です。

10年以上前になりますが、浄土真宗の在家の方にお話を聞きに行ったことがあります。
「とにかく南無阿弥陀仏を唱えなさい」と言われ「まんまんだぶ・・・なんまんだぶ・・・」と何日も唱えてました。
と、ある日、何にも思ってないのに「なんまんだぶ」と出たことがありました。

それをその方に伝えると、「ほとけ様が出てくれた」と言ってとても喜んで頂きました。しかし、私としては、何が何やら分からず、何でこの方は、こんなに喜んで
くれるのかと、思ったものでした。

そう言うことでしたか。と書いても、いまだ分かりませんが・・・

ただいま
2015.12.20 15:32
rurumik
不識様

いつも色々教えて下さってありがとうございます。
「南無阿弥陀仏」についても教えて下さって、ありがとうございました。
2015.12.20 16:20
(12.20 04:11 )様へ
(お断わりがないので「最新コメント」に反映されてません。お気を付けくださいますようお願いします。)

>他人からは理解されない

理解される「自分」はありません。

>カルマの法則のような物を恐れる事でもあり

説明上「カルマ」と概念化するから、その「概念」=事実と錯覚して、「概念」の世界で恐れるのです。作用としては現われ消えるだけで、「カルマ」という実体はありません。恐れるまま、行動・言動に気をつけることです。

>私の神経症というのが、カルマの法則のような物を恐れる

恐れるだけでしたら、健常です。(それだけでしたら、)それを神経症と自己診断するのは面白くない。

>神の視点

そういう「ない」もので、「自分」を観察することは面白くない。

>そういうことを考えてしまい苦しくなる

何度も申し上げているように、「考え」「概念」=事実そのものと錯覚するから苦悩するのです。
よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2015.12.23 23:46
rurumik様へ
ありがとうございました。合掌低頭、不識
2015.12.23 23:55
ただいま様へ
>何が何やら分からず‥

眼は眼自体を見ることができないのです。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2015.12.24 00:02
-
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2015.12.27 12:56
非公開希望
【2015.12.27 12:56】コメント致しました。
2015.12.27 12:57
(12.27 12:56)様へ
>事実から出発します。

そうなんですけれど、
実際は、事実だけで、すでにそうなんです。
もし、「自分」が「自分」をそのように取り扱おうとなさるなら、そうではないです。
ご承知のことと存じます。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2015.12.27 22:50
-
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2015.12.30 12:10
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不識様

2015.12.30 12:10 にコメント致しました。
よろしくお願いします。
2015.12.30 12:11
(12.30 12:10) 様へ
>風呂場を毎日使っている母親…。自分はとても罪悪感に襲われます。
>カビをなんとかしないと大変な事になってしまうと恐れているのです。

「罪悪感」「恐れ」という状態のまま(「ひとつ」になりきる・ありきる)でなく、「考え」の中で、「罪悪感」「恐れ」をなくそう・離れようと操作しようとなされば、消耗するかあるいは動きが止まってしまうのです。
もし、そういう場合には、これです。

「罪悪感」「恐れ」という状態のままという実際はどういうことかいうと、「コーヒー」の記事の入院体験者のように、「心」は、手を付けられない・つかめないのだから、
いいですか、
「道具」をつかむんです。
後は、手が動くにまかせればよろしい。
実践です。

一体何のためにここに書き込んでらっしゃいますか。
ここは思想の遊技場ではありません。
厳しい専門道場でしたら叩き出されますよ。

よろしいですか。ちょうど季節がら大掃除の頃です。
それに乗じてやってごらんない。


>私さえこんな病気がなかったら修復してもっと気持ちの良いお風呂に入れてあげることができるし、カビのせいで健康を害する可能性も無くせるのに、と。

「もっと気持ちの良いお風呂に入れてあげる」「カビのせいで健康を害する可能性も無くせる」ということに工夫徹底すればよい。
「私さえこんな病気がなかったら」のままやったらよろしい。

ご自身の環境をとやかくいうわけではありませんが、カビだらけで一切掃除しない風呂場は健やかな環境ではないでしょう。化学物質以外でも少しでも除去する方法はあるはずです。

繰り返しですが、「環境」「状況」にもよおされて生活の実践というは、そういうことです。
こんな愚ブログで言葉のやりとり交わして考えの世界から出られん・実践がなされていないのでしたら、ここはあなたの役に立ちません(あなたのためにならんということ)。お互い時間の無駄になります。

実践してごらんなさい。


>カビの影響は無視してしまって問題ないと決めることが、事実‥

「とりあえずカビの影響は無視してしまって問題ない」と決めたのは、ご自身だけの「見方」「考え」であって、ここでいう「事実」そのものとは別です。
「見方」「言葉」「考え」以前のあるがままを「事実」とここでは仮に呼んでいるのです。

>事実より出発

出発しようと「自分」を認め・持ち出し、「自分」を中心に行ずるところが、もし、あったら、それはいくらやっても違う方へ行ってしまいますよと申し上げたのです。

合掌低頭、不識
2015.12.30 19:02
ただいま様へー2
>「ほとけ様が出てくれた」と言ってとても喜んで頂きました。

何も特別なことではありません。
救急車の音が好き嫌いに関係なく聞こえる。まぶた開けたらおのずと見えると同様です。
当たり前すぎてわからんのです。しかし、すごいことです。

>何が何やら分からず‥

「何が何やら分からず」というも、そういう「法」です。
それ自体、「脱落」しておる(「これが私だ」という介在なく「縁」に応じて環境と一如に「はたらき」が作用している)のです。

合掌低頭、不識
2015.12.30 19:15
-
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2015.12.31 14:25
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2015.12.31 14:25 にコメント致しました。
よろしくお願いします。
2015.12.31 14:42
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2015.12.31 16:11
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2015.12.31 16:11 にもコメントしました。よろしくお願いします。
2015.12.31 16:13
(12.31 14:25 )様へ
>風呂掃除はしないという事を書いたつもりはないです。

前回の書き込みですと風呂掃除はしないと受け取られても仕方ないですよ。故に、厳しい事を申し上げた次第です。あしからず。

>カビがある、その影響は不明、というようなことですか?

「カビがある、その影響は不明」ということ以前です。

>取り敢えずその悩みはそのままに他の事(これまで通り取りきれぬまま風呂掃除も含む)をやっていこうと思います。

「・・・と思います。」という「考え」の表明でなく、
「やった。」という実際なら、けっこうです。


>とのことですので、スルーしてもらっても構わないですが。

「スルーしてもらっても構わない」とおっしゃるは、「思想の遊技場」となさってることと同じですよ。
ちなみに、「ここ」は、病院だったら診察室、専門道場だったら、法堂のようなところです。
いわゆる、よろず掲示板のようなもんではありません。
もし、そういうようなことだとしたら、忙しい中、お互い時間の無駄になりますので、ここはご遠慮願います。

もし、そういうようなことでないとしても、
あなたの書き込みは、□□□□過敏症やら、法律相談やら、場違いの書き込みがあります。
もともとは、「ここ」は「神経症」で苦悩して三聖病院に入院通院された方のためにエントリーされたブログということを再確認していただきたいと存じます。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2015.12.31 18:39
(12.31 16:11 )様へ
>苦悩に苦悩しながら風呂掃除をやらざるを得ません。

「風呂掃除をやらざるを得ません」まま、やるという実際です。
「苦悩」に焦点があたっておらんのです。

>であるなら、何の喜びもないように思います。

「喜び」を目的にしていません。

>1時間掛けてやっても、不十分感があります。

「不十分感」を実体あるものとして認め、問いません。

>もしかして私のやり方が悪いせいで、家族を病気にしてしまったらどうしようか…と不安になります。

「不安」になった時は「不安」です。
それだけです。

>洗う時に、この汚れを最終的にどう処理したら、良いのだろうか?と考えるのですが、思い浮かぶ答えがとてもやれそうも無い物です。仕方なく、やれる範囲でやってしまうことになりますが、罪悪感があります。

「やれる範囲」と決めずに、工夫なされば良いです。

何度も申し上げるように、罪悪感があっただけなら、それだけです。
もし、それが問題とおっしゃるなら、
「罪悪感」と認識した時には、それは過ぎ去っておるんですが、・・・「考え」の中でそれを後追いして「概念」に写し取って、その「概念」を「実物」として、さらに、心に「良し悪し」つけて、「自分」に問題を課して「自分」で「自分」を苦しめてらっしゃるんです。

>禅的森田療法とはこの程度の物ですか?

そうおっしゃるなら、おやめになってはいかがですか。

ところで、
「ここ」では、「森田療法」という名がつくと混乱しやすいので「宇佐療法」と仮に呼んでいます。
そして、「宇佐療法」「この程度の物」という実体はありません。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2015.12.31 18:43
レッド
>そうおっしゃるなら、おやめになってはいかがですか。

そう言われて、やめる、やめないという程、大層な物でもないですね。やらなければいけないことは、宇佐療法止めますと宣言したって、やらないわけにはいかないでしょうし。
2015.12.31 20:28
ただいま
不識さん

>ただいま様へー2

>何も特別なことではありません。
救急車の音が好き嫌いに関係なく聞こえる。まぶた開けたらおのずと見えると同様です。
当たり前すぎてわからんのです。しかし、すごいことです。

レッドさん
>やらなければいけないことは、宇佐療法止めますと宣言したって、やらないわけにはいかないでしょうし


トイレに行って小用を足す。水に落ちる音が聞こえる。

人と話をする時は、話をする。

ただ日常のありさま。と思います。


>(12.30 12:10) 様へ

>>事実より出発

出発しようと「自分」を認め・持ち出し、「自分」を中心に行ずるところが、もし、あったら、それはいくらやっても違う方へ行ってしまいますよと申し上げたのです。


私も何度も言われたことでした。

今は、とにかく、自分の、その日の日常に生きて行く

と生活しています。

ただいま


2016.01.05 11:28
レッド様へ
「大層な物でもない」愚ブログおやめになってください。
余計な「屁理屈」に邪魔されず、
「やらないわけにはいかない」の生活です。
合掌低頭、不識
2016.01.11 00:33
ただいま様へ
>トイレに行って小用を足す。水に落ちる音が聞こえる。 人と話をする時は、話をする。ただ日常のありさま。と思います。

「小用を足す。水に落ちる音が聞こえる。 人と話をする時は、話を話をする。ただ日常のありさま」する、つまり、ただ日常生活の徹底というは、
「トイレに行って小用を足す。水に落ちる音が聞こえる。 人と話をする時は、話をする。ただ日常のありさま」を側面から傍観していては、そういうことにならんのです。
「小用」になる。「水に落ちる音」になる。「話」になる(事実の側からみれば「ある」ということです。)ということ。
つまり、「小用」で「小用」がなくなり、「水に落ちる音」で「水に落ちる音」がなくなり、「話」で「話」がなくなるということです。
「その時その場」に、「そのこと」「そのこと」にありきる(「目的」・「そのことやる主体」なくなる)ことです。

ちなみに、
「真実を求めて」とブログにありますね。強いて言えば、求めるとしたらこの六根の「はたらき」しかありません。このこれ以外に、「概念」の世界でつくりあげた「真実」を向こうに立てて(こっちでは「探す自分」が立って)探していこうとすればするほど「迷う」方へいってしまう。
「真実を求めるなら、すべからく、見をやむべし」(信心銘)「真を求むれば正に背く」とあります。「これが自分だ」「修行する私・主語」を認め中心に持ちだして、「真実」(という概念)を向こうに立てて、そこにむけて「求めるという考え」をやめるということです。
そういう「考え」より先の事実に事実する。つまり、ただ、「状況」と「このものという道具」にまかせてもよおされていくと、
・・・(「これが自分」「相手」)すべてなくなり、なんもないところから(中心なく)あることがあるようにあり動いているんだ(「因縁生因縁滅」)というに気づきます。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2016.01.11 00:45
たたいま
不識さん

承知しました。
分かりました。

ただいま
2016.01.12 22:52
ただいま様へ
ありがとうございました。
合掌低頭、不識


2016.01.18 00:18

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