「眼前」

「眼前」だけ。つまり「眼前」もありません。
「眼横鼻直にして他に瞞ぜられず」
(道元禅師)
「因」「縁」に従い事実だけです。
「他にだまされる」というのは「自分に」です。
「自分」がない時「事実」もありません。
合掌低頭






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.17 2013 あるがまま・如如 comment11 trackback0

Comment

レッド
本日このようなことを思いました。
神経症をしているのもこのものの働きで、目の前しているのもこのモノの働き。どこにも自分なんて居なかった。自分で見た自分というのは過去の自分。その自分は思いの中(心の中)に居るだけだから、その自分に勝負を挑んで勝つことは出来ない。勝つとは思いを変えること。
不識様から教えていただいてることが実感出来つつあるように思います。
2013.11.23 16:11
レッド様へ
>神経症をしているのもこのものの働きで、目の前しているのもこのモノの働き。どこにも自分なんて居なかった。

そうです。

おわかりでしょうが、「このもの」も、実体として認め、対象化できないんです。

理の上だけでなく、自忘・身心脱落して実証してください。



>不識から教えていただいてること・・・

神教のように、「他」から教えの形で、付け加えるのではなく、
すでに、教えがレッドさんに備わっておるんです。

それは、『不伝の伝、不伝の妙道、千聖不伝』などと表現されます。


よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2013.11.23 20:09
レッド
不識様

お返事ありがとうございます。

また愚行を繰り返してしまいました。
何とかこの愚かな自分を改造せねばと無意識にやってしまいます。
でも違うんですね。

愚かな行為は止めて、良い行いをする。

これだけで良いのでしょう。これだけで良いのに愚行を繰り返す自分と固定的に見てしまって、それを良い行いをする自分へと改造しようとするから間違うのでしょう。

悪い行いは悪い行いだけ。そこに自分を持ち出さなければ、悪い行いがあるだけです。自分をくっつけるから悪い行いをする自分と言う風に苦しむことになるのでしょう。でも悪い行いが嫌だったら次は良い行いをすれば良いだけですね。自分の方を見なければ、良い行いに向かえると思いました。自分の方を見ると、重ねてきた数々の悪行から来るイメージに引きずられてしまって、自分には出来ない、自分は悪だと歩みを止めてしまいます。自分を持ち出さなければ悪にも善にも自由自在だと思いました。
2013.11.25 10:33
レッド
私に教えが備わっているのですね。
ということはこちらのブログを拝見することは、思い出す作業になるのでしょうか。

度々、神経症苦で発狂しそうになるのですが、発狂しそうな状態というのもそれはそれで完結しているのですよね。発狂しそうになる前の状態、神経症を認識した瞬間、それを相手取るから発狂しそうな状態に移行するのでしょうね。神経症だけだったら神経症だけで解決。自分が問題にするから、発狂しそうになってしまう。自分なんて居ないと自分を消そうとしたというか、その事実に目を向けようとしたら、発狂しそうな状態を離れることができました。自分というものを作る前の状態に入れるようになってきているように思います。こういうことは正しいのでしょうか?
2013.11.26 18:46
ひのき
横から失礼いたします。
はじめまして。短期間に周囲で病死を3件経験し、
先月まで病と死の恐怖にとりつかれていました。
ある日、「病や死の恐怖を握り締めているのは他でもない自分だった」
と気づいたとき、その恐怖から開放されました。

たまたまWeb検索していたときにrurumikさんのブログを拝見し、
「生死を越える」というエントリーでの不識さんのコメントを読み
私が漠然と疑問に感じていたことが理路整然と文章化されており
衝撃を受けました。

そのコメントの中で不明な点があります。
よろしければご教示願えますでしょうか?
>この身心自体は、この身心を知らないんです

>本当は、その言葉に覆い隠される前の生まれたてのところに
>立っているんです
がわからないです。

また、上記レッド様へのレスポンスにある
>自忘・身心脱落して実証してください。
の実証する手段、そしてどういう状態が実証したと言える状態になるのか?
を教えていただきたいです。

ご多忙の折大変恐縮です。
お時間のある時でかまいませんので、どうぞよろしくお願いいたします。

ちなみに、受診を検討していた時に気づきがあったので、
受診はしていません。
2013.11.27 22:11
レッド様(11.25)へ
>良い行いをする。これだけで良いのでしょう。

そうです。


>自分を持ち出さなければ悪にも善にも自由自在だと思いました。

「自分」を持ち出さなければ、「悪」も「善」もないです。


よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2013.11.30 20:40
レッド様(11.26)へ
>私に教えが備わっているのですね。
ということはこちらのブログを拝見することは、思い出す作業になるのでしょうか。

思い出すという分別の世界に置き換える以前に、わざわざ、「説明書」解読しないでも、そのまますぐに使えるようにできていると受け取ってください。



>度々、神経症苦で発狂しそうになるのですが、発狂しそうな状態というのもそれはそれで完結しているのですよね。

そうです。
ですから、このように、概念化する必要は、今回以外ありません。


>・・その事実に目を向けようとしたら、発狂しそうな状態を離れることができました。


そうです。

同時に、意識は、二つに向かないからです。
ですから、眼前に向いたら、離れないようにしても、離れずにおられないのです。



>自分というものを作る前の状態に入れるようになってきているように思います。こういうことは正しいのでしょうか?


そうすることはおすすめしない。
「内側」の工夫、作り事になるから。

「内向き」に何もしない(「自分」を認め対象化して観察しない)のであれば、
おのずと、そういう状態です。
それは、「眼前生活」中、その最中は、本人が知らずに、実現しているんです。
だから、その点、手間いらずでいいでしょう。



よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2013.11.30 20:44
ひのき様(11.27)へ
>先月まで病と死の恐怖にとりつかれていました。
ある日、「病や死の恐怖を握り締めているのは他でもない自分だった」
と気づいたとき、その恐怖から開放されました。


「恐怖」という状態だけだったら、それだけですから、過ぎ去ってしまうんです。
それに手を付けるから、問題になるんです。

つまり、概念化して、それを実体ある対象として認め、恐怖=悪し・恐怖なし=良しの評価表で評価し、問題として相手するから問題として機能するんです。



>その(rurumikさんのブログ)コメント(三聖のハンドルネームで書き込んだ)の中で不明な点があります。
>>この身心自体は、この身心を知らないんです


『眼は眼をみることができない』と同様とお受け取りください。

知ったとしても、それは過去となり、もうかわっているんです。知りきれんでしょう。
それを「実体がない・空」などと説明しています。
「身心」自体がないといえるんです。
「無眼耳鼻舌身意」とあるとおりです。


>>本当は、その言葉に覆い隠される前の生まれたてのところに立っているんです
>がわからないです。

「即今」に立っているということです。
認識できない「即今」に。


>また、上記レッド様へのレスポンスにある、「自忘・身心脱落して実証してください。 」の実証する手段、そしてどういう状態が実証したと言える状態になるのか?を教えていただきたいです。


こうすれば次のような結果がくるというのでなくて、実証する手段即結果です。
例えば、それは、ここで毎度申しあげておる「眼前生活」・「外向き生活」です。

「自分」「相手」がなくなった、「そのもの」になった状態です。
つまり、「そのもの」がないのです。
それは「即今」といってもよい。



>ちなみに、受診を検討していた時に気づきがあったので、受診はしていません。

先生もお年だから、会える時に、会っておくのもいいかもしれんです。
「恐怖にとりつかれた」という法縁が契機で。


よろしくお願いします。
合掌低頭、不識


2013.11.30 21:10
ひのき
不識さま

ご返答いただきありがとうございます。
不識さまが教えてくださることは
本当にわかりやすいです。

(rurumikさんのブログ)コメントを拝見し、
「自分はいない」ことを理解し、視点の転換が起こったように感じます。
後頭部を殴られたような衝撃のあと、
自分の間抜けさに笑ってしまいました。


以下、私の理解の方向性に相違がないかご教示お願いします。
「自分がいない」ということは、私以外の人も同様にいない。
すなわち誰もいない。

あとは、この理解を実証する。

で問題はないでしょうか?

※もしこれが真実であれば、この世は緻密に計算された
完璧なコメディのように感じます。

>先生もお年だから、会える時に、会っておくのもいいかもしれんです。
>「恐怖にとりつかれた」という法縁が契機で。
そうですね、是非にとも思いますが、
私以上に先生を必要とされている方がいらっしゃると思うので、
まずは必要とされていらっしゃる方が優先かと認識しております。

不識さまとご縁をいただき深謝いたします。
2013.12.01 21:35
ひのき 様へ(12.01 21:35 )
>(rurumikさんのブログ)コメントを拝見し、「自分はいない」ことを理解し、視点の転換が起こったように感じます。後頭部を殴られたような衝撃のあと、自分の間抜けさに笑ってしまいました。

「自分はいない」のでしたら、「間抜けさ」は「自分の」という括りを透脱して、「間抜けさ」という「法」です。


>「自分がいない」ということは、私以外の人も同様にいない。すなわち誰もいない。

そう、『これなければ、あれなし』ということです。


>あとは、この理解を実証する。で問題はないでしょうか?

事実が先で、後、説明があるんです。
「観察者」がいて、「仮説」をこちらから証明するのでなく、
「証明するもの」「証明されること」がなくなることで実証されるのです。

こう言われると、また小難しい話にきこえるんですが
これからでなく、
認識する認識されない以前・「今」、証されておるのです。


>もしこれが真実であれば、この世は緻密に計算された完璧なコメディのように感じます。


「真実」もないんです。
ですから、「真実」も大事に手元に残してはいけない。

「この世」も「緻密に計算された完璧なコメディ」も眼前の様子にはりつけた名札です。
名札を実と思い違えるから、名札という道具に振り回されるのです。
そのさいたるものが「私」という名札です。

そして、眼前の様子を、脳内スクリーンに、そのようにみえたからといって、
そのみえたようであるかといったら、実際にそうであるかわからないのです。


>是非にとも思いますが、私以上に先生を必要とされている方がいらっしゃると思うので、まずは必要とされていらっしゃる方が優先かと認識しております。

是非にと、そう思ってらっしゃるなら、そういう遠慮は無用です。


>不識さまとご縁をいただき深謝いたします。

ありがとうございます。
しかし、不識などというどこの馬の骨かわからんもんのいうことなど、疑ってかかって、
ほんとうかどうか、実験実証してください。
そして、いくら、祖師方が、釈尊が何と言おうと、「本人」にとって、実でなければなにもならんです。


よろしくお願いします。
合掌低頭、不識

2013.12.08 16:42
ひのき
不識さま


>ほんとうかどうか、実験実証してください。

はい。不識さまの丁寧でわかりやすいご説明のおかげで
理の上では十分納得いたしました。

心より感謝申し上げます。
2013.12.18 17:15

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