「自己観察」「自己概念化」しない-2

世界で300以上の精神療法がある中で「自己観察」しない・「自己概念化」しないのは、
「森田原法の不問」を受け継いだ「宇佐療法」だけです。
「私はこんなふうにつらいです。こんな私をわかってください。」という「承認欲求」から離れてもらうのです。
ここでもそういうコメントする方は、よろしくないので、離れていただいております。

「自己観察」・「自己概念化」するから、「神経症」が成り立つのです。

実際に、観察できる「自己」はないのです。
眼が眼を見ることができないと同様です。
合掌低頭





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.06 2016 他の療法との違い comment12 trackback0

Comment

M
>「自己観察」・「自己概念化」するから、「神経症」が成り立つのです。

「私の経歴」とか「自叙伝」で、自分の辛かったことを書くのは「自己観察」・「自己概念化」ではないのでしょうか?それを書いた人は神経症なのでしょうか?


>眼が眼を見ることができないと同様です。

鏡で自分の眼を見ることができますので、この比喩は解かり難いです。
2016.06.06 01:46
凡人
「世界で300以上の精神療法がある中で」を「仏陀を除いた人類が生み出したもの中で」に言い換えた方がいいくらいだと思います。もうブッダの般若心経のレベルです。
ですから、療法という言葉を落とした方がいいと思います。療法と言う言葉に病人を治すという意味が含まれていますので、誤解を生みやすいんじゃないかな。
みんな、質問してもわからなくなって、そのうち離れていくんじゃないでしょうか?
凡人の戯言ですので、スルーしてください。ただのつぶやきww
2016.06.06 19:34
凡人
精神療法のカテゴリーに入れない方がいいという意味ですよ。
もう宗教です、真理探究、悟り系の宗教ですね。
こちらのブログを見る方は、少しでも楽になりたい、そのためにヒントを得たいと毎週月曜日を楽しみにしてると思います。ところが教え自体は身も蓋もないような教えなので、読者はなんとかしたいと毎週思い続けるぶんだけで、自己観察、自己概念化を強めてしまってるような気がします。教えられないことを教えようとしてる弊害のよな・・・・
ブログ主様は素晴らしい方だと思いますよ。尊敬しております。

凡人の戯言です。もうコメントしません。失礼しました。
この様な教えを知って、2年以上経つ方は共感してくれるかもww
2016.06.07 18:38
スーパー健康人
「鏡」を使って眼を見る必要がない。鏡(自己?考え? は無駄かと思います。宗教…宗教の悟りと神経症の完治?は同じようなものです。究極の場面ではだからどうだという考え自体が不要かと思います。 このブログで考えを近いほうへとしますと脱線になるかと… 自分でもわけがわからない話ですが…不識さんとは違う形で伝えられたらと思います。
2016.06.07 23:29
凡人様(6.06 19:34)へ
当ブログへ、ただのつぶやきありがとうございました。
こちらのお聞きしたことにご返答くださらないし、その上、「スル―してください、もうコメントしない」とおっしゃるので、他の読者用にコメント申し上げます。

>概念化対象化をしないって、不可能じゃないかね。
(訂正前のコメント)

もしこういう方がいらっしゃるとしたら、あるがままということがはっきりしていないのです。
あるがままとは、「あるがまま」という概念以前の様子・「即今」を指し示すのです。
講話で言うと、「マイクロフォンでないものが見えますか」ということです。

>宇佐療法をまとめると・・・ 悩むから問題が生じ、悩まなければ問題は消える。だから悩まなければ、悩みはなくなる。

そういう理解を促したつもりはありません。
例え、「まとめ」が正確であったとしても、・・・その「まとめ」で「自分」を取り扱うことになってはいかんと申し上げております。これは、現在世界に広まっている森田療法が、オリジナルの不問療法と言われた森田原法からはずれたきっかけでもあります。

>療法という言葉を落とした方がいいと思います。療法と言う言葉に病人を治すという意味が含まれていますので、誤解を生みやすいんじゃないかな。

神経症苦悩してらっしゃる時は、多くは「病」と思いこんでいて、(そちらに合わせて)「療法」という言葉は検索するきっかけになることが多いので残しております。

「病」(客観的な障害・器質的障害)ではなく「病態」(主観的な障害・機能性障害)であることも、講話でよく出てきます。三聖病院入院された方は、ご心配なさらずとも、お分かりだと思います。すべてと言いきれませんが。

そして、「分かる」ことで「治る」わけではないので、「誤解」されてもかまいません。
「誤解」のまま「治る」証拠に、有名な神経症サイトの管理人さんたちは(「治って」おられるということですが、)言うことは「誤解」も多い。

合掌低頭、不識
2016.06.13 00:08
凡人様(6.07 18:38)へ
凡人様、
ありがとうございます。

>ブログを見る方は、少しでも楽になりたい、そのためにヒントを得たいと毎週月曜日を楽しみにしてると思います。

楽になりたい「ヒント」を得たいとしたら、それは「間違い」です。
以前より申し上げ、入院された方は講話でもよく聞かれたはずです。
結果として「楽」になるのはかまわないが、「楽になりたい」と求めて、工夫をするから「苦悩」するのです。

>読者はなんとかしたいと毎週思い続けるぶんだけで、自己観察、自己概念化を強めてしまってるような気がします。

それは、あなたの「思い」であって、そうかもしれません。
しかし、そうも言いきれません。

>教えられないことを教えようとしてる

「心」(心意識)について「教わること」は何もないのです。
(しかし、いわゆる「外のこと」については、わからんことは子供にでも教わる)
困るとしたら、すでに、出来上がっているところに、「本人」が邪魔しているのです。
「神教」とは別で、「教える側」と「教えられる側」があるんではないのです。

>教えられないことを教えようとしてる

「教えようとしてる」のでなくて、「教わろうとしてる」ことが「問題」です。
釈尊の言われたことをすべて覚えていたと言われる阿難尊者が、釈尊がなくなって悟るまで約30年かかった話からも分かるように、「教え」では「到る」ことはできないのです。

(分かることは、せいぜい、そっちのほうにいくのは違いますよというぐらいです)

合掌低頭、不識
2016.06.13 00:14
スーパー健康人様へ
>「鏡」を使って眼を見る

「鏡を使って眼を見れるではないか」という論には、少々驚かされました。

私が三聖病院入院しおかげさまで退院させていただき、その後、精神療法の世界を勉強させていただきつつ森田療法学会に参加批判する機会を与えられ、先生の許可を得て3年ほど、診察室で研修させていただきましたが、その期間にどなたからもこんなことは聞いたことがありません。
スーパー健康人さんは、ご承知のとおりです。

あえて言うまでもなく、この瞬時、直接に見ることができないことを言いたいわけですね。

「鏡を使って眼を見れるではないか」という論は、「こちら側」を、「鏡を見る側の自分」を想定しておるのです。
これは、「間違い」です。
そういう「自分」は、「虚構」です。
ご承知のとおりです。

>鏡(自己?)

「鏡の側」が「実際」です。
「自己」という言葉を使った表現したければ、「本来の自己」です。

>考えを近いほうへとしますと脱線になるか

どんな「考え」も、かまいません。「良し悪し」なし。

>悟りと神経症の完治?は同じようなもの

重なるところはあります。

>違う形で伝えられたらと

お志、ありがとうございます。
よろしくお願いします。合掌低頭

他の読者に、補足申し上げますと、、、
「伝える」という表現をすれば、「以心伝心」といわれるように、すでに伝わっているということです。
「千聖不伝」「教外別伝」といわれるように、「相対二元の神教」と別で、「伝える側」と「伝えられる側」が(そういう決まったものが)あるんではないのです。
そして、
「不立文字」といわれるように、伝えられる言葉によって、生き生きとした事実から分離させられることになります。
そういうことで、
「分かる」ことは、文字通り、「脱線」です。
スーパー健康人さんは、ご承知のとおりです。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2016.06.13 00:21
M様へ
Mさんの「目的意図」をお答えくださらないかぎり、返答のしようがありません。
「神経症治癒目的」ということですか、あるいは、もう「治癒」されたのですか?「治療」の勉強中ですか?あるいは、「治療」されていらっしゃるのですか?
または、その他の目的ですか?
合掌低頭、不識
2016.06.13 00:29
スーパー健康人
不識さんへ、コメントありがとうございます。森田療法、伝えられない…実際の生活の中にいろんなきっかけ(自覚?みたいなものがあるのかと??? 三聖病院での体験が「そのもの」でなにも(自己中心的な? 加えない、引かない日常かなと…?読者の方へ 「楽になりたいから」このブログで精神療法を知るより日常生活?体験?かと思います。理論的な森田療法と宇佐先生の違うところかと思います…
2016.06.14 23:27
HN
愚かな質問ばかりしてる、Mさんは、〇藤か、〇休さんです。どっちみち、〇為療法というのは意味がありません。駄目な療法です。『素直な心』を持っていない人は駄目です。
2016.06.19 02:18
スーパー健康人様へ
>実際の生活の中に自覚?

それしかありません。
自覚がないという自覚です。
「私」はなかったのです。
「実際の生活」をする「私」、「私」がする「実際の生活」がなかったのです。

>三聖病院での体験が「そのもの」・・・

病院での体験含めた実際の生活です。
三聖病院での体験が「そのもの」と思うのもそのものです。
「神経症」含め、「ひとつひとつのこと」がいちいち「脱落」です。
ご承知のとおりです。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2016.06.20 00:05
HN様へ
当ブログへコメントありがとうございました。
合掌低頭、不識
2016.06.20 00:22

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