玄雄先生の体験

 ボーっとしてまったく勉強できなくなり、悩んでいたところ、精神科医に転地療法をすすめられ休養をとったがうまくいかなかった。その後、精神療法を知らない内科医が言うとおり、ノートを広げ勉強する格好し勉強した。気がつけば、それが「治り」だった。
 何かを学び取って、こうすれば、だんだんに、「治る」というものとは別ものです。
「学習」と関係なく、この時の「生活」上、いきなり、知らずに、「治る」のです。
 それは、「これが神経症の自分だ」という「考え」が組み立てられ治そうとできない時、
つまり、「外向きの活動」に徹していた時です。
合掌低頭




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.01 2016 全治 comment10 trackback0

Comment

M
治った人として今生活していることが全治であることは間違いありません。
2016.05.02 17:16
スーパー健康人
お久しぶりです!以前、三省会で隣?に居たものです。□□□□さんと不識さんは同じ方なのですか? 真実すら自分と置き換え理解しようとしてる偽物より。
2016.05.08 15:42
M様へ
「全治」とはカルテ上でやむえず使われる表現で、「治った人として」と言っている間は「治った人治らない人」の枠組みの中に囚われているということです。
十分ご承知のことと存じますが。
よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2016.05.08 18:23
スーパー健康人様へ
まことに申し訳ありませんが、固有名詞を削除させていただきました。どうぞご了承ください。
まことに僭越ながら、このブログは、三聖病院体験者にエントリーされたものですので、ご投稿いただきありがたいです。
以下、よろしければ、どうぞ参照してください。

> 真実すら自分と置き換え理解しようとしてる偽物より。

自分と置き換えるという「自分」とは、「考え」でつくられた「自分」、「これが自分」です。
事実の世界にはありません。再確認してください。
もし、そういう「考え」が出てきましたら、出たまま、使う必要はなく、出しっぱなしです。

さて、ご承知のように、
理解しようとすることは、「自分」以外のことですね。
つまり、「(生活上の)外向き」のことだけにお願いします。

「真実」は理解しようとする前のこのままがそうです。
「真実」を理解しようとしたその時、それから離れます。
「真実」を理解する対象としますと、こちらに「理解しようとする自分」分離して立ちあがるからです。

>偽物

事実には、「偽物」も「本物」もありません。
そういう「名札」をつけ、このものを言葉でくくってしまうことでご「自分」でご「自分」を縛りつけることになるのです。
とにかく、このものを「自分」「私」という「言葉」「名札」で決めないことです。
知らない世界に知らないであらわれてきたのですから。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2016.05.08 18:43
スーパー健康人
返信ありがとうございます! それだけ、それすらない(必要ない 宇佐先生の講話の中で不安を取り除いた心の空白は宗教の世界と… 「不慕千聖不重己霊」三聖病院にの作業室あったそのものなのかと…
2016.05.09 22:34
香菜子
統合失調症の家族を持つ香菜子といいます。統合失調症の家族の介護を日々試行錯誤しながらしています。介護ストレスとイライラで自分が精神病や統合失調症、人格障害にならないように、自己流で森田療法や宇佐療法を学んでいます。森田療法や宇佐療法は、精神病や統合失調症の予防にも役立つのでしょうか?自分はもともと気が強くて自己中心的、身勝手な性格で、周りと人間関係がうまく築けないことも多いので、これを機会にあるがままを受け入れる穏やかな性格になりたいと思っています。香菜子
2016.05.12 12:33
スーパー健康人様へ
スーパー健康人さんは十分ご承知のことと存じますが、この場をお借りして、他の読者の参照としてコメントさせていただきます。

>それだけ、それすらない必要ない

それだけだったら、「それ」もないということですね。
全員男だったら「男」と言わなくなると同じこと。
それだけの実際というのは、こちらに分かる「私」があって、あちらに分かる対象の「真実」があるというのでないですね。
こちら・あちらと別々になる以前ということです。
「理屈」抜きというより、「理屈」出る前ということです。
いわゆる「今」という認識以前のこのとおり。

>不慕千聖不重己霊

そうですね。
(「霊」とは霊魂ではなく、精妙なはたらきを意味します)
「心」について教わることは何もない。
そのまま手つかずで、いわゆる「満点」です。
「心に用事なし」。

とらわれた時はとらわれたまま、不安な時は不安のまま、緊張する時は緊張のまま、落ち着かん時は落ち着かんまま、・・・それを「道」と呼び、カルテ上「全治」と呼んでます。
「心に良し悪しなし」。

それで、「心に用事なし。心に良し悪しなし。か、そうか」といって、それでもって、「自分」を取り扱おうとしたらいけませんね。「自分」対「自分」の、「内向き」の工夫になりますので。

「心に用事なし。心に良し悪しなし。」の実際は、
ただ、
「その場その時の必要」に応じた、「外向き」活動・生活です。

合掌低頭、不識
2016.05.16 00:17
香菜子様へ
>森田療法や宇佐療法は、精神病や統合失調症の予防にも役立つのでしょうか?

以前にもお答えしたとおりです。

>自分はもともと気が強くて自己中心的、身勝手な性格で、周りと人間関係がうまく築けないことも多いので、

「気が強くて自己中心的、身勝手な性格である」と仮にいたしても、それはそのまま。(「内向き」の作業しない)
「その時その場で必要なこと」を、「周り」と協力して行動すること(「外向き」の行ない)をしてください。

>これを機会にあるがままを受け入れる穏やかな性格になりたいと思っています。

どんな「思い」もかまわないですが、
「穏やかな性格」になるための工夫、つまり、「内向き」の作業しないようにおすすめします。

合掌低頭、不識
2016.05.16 00:20
スーパー健康人
返信ありがとうございます!
2016.05.16 02:49
M
「治った人として今生活していることが全治であることは間違いありません。」という言葉は、宇佐先生の言葉です。

不識さんの説明の意味がよくわかりません。
「治った人として今生活している」のであれば、「全治=神経症のない健康な人」ではないのですか?

ところで、宇佐先生は「健康な人のように生活しなさい」とか「忍者のように生活しなさい」とか表現されますが、これは、つまり「神経症が治った人のように生活しなさい」という意味ですか?

宇佐先生は、「瞬間的に全治」という言葉を使われますが、これは、神経質のひとは「瞬間的に全治」したり、「瞬間的に神経症」になったりする、という意味にとれます。
つまり宇佐先生は神経質の人は瞬間的全治と瞬間的神経症を繰り返す人だと考えておられるのでしょうか?

不識さんは瞬間的全治と瞬間的神経症の繰り返しではなく永続的全治の状態にあるのですか?
2016.05.22 21:15

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