「考え」より事実が先

「あるがまま」「祗管・ただ」「動け動け」「外向き」を掲げて活動するのではありません。
合掌低頭





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.31 2016 あるがまま・如如 comment7 trackback0

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2016.11.04 11:43
非公開コメントさせて頂きました。
よろしくお願いします。
2016.11.04 11:44
(11.04 11:43)様へ
>修行とは何ですか?

「修せざれば現れず」といわれますが、「これが自分だ」の「自分」が捨て去られておるのだということの実証です。
そして、
生活そのものですし、「修証一如」というように、それ自体(「考え」の中ではそう思えないとしても実際には)「証」です。

>教えて頂いたように、生活しておりますが

「教え」があって生活があるのではありませんね。

>私はこのままで死んで行くんだろうか。(死んで行っていいんだろうか。)

「死んで行っていいんだろうか。」の「私」は、「考え」であって、その「考え」ゆえに、実際に、「私」は生まれていないのです。
つまり、「不生」ですから、「考え」を相手して「考え」の中であれこれしても、多くの時間と労力を使って得たとしても、その「結論」は「考え」ですから、それは、実際ではないということですね。

「死んで行っていいんだろうか。」と「私」が決めることではないですね。

>という考えが浮かびます。浮かぶだけで、その考えに捉われるわけではないのですが。

「考え」にとらわれるのでなければ、「私はこのままで死んで行くんだろうか。(死んで行っていいんだろうか。)」というご質問は出てないでしょう。

「考え」を全部使う必要はないんですね。

>今、ある作業をしていて、ある考えが浮かんで、その考えは、自分にとっては、情けない考えで、・・・

「自分にとって」をお考えにならないように。
「自分にとって」の「自分」は、「虚構」ということを知っておいてください。

>でもそれが浮かんでも次に、その考えが浮かんでも自分の責任でないんだ、どんな自分だって構わない、と浮かんで、そこでまた、次の作業を続ける時、そこに意思は働きますか?・・・意思が働いていて欲しい・・・

その時その時、意思は働くかどうか、その時その時のことなのでわかりませんね。
そして、
意思が働くかどうか、「私」とは無関係ですね。
つまり、
「私」が決めることではありませんね。もし決めたとしても、その通りいかんでしょう。「私」が気持よい音だけ聞きたいと決めても、いろんな音がおのずと入ってくるでしょう。

>取り立てて「外向き」を掲げて続けてる感じでもないんです。

けっこうです。

>修行という中に居るんだ、居たい、というような感じです。

「修行をしてるんだ」と概念付けされないようにおすすめします。
「修行」している「自分」が残ると、「悟った」自分が残りやすいからです。

>「私はこのままで、このまま死んで行っていいんだろうか。」と何だか頼りない気分になる時があります。

まず、
「気分」は出てくるままですね。「気分」は、問題に、目的に、なりませんね。
そして、
釈尊や宇佐先生の言われたことは、本当なんだろうかという実証しきれていないということかもしれません。

>自分に、自忘の時節が訪れるとも思えないし、・・・

そんなように、「考え」の中で決められませんね。

>訪れたところでどうなんだ、という気持ちもあります。

どんな「気持ち」もあってけっこうです。
そして、
「どうなんだ」かどうか、「考え」の中で決められませんね。
実際に、
起きた時に「どうなんだ」かどうかは、まだわかりませんでしょう。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2016.11.07 00:12
ありがとうございました。
>修業・・・

教えて頂いてありがとうございました。あらためてまた教えて頂いてよくわかりました。

>「死んで行っていいんだろうか」と「私」が決めることではない

本当にそうでした。。ありがとうございました。

>本当なんだろうかという実証しきれてない

不識さんが「実証」というのがどういう内容のことを仰っているかわかりませんが、
もちろん「自忘」はしてないのですが。。
実感していますし、本当だ、と思っています。(思って、というのはいけませんかね??)

>このままで死んで行って・・・

心の奥底にまだしつこく、今の自分と違う自分になりたい、という気持ちが残っているのかもしれません。(笑)

>実際に起きた時に「どうなんだ」かどうかは・・・

本当にそうでした。すみませんでした。
ありがとうございました。

2016.11.07 08:19
(11.07 08:19 )様へ

>修業

「自分」を土台にして学習訓練することをそういうのでしょう。

ですから、区別して「修行」と申しております。


>実証

回答にあるように「自忘」ということです。


>思うというのはいけませんか。

「観念」(固定化)とナマの事実(固定されない)は違うことをおさえておいてください。


>今の自分と違う自分

「今の自分」と認識したとたん、もう、実際は、(言うならば)違うのですね。
「今の自分」というように「このもの」を概念化・固定化しないようにおすすめします。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2016.11.13 22:56
ありがとうございました。2
ありがとうございました。

>「自忘」

あきらめることもなく、でも自分を立てず、用いず、頑張ります。(生活して行きます。)
2016.11.14 17:30
(11.14 17:30 )様へ
ありがとうございました。
合掌低頭、不識
2016.11.20 00:04

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