「教え」

この「療法」には「神教」のような「教え」「思想」がありません。
今の「自分」は☓だから、「教え」に従って〇に、さらに◎になるように、
最終的には「理想の自分」「神」に近付くため学習訓練することとは別ものです。
こういう「修行」はどこまで行っても「二元相対」から脱することができません。
「教え」がないから、「洗脳」もありません。
合掌低頭




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.16 2016 他の療法との違い comment2 trackback0

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スーパー健康人
目の前の仕事に手をつけてゆく…実際の生活… 「心に用事なし」 ありがとうございます!
2016.05.18 22:53
スーパー健康人様へ
>目の前の仕事に手をつけてゆく…実際の生活… 「心に用事なし」

スーパー健康人さんは、三聖病院の「修養生活」をされたので、
十分、「身」についておられることと存じますが、「他者」の参考までに申し上げます。

目の前の仕事に手がついている時、「目の前の仕事に手がつける」というフレーズがなくなっています。
実際の生活時、「実際の生活」というフレーズがなくなっています。
「心に用事なし」時「心に用事なし」というフレーズがなくなっています。
コメント上、仕方ない事ですが、実際はそういうことですね。

そういう実際の時、
『目の前の仕事に手をつけてゆく…実際の生活… 「心に用事なし」』する「自分」が立ち消えていることに気づく時があります。
「自忘」と呼ばれます。
もともと、「これが自分」というものはないということです。
社会生活上、このものが、□□君、○○さんと呼ばれることで、このものは、「そういう名の私だ」という「思いこみ」であったことがわかります。
換言すると問題にする対象の「自分」はない(「一如」)ということです。
一如ながら分かれてある。分かれながら一如。
ないながらある。ありながらない。
「有情非情同時成道」です。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2016.05.22 17:07

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