「面倒くさい」と思う時・・

「面倒くさい」と思う時、・・・「自分」の力でやっているんだから、もっとやる気を出さないといかんと思ったり、「自分」が「自分」を動かそうとすることがあるかもしれません。
さて、そのように、「自分」の力でやっているんでしょうか?
合掌低頭






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.27 2013 あるがまま・如如 comment15 trackback0

Comment

レッド
不識様

こちらのブログ大変参考になります。ありがとうございます。
私には、強迫性障害があるのですが、強迫行為を止められない時が多々あります。自分の意思ではどうにもならないから強迫性障害なのではないでしょうか?強迫行為はこの心身に与えられた物として、生活して行くしかないのではないかと考えているのですが、強迫行為を止められないなら、私の宇佐療法は偽物なのでしょうか?
よろしくお願いします。
2013.10.28 10:43
わや
こんにちわ。いつも不識さんのブログを読んでいる者です。
少し質問したいことがありまして。。。お時間があればご
返信頂ければと思います。

まず私は営業職をしていまして、お客様に好感を持ってもら
えるように笑顔ではきはきと、背筋を伸ばして話すようにし
ています。

他にも接客マナー、仕事の段取りを手早くする類の本を読ん
で仕事の仕方を工夫しています。

どうすれば喜んでもらえるか?どうすれば不快にならないか?
同僚とも仲良くしなければならないので、どうすれば好かれ
るか?口調は表情は?と突き詰めると、キリがありません。

私はこのように私を取り扱っているのですが、仕事のことを工
夫している訳で、これで良いのかなと混乱してしまいます。

私がしていることは仕事の工夫ですか?自己改善ですか?

また恋愛でも次会ったら、こんなことをして、このようなことを
言おうと工夫していることは自分に囚われているのでしょうか?

「外のこと」というのが微妙で曖昧な表現ですので、自分のし
ていることが精神作業でいう内なのか外なのか考えている現状
です。

長くなってしまい申し訳ございません。よろしくお願いします。
2013.10.30 05:16
ただいま
>さて、そのように、「自分」の力でやっているんでしょうか?

自分の力でやっているように思えます。

>その気があるないに関わらず、そういう素晴らしいはたらきがあるんです。

素晴らしいはたらきとも思えません。

>状況に応じて、ひたすら、はたらきにまかせていく。

まかせていくとはなんですか?

やさしい・しんらん予備校 井上さんに このブログを紹介しました。

■なかなかいいですね。道元の境地と、親鸞の自然法爾は同じです。
「ただわが身をも心をも、はなちわすれて、仏のいへになげいれて、仏のかたよ
りおこなはれて、これにしたがひもてゆくとき、ちからをもいれず、こころをも
つひやさずして、生死をはなれ仏となる。」これです。もうすでに、そうなので
す。


自分がやっているように思えても

単に聞こえるだけが、素晴らしいはたらきと思えなくても

はたらきにまかせていくこと、がなんだかわからなくても

もうすでに、そうなのだ、と わからなくても

外向き生活、時の最前線(井上さん)

行動すること。

考えるより、電車が走る音を聞く方がよい

聞こう!と思わなくても、聞こえる 電車の音

がよい。

やるだけです。





2013.11.01 10:23
レッド様へ
レッド様は、入院・通院体験がおありの方でしょうか。


>私には、強迫性障害があるのですが、

ご承知でしょうが、今回は仕方ないとして、
「私には、・・・がある」という「自分」を不変の固定した何かと認識し、その「自分」を対象化し、観察して、概念で置き換え、説明して、言語で縛り固定化することをおすすめしません。
その「概念化された自分」を、実際の本物として取り扱うことで迷うです。
「概念化された自分」を、実際の本物として取り扱うでことを、結果として、やめられればよいのです。
 
くどい説明ですが、平たく言えば、前だけです。
眼前生活。
(結果として、「自分」対「自分」の作業が止む=葛藤が止むんです)



>強迫行為を止められない時が多々あります。自分の意思ではどうにもならないから強迫性障害なのではないでしょうか?


止めようとすることが次を産み出し・・・止まらなくなっているんです。
「強迫行為」だけ出てるのであれば、そういう現象だけですから「苦」になりません。(生活の支障になる場合は問題ですが)
「強迫行為の自分」と概念化したものを実際のものと認め、
「強迫行為の自分」対「治そうとする自分」の葛藤が、おもに、「苦」になるんです。



>強迫行為はこの心身に与えられた物として、生活して行くしかないのではないかと考えているのですが、強迫行為を止められないなら、私の宇佐療法は偽物なのでしょうか?


いくら考えの中で、無理やり認知(「与えられた物として、生活して行くしかないのではないかと」)の書き換えしようとしても、出てくる時は出ます。


宇佐療法といっても、そういう実体はなく、単なる看板みたいなものでして、
これといった教えや思想もあるようでなく、ただ、眼前生活(入院生活・自宅生活・学校生活・社会生活)続けてもらうお膳立て・きっかけ・方便です。

そのねらいは、生活そのものですから、いわゆる「症状」「強迫行為」を止めることが「宇佐療法」のねらいではありません。
生活ってまったく関係ないと思われるかもしれませんが・・・
止めようと工夫されていることが、逆に「苦」を再生産しているのです。
そこを再確認してください。

生活の中で、今日は今週は今月は今年は・・というそれぞれの目標のようなものに焦点を置いて、そちらの用事を第一にする。
そして、繰り返しますが、止めようとしない。

「自分」の意思と思い込んでいる「本音」は「建前」で、今やらんといかん、今出かけんと遅刻する、こういう状況でこうしなくてはいかんという「建前」が「本音」です。


さて、・・・・
ここでのコメントを「自分」が「自分」に応用し取り扱おうとしない。
すべてお忘れになって
分かろうとしないで、・・・

「自分」は、それはそれとして、
眼前に、もよおされて、動かされて、生活。


よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2013.11.03 19:54
わや様へ
わや様も通院入院された方なのでしょうか。


>仕事の工夫ですか?自己改善ですか?


仕事に配慮して、「喜んでもらえるか?」を工夫したら、それは、「自分」以外、「外」
(「外」も「内」もないのですが)の工夫です。
「どうすれば好かれるか?」は、「自分」テーマということですね。

テーマにする「自分」はないと知ってください。
改善する対象の「自己」はないと知ってください。
それは、
「自分」「自己」という名の概念・観念・考え・看板・虚構にすぎないからです。
「このもの」を社会生活上、便宜上、「自分」とか「私」という符号を
つけているにすぎないのです。
「このもの」は、「このもの」でしかなく、変化して捉えられない、
「このもの」という実物=「私」という概念としたことで
迷わされているんです。(「このもの」としても認められないですがわかりやすく・・)



>また恋愛・・・このようなことを言おうと工夫していることは自分に囚われているのでしょうか?


「とらわれ」だけだったら、それだけです。
過ぎたことを概念化して、その言語に置き換えられた概念を後追いした、このような問いが、「とらわれ」です。
「とらわれ」をどうかしようとすることで「苦」を自ら生成しているんです。

事実そのものは、とっくに通り過ぎているんですが、
それを概念に置き換えられた情報が残って、そのデータをナマの事実と思い込んでる。
概念=事実と勘違いしているんです。
概念化なければ「とらわれ」も不成立です。
ですから、「自分」を観察して「自分」を評価しない。

繰り返しますが、
この瞬間そういう観察する「自分」はない。
そういう「自分」は、言葉に置き換えられた、情報化された「自分」です。
情報化された「自分」は、ナマのそのものではないということです。
観察できないし、評価できないんです。
眼が眼を見ることができないように。

ですから、
「とらわれた」時、そのまま、手をつけないで、ほったらかしで、眼の前、進めばよいです。

眼の前、進むこと、即、手をつけないで、ほったらかし、「とらわれ」がない(と同等という結果)であるのです。



こちらが何か言おうとするより、・・・
「相手」の事を是非なく、ひたすら、聞くことですね。



>「外のこと」というのが微妙で曖昧な表現ですので、自分のしていることが精神作業でいう内なのか外なのか


「自分」テーマ以外は、「外」のこととお受け取りください。
(繰り返しですが、「外」も「内」も、ありません)
「これが自分だ」についての振りかえり・反省は、虚構であり観念である「これが自分だ」の「自分」を固定的な実体あるものとして相手取ったことになり、その精神作業は「内向き」です。
「行動」について、見た事聞いた事・・した事(「自分」以外について)考えた事について、計画・振りかえり・反省・改善することは、「外向き」の精神作業です。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2013.11.03 20:08
ただいま様へ
>>さて、そのように、「自分」の力でやっているんでしょうか?
>自分の力でやっているように思えます。
>>その気があるないに関わらず、そういう素晴らしいはたらきがあるんです。
>素晴らしいはたらきとも思えません。

そのような思いが出て、かまいません。
良し悪しなし。


>>状況に応じて、ひたすら、はたらきにまかせていく。
>まかせていくとはなんですか?
>やさしい・しんらん予備校 井上さんに このブログを紹介しました。
>■なかなかいいですね。道元の境地と、親鸞の自然法爾は同じです。
「ただわが身をも心をも、はなちわすれて、仏のいへになげいれて、仏のかたよ
りおこなはれて、これにしたがひもてゆくとき、ちからをもいれず、こころをも
つひやさずして、生死をはなれ仏となる。」これです。もうすでに、そうなので
す。


「すでにそうだ」
というのは、「法」 の方からいったのです。
「人」の方からはそうはいえないので、「修行」(状況に応じて、ひたすら、はたらきにまかせていく)があるんです。
「まかせていくとはなんですか?」とは、すでにまかせてある(まかす・まかされる主体も客体もないのですが・・) ままに「落ち着く」修行です。


すでに、「仏のいへ」にあって、「仏のかたよりおこなはれて」おるのに、
「仏のいへになげいれて」なんていうことをわざわざやるのは、
すでに、「仏のいへ」にあって、「仏のかたよりおこなはれて」おることがわからないからです。
 
なぜか?

道元禅師も、かつて、そうだったように、
我見(「私」の見方)を通していて、そのまま見れないからです。



>自分がやっているように思えても 単に聞こえるだけが、素晴らしいはたらきと思えなくても はたらきにまかせていくこと、がなんだかわからなくても、もうすでに、そうなのだ、と わからなくても、外向き生活、時の最前線(井上さん)行動すること。
>やるだけです。


やる(仕事の計画立てる、生活上の工夫などの「外向き」の考えも含め)
だけですね。

「法」 からいえば、すでに、そのように、やってあるんです。

「人」からはもうすでに、そうなのだ、と わからないので「やるだけ」と、そのとおりです。

それで、「結果」から言うと、
「法」 も「人」もなく、・・・「やるだけ」も、・・「わかる」「わからない」もない、
「修行」も「悟り」も「迷い」も、なく、
「ない」「ある」もないのです。

そういう「結果」に、「修行」という名の「旅」をするんですが、
その「結果」は、いつかといえば、「即今」と仮に呼ぶ(認識できない)瞬時です。

言えば言うほど、何だということになりますが・・・これから修錬修業をして、「凡夫」が別物の「仏」に改造していくのではなく、すでに「仏」であるのです。

できあがっているのに、自縄自縛というように、自身で自身を迷わせているんです。
その素材が概念です。
「自分」という概念に振り回されてきたのですから、
それ以外は・・・眼の前だけです。

「自分」以外が『本当の自分』です。
そしてそれを知れば、すべて『自分』ですから、そういう『自分』もありません。


さて、・・・・
分かることで、「全治」や「悟り」を求め、おしすすめても、その果てには、それによって得られることは、ありません。
ここのコメントもお忘れになって、
ただいまさんの、おっしゃるとおりの、「やるだけ」です。
「こちら」から行くというより、「状況」に動かされるように行ったら、「余計」な力費やさず、よいです 。

釈尊の場合で言えば、6年間「自分」という概念に振り回されて、刀折れて矢がつき、どうしようもなくなり、それ以外のところ・・・つまり、「眼の前」だけにあらざるをえない状態(「眼の前」と意識する余裕もないほど、疲労困憊して)になったんです。 それで五官を解放したままであったんです。「こちら」から求めることがやむと「向こう」から、万法から証してくれる。明星の光という縁で「これが自分」が殺されたんです。



よろしくお願いします。
合掌低頭、不識

2013.11.04 14:54
わや
おはようございます。ご返信ありがとうございます。

>わや様も通院入院された方なのでしょうか。

いえ、通院も入院も経験がありません。不安を抑えるような薬等を飲んだこともありません。
去年よりルルミクさんのブログや神経症日記等で三聖さんのやりとりを閲覧している者です。


>仕事に配慮して、「喜んでもらえるか?」を工夫したら、それは、「自分」以外、「外」 (「外」も「内」もないのですが)の工夫です。
「どうすれば好かれるか?」は、「自分」テーマということですね。

ということは営業であれば、人に好かれることも仕事なので、
仕事に配慮して「どうすれば好かれるか?」と考えるのことは仕事テーマだということですか?


>「これが自分だ」についての振りかえり・反省は、虚構であり観念である「これが自分だ」の「自分」を固定的な実体あるものとして相手取ったことになり、その精神作業は「内向き」です。
「行動」について、見た事聞いた事・・した事(「自分」以外について)考えた事について、計画・振りかえり・反省・改善することは、「外向き」の精神作業です。

例えば、「この人の為になにが自分にできるだろうか」と考えることは自分テーマなのか相手テーマになるのか分かりません。
自分テーマでも相手テーマでもありそうな精神作業に対して、どのように内と外を見極めているのですか?


あと癖で自分自身に対して「もっと効率の良い方法を考えろ」と命令します。これも内か外なのか分かりません。
2013.11.10 08:48
レッド
お返事ありがとうございました。私も三聖病院への通院体験・入院体験は無いです。地元の病院に通っています。

>「私には、・・・がある」という「自分」を不変の固定した何かと認識し、その「自分」を対象化し、観察して、概念で置き換え、説明して、言語で縛り固定化することをおすすめしません。
その「概念化された自分」を、実際の本物として取り扱うことで迷うです。
「概念化された自分」を、実際の本物として取り扱うでことを、結果として、やめられればよいのです。

自分の方を見ないということですよね。問題にする自分が居なければ、一切の状況が問題にならないように思います。それが他人から見てどれほど悲惨であっても。

自分テーマは良くないと繰り返し説明して頂いて居るのですが、私も良く分からないです。宇佐先生の本にも、周囲の人に気の利いたサービスをするようにと、周りのために行動していくことが強調されていて、自分の為にするのは良くないことのように思えました。でも腹が空いたからご飯を食べるのは自分の為ですよね?自分の為に必要なことはあるのですが、自分テーマで行動するのをどこまで制限しないといけないのでしょうか?


>止めようとすることが次を産み出し・・・止まらなくなっているんです。
「強迫行為」だけ出てるのであれば、そういう現象だけですから「苦」になりません。(生活の支障になる場合は問題ですが)
「強迫行為の自分」と概念化したものを実際のものと認め、
「強迫行為の自分」対「治そうとする自分」の葛藤が、おもに、「苦」になるんです。

強迫行為の前の強迫観念が辛いです。必要のないことをしないといけない気にさせられて結果やってしまう時が結構あります。それをやめようとすると葛藤になるしやった場合でもすぐに楽になって次の生活上の行動に向かえると良いのですが、強迫行為が中々終わってくれない時、そういう時はどうすれば良いのでしょうか?止めようとするのを止めるということは、強迫行為が終了するのを待つしかないのでしょうか?
2013.11.10 11:40
わや様へ
わや様へ
>>わや様も通院入院された方なのでしょうか。
>・・・ルルミクさんのブログや神経症日記等で三聖さんのやりとりを閲覧している者です。

それは、ありがとうございました。
他のブログでも、コメントを以前にもお送りくださったのですか。



>>仕事に配慮して、「喜んでもらえるか?」を工夫したら、それは、「自分」以外、「外」 (「外」も「内」もないのですが)の工夫です。「どうすれば好かれるか?」は、「自分」テーマということですね。

>ということは営業であれば、人に好かれることも仕事なので、仕事に配慮して「どうすれば好かれるか?」と考えるのことは仕事テーマだということですか?



仕事に配慮して「どうすれば(配慮ある行動が)好かれるか?」と考えるのことは仕事テーマだということです。
いずれにしても、仕事上でも、「好かれる自分」を対象としたら、、「自分」テーマになり、結果、苦悩することになるでしょう。



>>「これが自分だ」についての振りかえり・反省は、虚構であり観念である「これが自分だ」の「自分」を固定的な実体あるものとして相手取ったことになり、その精神作業は「内向き」です。 「行動」について、見た事聞いた事・・した事(「自分」以外について)考えた事について、計画・振りかえり・反省・改善することは、「外向き」の精神作業です。
>例えば、「この人の為になにが自分にできるだろうか」と考えることは自分テーマなのか相手テーマになるのか分かりません。


そう考えることは自分テーマになりません。
「自分テーマなのか相手テーマになるのか」に眼がむかないように。

「相手」「自分」を対象化しないで、ただ、役に立つことを工夫したらよいです。



>自分テーマでも相手テーマでもありそうな精神作業に対して、どのように内と外を見極めているのですか?


「これが自分」「自分イメージ」を対象化(相手)にしたら「内向き」「自分テーマ」と考えてください。
「これが自分」「自分イメージ」が中心に出てこなければよいです。

繰り返しですが、
それ以外、・・・「行動」については、よいです。
仕事の企画・計画・反省・工夫、勉強の仕方の改善、休日の計画・・・

わかりやすいのは、「眼の前」ですが、わかりにくいですか。


(「このもの」の)「動き・行ない」(実際)と、その名札・符号にすぎない、「自分」(観念)を区別してください。
この「身体」は本来何物でもないんです、それを「私」という名前がついたため、「このもの」=「私」「自分」と勘違いが始まって、それでいろんな問題がおきてきたわけです。



>あと癖で自分自身に対して「もっと効率の良い方法を考えろ」と命令します。これも内か外なのか分かりません。


「(もともと「自分」という名札がつかない「このもの」の)行動」に「もっと効率の良い方法を考える」ようにすればよいです。

繰り返しですが、いずれにしても、「内」か「外」なのかが、眼前生活をさておいてテーマにならないように。
ただ、生活上の必要に動かされるようにしていったらよいです。
(たとえ、「内向き」でも、必要に動かされた時、瞬時に「内」を離れますから)


また、わかりにくければ質問してください。
合掌低頭、不識

2013.11.10 22:53
レッド様へ
>私も三聖病院への通院体験・入院体験は無いです。地元の病院に通っています。


ほとんどが認知行動療法や、不問療法としての森田療法を改変してしまった現在の森田療法が主流の中、その病院も例外ではないとしたら、・・その病院の指示とこのブログで申し上げることと合わないことがあるでしょう。
もしそうだとしたら、どうされておるんですか?


>>「私には、・・・がある」という「自分」を不変の固定した何かと認識し、その「自分」を対象化し、観察して、概念で置き換え、説明して、言語で縛り固定化することをおすすめしません。その「概念化された自分」を、実際の本物として取り扱うことで迷うです。「概念化された自分」を、実際の本物として取り扱うでことを、結果として、やめられればよいのです。
>自分の方を見ないということですよね。


そうです。

「見られる自分」があるのではないということです。
もし、「ある」とお思いでしたら、そういう「これが自分だ」という観念があるんです。
その「観念」を「実物」と思い込んでおるんです。
「観念」と「実物」は違うんだよと森田先生は「思想の矛盾」、宇佐先生は「概念化の矛盾」と説明したんです。
もし、忘れておられたら、、再確認してください。



>問題にする自分が居なければ、一切の状況が問題にならないように思います。それが他人から見てどれほど悲惨であっても。


そうです。

さて、、こちらからお聞きします。
問題にする自分が居ない時・・・いつですか?
問題にならない時・・・いつですか?

いままでのやりとりでわかるでしょう。



>自分テーマは良くないと繰り返し説明して頂いて居るのですが、私も良く分からないです。宇佐先生の本にも、周囲の人に気の利いたサービスをするようにと、周りのために行動していくことが強調されていて、自分の為にするのは良くないことのように思えました。
>でも腹が空いたからご飯を食べるのは自分の為ですよね?


「自分」のためではありません。
もしそうだとしたら、それは、「観念」の世界の食事です。



>自分の為に必要なことはあるのですが、自分テーマで行動するのをどこまで制限しないといけないのでしょうか?


「自分」のためにしないと言われると何か窮屈な感じでしょう。
ほんとは、この「自分」が一番窮屈にさせておるんです。

「どこまで制限するか」という以前に、
「このもの」・「身心」と「自分」は別物です。

以前にも他で言ったように、
生まれた時は、このものは「このもの」でもなく、ましてや、「自分・私」ではないんです。(「自分・私」という言葉を知らないから)・・・今でもそうなんです。

「自分の為」、「自分テーマ」でいうところの、「自分」は、そういう(自分という)「観念」であって、「実際」はないんです。


ですから、ご飯を食べるのはご飯を食べる実際があるだけで、説明(「縁」あって「果」があったなど)は後付けです。説明、教え、考えが先にあって、実際があるんではない。
実際が先にあるんです。



>>止めようとすることが次を産み出し・・・止まらなくなっているんです。「強迫行為」だけ出てるのであれば、そういう現象だけですから「苦」になりません。(生活の支障になる場合は問題ですが)「強迫行為の自分」と概念化したものを実際のものと認め、「強迫行為の自分」対「治そうとする自分」の葛藤が、おもに、「苦」になるんです。
>強迫行為の前の強迫観念が辛いです。必要のないことをしないといけない気にさせられて結果やってしまう時が結構あります。



強迫観念だけでしたら、それだけですから、前後が切れた、その瞬間に、それだけ。
男だけだったら、(女と比較で男と言っている事がなくなって、男しかいなくなったら、)男ということがなくなるでしょう。
同様に、その時は、それだけでしたら、比較ない、(比較できない)から、それだけです。
そういうそれだけもなくなってしまう。
ですから、それだけでしたら、問題にしようがないんです。
問題にできるのは、ほんとは(ひとつの枠にひとつの観念しか入らないから)できないその時に、(観念上、枠にふたつの観念つぎはぎして)比較したからです。

強迫観念=☓・その他の観念=○として、自己評価するから、辛くなるんです。
強迫観念とか、自動思考とか・・・いわれておりますが・・・
そういうことも、いわば「仏」の「はたらき」です。
「良い」も「悪い」もなし。


「必要のないことをしないといけない」という思いが出るのは構わない。
それを状況に応じて・・・出しっぱなしにして、必ずしも、心に出たものを使う必要はないんです。


また、、例えば、
緊急事、火事だという時、「必要のないことをしないといけない気にさせられて結果やってしまう」どころではないですね。
ですから、
通勤とか通学で、後、3分で出ないと間に合わんという状況の時、状況に合わせるんです(強迫観念の方あるいは自分の心そのまま)。
ですから、外出だったら、とにかく、道の具を手にする。靴を足にはく。カバンをもってしまう。(心は心の勝手にして、心無責任)

この時、同時に、意識は二つに向かない。
ですから、靴に向いたら、その刹那、意識は靴なんです。

心に行動を合わせるんでなくて。
行動に心が付いてくると表現したらわかりやすいかもしれない。(行動=心と言っていいです)


>それをやめようとすると葛藤になるしやった場合でもすぐに楽になって次の生活上の行動に向かえると良いのですが、


「自分」の状態が「苦」になる「楽」になるを考えようとなさらずに
生活上の行動です。



>強迫行為が中々終わってくれない時、そういう時はどうすれば良いのでしょうか?止めようとするのを止めるということは、強迫行為が終了するのを待つしかないのでしょうか?


「止めようとするのを止めるということは、強迫行為が終了するのを待つしかないのでしょうか?」という、、、
これが、
前回から申し上げるように、
これ自体が、止めようとしているということでしょう。・・・
内側の作業工夫に入り込んだら、・・・例えて言えば、納豆の糸を、箸を突っ込んで切ろうとしても切りきれんように・・・やればやるほど収拾付かんです。

せっかく、「自分の方を見ないということですよね。」とおわかりなんだから、
上記の(強迫のことばかりに眼を向けていらっしゃる)ようにして、
「自縄自縛」しているんです。


「(「自分」の心の問題は)どうすれば良いのでしょうか?」は、
「自分対自分」の工夫の始まる入り口です。
ですから、
入らずに。

「どうすれば良いのでしょうか?」という公案のまま、
眼の前進む(すでに眼の前進んでいるそれを邪魔しない)んです。

繰り返し、「眼前」と申しておるように。
「眼前」だけ。他になし。


よろしくお願いします。
合掌低頭、不識

2013.11.10 23:28
ことぶき
はじめまして。こちらのブログの一ファンです。
「三聖様」のころからコメントに注目してました。とても真理の響きを感じます。
今回の参禅会には参加してみたかったのですが、一歩踏み出せませんでした。
http://blogs.yahoo.co.jp/karupapa21sei
こちらのブログの町野様と仰ってることが同じなので驚いています。
2013.11.11 10:40
わや
今回が初めてのコメントでした。また何か質問するかもしれません。
ご丁寧な対応が嬉しいです。ありがとうございました。
2013.11.16 21:35
ことぶき様へ
>とても真理の響きを感じます。

真理でないものも真理であるものも、そういう名の法です。


>町野様のブログと仰ってることが同じなので驚いています。

そうですか。
どのあたりですか。


合掌低頭、不識
2013.11.17 17:11
レッド
すみません、お返事遅くなりました。

>・・その病院の指示とこのブログで申し上げることと合わないことがあるでしょう。
もしそうだとしたら、どうされておるんですか?

病院の先生からは、あまり突き詰めて考えないようにと言われています。私の症状の一部が何でこんな感覚がするんだろう?という強迫観念なので。正直そう言われても考えてしまうこともあれば考えずに他のことが出来る時もあるというのが実情に思います。
こちらのブログのアドバイスですと考えてしまったら、考えてしまった自分という風に概念化して相手をせず、さっと、生活上の目標に向かうようにということですよね。私には、不識様のアドバイスの方が実践的に思います。

>>問題にする自分が居なければ、一切の状況が問題にならないように思います。それが他人から見てどれほど悲惨であっても。

>問題にする自分が居ない時・・・いつですか?
>問題にならない時・・・いつですか?

『今』です。自分が自分を眺めて自分を変えようとして居ない時、眼前に向かってある時です。

>「どこまで制限するか」という以前に、
>「このもの」・「身心」と「自分」は別物です。

そうなんですか。そこが良く分からないんですよね。
自分テーマは宇佐療法ではダメだとすると、一体どういう行動は良くてどういう行動はダメなのだろうと悩んでしまいます。
ただ悩んでいても悩みのまま過ごせるようになりました。
悩んでる状態を×としなければ特に問題なかったと気づかせて頂きました。

>「必要のないことをしないといけない」という思いが出るのは構わない。
>それを状況に応じて・・・出しっぱなしにして、必ずしも、心に出たものを使う必要はないんです。

分かりました。中々難しいですが引き続き実践していきます。

>「自分」の状態が「苦」になる「楽」になるを考えようとなさらずに
>生活上の行動です。

そうでした。長年の癖でつい楽を求めてしまいました。

>せっかく、「自分の方を見ないということですよね。」とおわかりなんだから、
>上記の(強迫のことばかりに眼を向けていらっしゃる)ようにして、
>「自縄自縛」しているんです。

こちらもそうでした。ついどうにかしようとやってしまっていました。

>「どうすれば良いのでしょうか?」という公案のまま、
>眼の前進む(すでに眼の前進んでいるそれを邪魔しない)んです。

はい、自分で努力して進めるのではないのですね。このものの働きと一つになっていくようにします。
2013.11.17 20:47
レッド様へ
>考えてしまったら、考えてしまった自分という風に概念化して相手をせず、さっと、生活上の目標に向かうようにということですよね。


そうです。


>>問題にする自分が居なければ、一切の状況が問題にならないように思います。それが他人から見てどれほど悲惨であっても。問題にする自分が居ない時・・・いつですか?問題にならない時・・・いつですか?
>自分が自分を眺めて自分を変えようとして居ない時、眼前に向かってある時です。


そうです。


>>「どこまで制限するか」という以前に、「このもの」・「身心」と「自分」は別物です。
>自分テーマは宇佐療法ではダメだとすると、一体どういう行動は良くてどういう行動はダメなのだろうと悩んでしまいます。


自分テーマ以外の行動はよいです。


>ただ悩んでいても悩みのまま過ごせるようになりました。悩んでる状態を×としなければ特に問題なかったと気づかせて頂きました。

そうです。

☓同様○もなくしてください。


>>「必要のないことをしないといけない」という思いが出るのは構わない。
>>それを状況に応じて・・・出しっぱなしにして、必ずしも、心に出たものを使う必要はないんです。
>分かりました。中々難しいですが引き続き実践していきます。

おわかりのことと存じますが、
心を観察して、出しっぱなしにしようと「内向き」の、心の作業にならんようにしてください。

他でも申し上げたように、
出しっぱなしは、「外向き」「眼前」の結果です。


>>「自分」の状態が「苦」になる「楽」になるを考えようとなさらずに生活上の行動です。
>そうでした。長年の癖でつい楽を求めてしまいました。


「本当」の「楽という状態」は、「苦」「楽」という言葉にくくられる以前をいうのです。

「長年の癖の自分だ」というようにも、このものを言葉でくくらない(限定しない)ようにおすすめします。


>>せっかく、「自分の方を見ないということですよね。」とおわかりなんだから、上記の(強迫のことばかりに眼を向けていらっしゃる)ようにして、「自縄自縛」しているんです。
>こちらもそうでした。ついどうにかしようとやってしまっていました。
>>「どうすれば良いのでしょうか?」という公案のまま、眼の前進む(すでに眼の前進んでいるそれを邪魔しない)んです。
はい、自分で努力して進めるのではないのですね。このものの働きと一つになっていくようにします


そうです。
努力が努力するんです。


よろしくお願いします。

合掌低頭、不識

2013.11.17 21:48

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