春は花、夏ほととぎす、秋は月、冬は雪・・

「春は花、夏ほととぎす、秋は月、冬は雪・・」(道元禅師)とあるとおりです。
「自己究明」の「自己」とはそういうことです。
「このブログ」、「宇佐先生の話」も、「道元禅師や釈尊をはじめ祖師方の語録」も、「仏教」も、「説明概念」であり、事実そのものでない「虚構」ですので、手放さず残しておかないようご注意ください。
「神経症」も「全治」も、「生」も「死」も、「迷い」も「悟り」もありません。認識以前の事実があるようにあるのです。
「考え」の世界を離れていただけるよう、「宇佐療法というお膳立て」が用意されておるのです。
合掌低頭








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.03 2013 道元禅師 comment25 trackback0

Comment

ただいま
デスクトップから離れ、あらゆるスクリーンから離れ……

この、デスクトップ、スクリーンとは、この道のことを、あれこれ探さないで、と言う意味でしょうか、
それとも、画像化された、仮の世界を離れ……映画を見ることであろうと……今の自分の現実にいる、
ということでしょうか?
2013.11.09 14:51
ただいま様へ
>>デスクトップから離れ、あらゆるスクリーンから離れ……
>この、デスクトップ、スクリーンとは、この道のことを、あれこれ探さないで、と言う意味でしょうか、それとも、画像化された、仮の世界を離れ……映画を見ることであろうと……今の自分の現実にいる、ということでしょうか?


「画像化された、仮の世界を離れ」ということです。
「実際」とは別の、情報化された「虚構」を離れということです。

「自分対自分」の世界をそう例えたのです。



(月をみたら、指であるその「虚構」も実際の一部ということが後でわかるのですが、それは月をみないとそうは言えません)


よろしくお願いします。
合掌低頭、不識

2013.11.10 22:14
ただいま
>「画像化された、仮の世界を離れ」ということです。
>「実際」とは別の、情報化された「虚構」を離れということです。

>「自分対自分」の世界をそう例えたのです。

自分の頭の中にも、常に画像化(想像化)された思いが湧いて来ます。

昨日のこと・・・1か月も前のこと・・・明後日のこと・・・1年も先のこ

と・・・

そして「自分対自分」の繰り返しが、延々と続くのです。

湧くのは、自分ではどうしようもありません。

だから、良い、悪いもありません。

湧くに任せるしかありません。

が・・・・・

「任せる!」と思うも、また、任せないで「自分対自分」を続けるも

同じことです。

それすら「自分対自分」の範疇です。

外向き、

今の事実、目の前のこと

と、ふと「自分対自分」をやっている

と、認識するやいなや、外向き

今、していた「自分対自分」に、良し悪し なし。

良し、悪しをつけた、その時点で、また「自分対自分」

ひたすら、目の前の事実にひっついて行く

なかなかタフなことです

「自分対自分」がこびり付いておりますから・・・
2013.11.11 16:38
ことぶき
>ひたすら、目の前の事実にひっついて行く なかなかタフなことです


不識様はこれで現在の境地を得たのでしょうか?
「ひっついていこう」としたら、また自分対自分になってしまいますよね。結局、「意志」が問題の本質なのでしょうか?
2013.11.11 17:37
ただいま
ひっついていく、と言うことが、外向き、と言うことです。

不識さんが、月を指す指と言われました。

自分対自分が、ゼロであれば、もう、悩むことも、求めることもいりません。

内向きになろうとする自分に、グッと頑張って外向きに生きると言うことです。

完全に、自分対自分ですが、内向きで行われる、無意味な自分対自分、とは、また違うと思います。

やってみて、
完全に、自分対自分、の死闘と、私は思います。

ただ、不識さんの考えは、また違うかも知れません。
2013.11.11 19:38
ことぶき
ただいま様、ご返答、ありがとうございます。


>内向きになろうとする自分に、グッと頑張って外向きに生きると言うことです。
完全に、自分対自分ですが、内向きで行われる、無意味な自分対自分、とは、また違うと思います。

意志(グッと頑張って)が働いてしまうので、また自分対自分になってしまうのではないでしょうか?と思ったのですが・・・違う「自分対自分」あるということですね。
ただいま様はご自身で実践されてるようですね。ありがとうございます。
2013.11.11 20:02
ただいま
付け足しですが、

「ひっついていこう」と「ひっついて行く」
は、違うと思うのです。

外向きが出来ている時は、ひっついています。

ひっついていこう、と思っている時は、外向きでは、ありません。

ひっついていこう!と思う心もそのままに、
外向き。

ひっついて行く。です。

と、今の私は考えています。
2013.11.11 20:06
ことぶき
ただいま様、再びご返答、ありがとうございます。

>ひっついていこう、と思っている時は、外向きでは、ありません。

ひっついていこう!と思う心もそのままに、 外向き。

なるほど・・よくわかりました。不識様も同じようなことを仰ると思います。

また、よろしくお願いします。
2013.11.11 22:29
ただいま
ことぶき様

昨日は出先から、スマートフォンにての入力でしたので、要点のみと

なってしまいました。

私にも、よく分からない、この道ですが、迷いながらも進んで行こうと

思っている次第です。

拙い私の返答にて、失礼致しました。

やり取り出来ましたこと、有り難く思います。

こちらこそ、また、よろしくお願いします。
2013.11.12 14:54
ただいま様へ
>>「自分対自分」の世界をそう例えたのです。
>自分の頭の中にも、常に画像化(想像化)された思いが湧いて来ます。


繰り返しですが、
どんな思いが湧いても構わない。思いっぱなし。
思いっぱなしでしたら、自分対自分になりません。一方通行だから。


>そして「自分対自分」の繰り返しが、延々と続くのです。

このように、
自分を固定的で不変なものとして認識し、概念化して言葉で決めこまないようお勧めします。



>「任せる!」と思うも、また、任せないで「自分対自分」を続けるも同じことです。それすら「自分対自分」の範疇です。

まかせるというのは、実行です。
すでに、実行されているそのまま、邪魔しないことです。
考えの中で「任せる!」と思っても思わなくても、この「身心」は、すでにまかせてあるんです。



>今の事実、目の前のことと、ふと「自分対自分」をやっていると、認識するやいなや、外向き今、していた「自分対自分」に、良し悪し なし。良し、悪しをつけた、その時点で、また「自分対自分」・・


デスクトップから離れ、・・・「自分対自分」にならないようにと申し上げたのは、
「内向き」から離れていただきたいという趣旨ですが、
さらに、「内向き」拍車がかってしまいたくないんです。

「何もしない」とは、結果として、「内向き」に何もしないことです。
繰り返しですが、
「内向き」から離れるというのは、実行の結果としてです。
眼前生活と同時に(知らないうちに、即、)離れてしまうんです。


>ひたすら、目の前の事実にひっついて行く、なかなかタフなことです。


「24時間365日心臓動かしていくなかなかタフなことです」なんていわんでしょう。
すでに、目の前の事実にどっぷり浸っているんです。
そうなのに、
これから、目の前の事実にひっついて行こうと、自分を持ち運ぼうとすると、
逆になってしまう。
趙州と南泉の『平常是道』でいう「擬すれば背く」とあるとおりです。


>「自分対自分」がこびり付いておりますから・・・

繰り返しますが、
このように、「自分」を認め、対象として扱い、観察して、概念化しないことをお勧めします。

過ぎ去ったことは、もうないです。
眼に見たことが残っていないように。

毎回毎回その場その時限り。

ですから、どうぞ続けてください。


よろしくお願いします。
合掌低頭、不識


2013.11.17 17:20
ただいま様へー2
>「ひっついていこう」と「ひっついて行く」は、違うと思うのです。外向きが出来ている時は、ひっついています。ひっついていこう、と思っている時は、外向きでは、ありません。
ひっついていこう!と思う心もそのままに、外向き。ひっついて行く。です。と、今の私は考えています。


わかること、考えをすすめていって、その行きついた果てに、「脱落・悟」があるのではありません。

解説としてはその通りですが、ご本人にしてみたら、
「ひっついていこう!と思う心もそのままに、外向き、ひっついて行くと、今の私は考えています。」が、忘れ去られないと、
「外向き」という状態ではないのです。

内向きの「私の考え」をさておいて、状況に、もよおされ、実行されるんです。
実行されなかったら、現われずに終わります。

十分おわかりのことと思いますが、再確認してください。


よろしくお願いします。
合掌低頭、不識


2013.11.17 17:30
ことぶき様へ
>>ひたすら、目の前の事実にひっついて行く なかなかタフなことです
>不識様はこれで現在の境地を得たのでしょうか?

そのようにしか聞きようがありませんが・・・
揚げ足取りではないんですが、、、
「現在の境地」という特別なものはありません。
ですから、「得る」と表現されるのは、これから修行によって得るのでなく、すでに得ていたということです。

『平常是道』とあるとおりです。
そして、
そう概念化したら、そのものから、離れてしまう。
ですから、「得ていた」も残さないのです。

お聞きになりたい事は、
どのように自忘したかということでしょう。
つまり、
縁によって、縁に殺されたんです。



>「ひっついていこう」としたら、また自分対自分になってしまいますよね。


そうです。

「ひっついていこう」としたら、また「自分対自分」になってしまいます。
「自分」を認め持ち運ぶことになりますから。

それでも、一所懸命に打ち込んでいると、空念仏も知らずに本念仏になることが、多々あります。

「自分対自分」の状態であっても、以前にも申したように、それを後追いして、「自分対自分の工夫している自分」対「そういう自分をどうにかしようとする自分」にならないことです。

ですから、・・・とにかく、実行ですね。



>結局、「意志」が問題の本質なのでしょうか?

「意志」というより、いわゆる「発菩提心」・「実行」でしょうね。


よろしくお願いします。
合掌低頭、不識




2013.11.17 17:34
ただいま
>ですから、どうぞ続けてください。

承知いたしました。

ただいま
2013.11.18 16:11
ただいま
『「面倒くさい」と思う時』の不識様からレッド様へのコメントから

>>「どうすれば良いのでしょうか?」という公案のまま、眼の前進む(すでに眼の前進んでいるそれを邪魔しない)んです。
はい、自分で努力して進めるのではないのですね。このものの働きと一つになっていくようにします


そうです。
努力が努力するんです。


ここを続づけることです。

ただいま
2013.11.19 18:47
ことぶき
不識様、ご返答ありがとうございます。しばらく、パソコンから離れていたので、返事が遅れてしまいました。
他の方のとのやりとりからも学ぶところが多々あります。
>「自分」を認め、対象として扱い、観察して、概念化しないことをお勧めします。
これに尽きると思います。あとは実行ですね。

井上系統の座禅と町野様のことを不識様は認めておられて、安心しました。
2013.11.20 20:22
ことぶき様へ
>井上系・・町野様のこと・・、安心しました。


井上義衍・・町野さんがどうして間違いないのですか?
ことぶきさんにお聞きしていいですか。


よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2013.11.23 20:03
ただいま様へ
ご返信ありがとうございました。
そうです。
よろしくお願いします。


合掌低頭、不識
2013.11.23 20:13
ことぶき
>井上義衍・・町野さんがどうして間違いないのですか?
井上系統の座禅が正しいのか間違ってるのか、今の私には、はっきりわかりません。
ただ、すごく魅力的な響きがあります。
不識様のコメント(三聖様のとき)が全然ブレなかったので、きっと井上系統の座禅の方であろうと思い込んでおりました。

>井上義衍老師、原田雪渓老師は、正師です。
町野さんも間違いありません。
よいご縁です。

このコメントを読んで、やはり同じ方向性の方だと思い、安心したしだいです。
方向をおおざっぱに分けると、「意を運ぶ」か否かだと思います。
意を運び続けるのも大変だけど、手放しも大変。そんなとこでお茶をにごして、座禅の真似事をしております。
2013.11.23 21:05
ことぶき様へ
>正しいのか間違ってるのか、今の私には、はっきりわかりません。

神教と違って、盲信するのでなく、
禅では、自ら実証し、「師」を証明するんです。


>魅力的な響きがあります。

魅力的な響きとは?
お聞きしてよろしいですか。


>方向をおおざっぱに分けると、「意を運ぶ」か否かだと・・

これでは、「内」向きになるでしょう。
(いつも言うように「内」も「外」もありませんが)

そういうことを考えておってもよいから・・・
とにかく、
周囲の縁に応じて実際の行ないです。


よろしくお願いします。
合掌低頭、不識

2013.11.24 11:22
ことぶき
不識様、ご返答ありがとうございます。

>禅では、自ら実証し、「師」を証明するんです。
厳しいお言葉です。嗣法レベルの方でないと、この言葉は出てきません。
さすがです。私は師もいません。「上を見たら切がない、下を見ても切がない。まぁ、この辺で」って感じです。「発菩提心」が希薄なんでしょう。

>魅力的な響きとは?
世間一般の教えって、結局どこまで行っても「自分対自分」なんですよね。井上、宇佐系はそれがないとこですかね。あと嗣法レベルの方はみなさん、ブレないです。

>周囲の縁に応じて実際の行ないです。
なるようにしかならないって感じで生きてます。

2013.11.24 16:53
ことぶき様へ
>「上を見たら切がない、下を見ても切がない。まぁ、この辺で」って感じです。「発菩提心」が希薄なんでしょう。

「上」も「下」も「この辺」も「希薄」もお忘れになって、
ただ、眼前生活。
そして、「ただ」も「眼前生活」もなくなるほどにうちこんでください。


>世間一般の教えって、結局どこまで行っても「自分対自分」なんですよね。・・

そうです。

ほとんどの禅の世界もしかり。
そして、特に、神教から発した精神医療の世界もそうです。
残念なのは、せっかく不問をかかげた、オリジナルバージョンの森田療法を改変した、現在広まっている森田療法は、他の療法よろしく「自分らしさが大事だ」などという堕落ぶりです。
その他、特に、スピリチュアル系です。一見よろしく見えるのですが、「これが自分」を立ち上げてその上に教えやら気づきを積み上げて、着膨れして天に上昇していく。

ご承知のように、仏道という方便は、引っ剥がしていくんです。そして、「もうダメだ」
「どうしようもない」の言葉も出ないほど奈落に落とされ、それで救われるんです。

合掌低頭、不識



2013.11.24 18:46
ことぶき
不識様、ご返答ありがとうございます。

>そして、「ただ」も「眼前生活」もなくなるほどにうちこんでください。
うちこむって・・・わからないんですよね。「わからないまま」うちこんでくださいって言われてしまいそうです。
「浜松の禅修行」の関東の老師は100日寝ずに座禅したようですが・・
やはり決着をつけた方は凄いですね。
2013.11.24 20:13
ただいま
不識様から、ことぶき様へのコメントより

>ご承知のように、仏道という方便は、引っ剥がしていくんです。そして、「もうダメだ」
「どうしようもない」の言葉も出ないほど奈落に落とされ、それで救われるんです。

私は禅より浄土真宗を学んで来ましたが、この不識様の表現は、とても浄土真宗

的な言い方ですね。

「地獄は一定(いちじょう)すみかぞかし」親鸞 聖人

「地獄一定と思うてみれば 地獄極楽 用事なし」 森ひな(妙好人)


「外向き」と「奈落に落とされ」ここを、まだ理解で結びつけようとしていま

す。

もちろん、親鸞聖人の「地獄は一定すみかぞかし」も分かりません。

が、今は、外向き生活を、弥陀まかせ(努力に努力させる)で実行中ですので、

理解しようとする、自分対自分は、そのままになるところで、外向きです。


2013.11.26 13:49
ことぶき様(11.24)へ
>そして、「ただ」も「眼前生活」もなくなるほどにうちこんでください。
うちこむって・・・わからないんですよね。「わからないまま」うちこんでくださいって言われてしまいそうです。


ことぶきさんは理の上でよくわかるはずです。
以前、神経症日記ブログに別名で投稿された方ですか?

ここにはどういう目的で投稿されてらっしゃるのか、よろしければ、お聞きしていいですか。



さて、・・・「わからないんですよね」ということですが・・・

「うちこむ」は、「打坐」する・「(生活)徹底する」ほどの意です。
「わからないまま」という「わかる・わからない」の「自分」納得手続きの段取りした後、次に「うちこむ」ではないんです。
それ以前に、生活上の必要に、もよおされるから行動があるんでしょう。
「うちこむ」=「わからない」・そのものです。



>「浜松の禅修行」の関東の老師は100日寝ずに座禅したようですが・・やはり決着をつけた方は凄いですね。

それぞれ、縁が違うのです。
無理する必要はありません。


よろしくお願いします。
合掌低頭、不識


2013.11.30 20:30
ただいま様(11.26)へ
>>ご承知のように、仏道という方便は、引っ剥がしていくんです。そして、「もうダメだ」 「どうしようもない」の言葉も出ないほど奈落に落とされ、それで救われるんです。
>私は禅より浄土真宗を学んで来ましたが、この不識様の表現は、とても浄土真宗的な言い方ですね。・・「外向き」と「奈落に落とされ」ここを、まだ理解で結びつけようとしています。・・が、今は、外向き生活を、弥陀まかせ(努力に努力させる)で実行中ですので、理解しようとする、自分対自分は、そのままになるところで、外向きです。


そうです。

「奈落に落とされ」=「外向き」

「奈落に落とされ」たら、
「奈落」も「自分」も・・・それどころではないでしょう。
「自分対自分」は、そのままになる(=それだけになり、比較がなくなる)、
つまり、消滅する。
後は「外向き」しかないのです。
つまり、「外」もない(だから「内」もない)のです。


よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2013.11.30 20:34

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