「長く曲がった道」

「長く曲がった」道を進んでいる時、「まっすぐ」もなく「曲がった」もなく、「その場」「その時」「その状態」だけになって、進んでいることがあります。 「長い・短い」、「まっすぐ・曲がった」という比較がない時、気がつくとあっという間に過ぎてしまいます。
「自分」へ手出ししない時、おのずと、「神経症」不成立です。
合掌低頭







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.01 2013 他の療法との違い comment24 trackback0

Comment

rurumik
とてもよくわかりました。ありがとうございます。
わかりました。ばかり言ってないで、(^^;; 実行ですね。
「自分へ手出ししない」ということ…と、目の前、何かしながらでも「湧いている思い」を感じてしまう(そういう時間が多い。)こと、の違いがよくわかりません。(これを問題にしていること自体が、手出ししているのですか?)その時も、続けて、目の前、以外ない、ということですか?
2013.12.01 09:12
ただいま
rurumikさん こんにちは

不識さんではありませんが、rurumikさんとは同行ですので、私の今の理解として書いてみます

何かの参考になれば……

@「自分へ手出ししない」ということ…と、

=これは、「自分対自分」ですから、
「また不安が湧いてきたな~」「あ~早くこんな状態から抜け出したいな~」「目の前か~」「できないしな~」…………

これが、自分対自分ですから、「自分へ手出
ししない」とは、最初の「また不安が湧いてきたな~」と出たところで、

@目の前、何かしながらでも「湧いている思い」を感じてしまう(そういう時間が多い。)こと、

=この、感じたところで、放っておくことです。

コーヒーを飲んでいます。
良い香り……口にあう苦味…………美味しい!
と飲んでいると「不安」顔を出しました。

ここで、放っておければいいですが、「また不安が湧いてきたな~」と思ったら、感じたら、すでに飲んでいる、コーヒーを飲むんです。
「自分対自分」でなく。

今、あなたは、何をしてますか?
コーヒーを飲んでいます。

です。

コーヒーを飲むことは、そのまま自然に目の前ですから、放っておこうとしなくても、自然に放っておけるのです。

目の前とは、無理矢理やることではなく、今の自分の「今」をすることです。すでに、している、「今」のことです。

と解釈しております。やっております。

2013.12.01 11:32
みなちゃん
不識様、またコメントお願いします。不識様今でも自分対自分になることがありますか。また決定的な解決とは、自分対自分が完全に無くなって目の前だけになった状態ですか。
2013.12.01 13:01
rurumik
ただいま様

ただいまさん、いつもありがとうございます。
さっきの私の質問…、私は何を聞きたかったのか、時間がたって、少し、自分でもわからなくなって来ていますが…、考えながら書いてみます。
例えば、人と話している時などは、自分に目が行ってしまっても、また、相手に向かうことで、自分は、ほったらかしになっているのですが、そして、不識さんが書いて下さった、目の前に、一生懸命、徹底があらわれている(多分)のですが、それほど、時間に追われていないことをする時、家事をしている時、たとえば、洗濯物を干しながら、ずっと(前に、不識さんに、意識は瞬時には一つにしか向かない、ずっとではなく、記憶で繫げているだけ、と言われたと思うのですが)次々思いをつかんでしまうような感じが続くように感じてしまって(洗濯物は干し続けていますが)、目の前してるのに、これは、「自分」へ手出ししてしまっているのかな、と思ったので…。
急いで、集中(以前、集中する、ということではない、と教えて頂きましたが…)して、何かをしていないと、自分には、あ〜あ、なかなか、一生懸命、徹底があらわれないかなあ…と。
でも、それもこれも、全部、今の私の現実、とにかく、また目の前、ということでしょうか…。
長々とすみません。ありがとうございます。
2013.12.01 14:36
ただいま
rurumikさん
これは、あくまで私の解釈すが……

@目の前してるのに、これは、「自分」へ手出ししてしまっているのかな、と思ったので…。

=目の前は、「する」と言うより「なる」と言う感じです。「なっている」と言う感じです。
ですから、目の前が出来ていれば、自分に手を出すことは、ありません。外向きですから。

@急いで、集中(以前、集中する、ということではない、と教えて頂きましたが…)して、何かをしていないと、自分には、あ〜あ、なかなか、一生懸命、徹底があらわれないかなあ…と。

=何かをするのではなく、今、今、していることになっていれば、いいと思います。
いま、何かはしていますから。

@一生懸命、徹底があらわれないかなあ…と。

=あまり先のことを考えるのはしなくても、いいかもです。
焦らず、たんたんと、ご飯を食べましょう。
2013.12.01 18:29
rurumik様(12.01 09:12 )へ
>「自分へ手出ししない」ということ…と、目の前、何かしながらでも「湧いている思い」を感じてしまう(そういう時間が多い。)こと、の違いがよくわかりません。


「自分へ手出ししない」ということ=「目の前、何かし・・湧いている思いを感じるまま」

どんな思いも感じっぱなしであることです。
ラジオの音を聞き流しているようなものです。
一方通行的に。



以前も申したように、
「湧いている思いを感じてしまう」ことはかまいません。
どんな思いも良し悪しなしです。

こういう思いは良し、ああいう思いはダメというのがどこかあるんです。


それらを取り上げてどうこう処理しよう(=「自分へ手出し」「自分対自分」)としないようにおすすめしておるんです。

「目の前」の、(例えば)仕事を続けてください。
仕事続ける=思いのまま、思いっぱなしということになります。
思いのまま、思いっぱなしということは「自分対自分」になりませんので、
それで結構です。

何度も申し上げますが、
小難しい事考えずに、たいへんな「心の用事」せずに
実行だけしていれば、もうことたりるんです。
ですから、いいでしょう。

他の療法のように、
高額なお金払って、何年もの時間を使って、複雑な事やって、・・・
それでも、脱しきれないで、・・・
しかも、神経症以上に、療法の副作用というお土産ももらってしまうんです。



>(これを問題にしていること自体が、手出ししているのですか?)

ここではかまいません。
ただし、何か仕事してらっしゃる最中に手を止めるようなことはなさらんほうがよいです。

>その時も、続けて、目の前、以外ない、ということですか?

そうです。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識

2013.12.01 19:43
ただいま様(12.01 11:32 )へ
>「また不安が湧いてきたな~」「あ~早くこんな状態から抜け出したいな~」「目の前か~」「できないしな~」・・これが、自分対自分ですから・・

「また不安が湧いてきたな~」「あ~早くこんな状態から抜け出したいな~」「目の前か~」「できないしな~」…という思いが出ただけで、
それらを相手どり、どうこうしようとしていませんから、
これはまだ「自分対自分」ではありません。
(ところで、「本来」、「自分対自分」はありえないことをご承知おきください。)


>・・コーヒーを飲んでいます。・・コーヒーを飲むことは、そのまま自然に目の前ですから、放っておこうとしなくても、自然に放っておけるのです。目の前とは、無理矢理やることではなく、今の自分の「今」をすることです。すでに、している、「今」のことです。

そうそう、コーヒー飲んでください。
実際行動、即、知らないうちに放っておったという結果になるんです。


よろしくお願いします。
合掌低頭、不識

2013.12.01 19:48
みなちゃん様(12.01 13:01 )へ
>また決定的な解決とは、自分対自分が完全に無くなって目の前だけになった状態ですか。


『眼が眼をみることができない』ように「自分対自分」はもとからない、成り立たないんです。

「目の前だけになった状態」とは、「目の前だけになった状態」もないのです。
気づけば、「解決」すべきこともなかったんです。


よろしくお願いします。
合掌低頭、不識

2013.12.01 19:52
rurumik様(12.01 14:36)へ
>急いで、集中(以前、集中する、ということではない、と教えて頂きましたが…)して、何かをしていないと、・・

「自分」をテーマにして、
その手段として、急いで、集中するということではないのです。

生活上の急ぐ事があるから、急ぐのです。
再確認ください。


>自分には、あ~あ、なかなか、一生懸命、徹底があらわれないかなあ…と。

「あ~あ、なかなか、一生懸命、徹底があらわれないかなあ」の「自分」をテーマをしないことです。

それより、目の前の用事があれば、用事です。



>でも、それもこれも、全部、今の私の現実、とにかく、また目の前、ということでしょうか…。

そうです。
また目の前=「それもこれも、全部」出しっぱなしです。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識



2013.12.01 19:58
みなちゃん
不識様、お返事有難うございました。大変参考になりました。
2013.12.01 20:00
ただいま様(12.01 18:29)へ
>私の解釈

「私の解釈」を脱して
事実に徹するまま。

>目の前は、「する」と言うより「なる」と言う感じです。「なっている」と言う感じです。ですから、目の前が出来ていれば、自分に手を出すことは、ありません。外向きですから。


「なっている」時は、手を出す「自分」、「目の前」「外向き」も消滅します。


よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2013.12.01 20:01
みなちゃん様(12.01 20:00 )へ
ご返信ありがとうございます。
以下のご質問、見逃していました。失礼しました。

>今でも自分対自分になることがありますか。

不識です。


合掌低頭、不識
2013.12.01 20:11
みなちゃん
コメント有難うございます。不識です。とは、今は、目の前だけなので、自分対自分があっても、振り返らずにいるので知らずとゆうことですか。今は、ありませんが。不識様よろしくお願いします。
2013.12.01 20:55
ただいま
不識様

>私の解釈

「私の解釈」を脱して
事実に徹するまま。

@解釈と言う表現は、どうも・・・、と思いましたが、あくまで、私は、まだ道半ば、と言うことを言いたくて、「言葉」にしました。
目の前とは事実で、「道半ば」と思っても、その時が事実です。


>目の前は、「する」と言うより「なる」と言う感じです。「なっている」と言う感じです。ですから、目の前が出来ていれば、自分に手を出すことは、ありません。外向きですから。


「なっている」時は、手を出す「自分」、「目の前」「外向き」も消滅します。

@不識様の「男と女」のお話しですね。
すべてが男だけなら、男もいない。
目の前になっている時は、手をだす「自分」「目の前」「外向き」もない。
「目の前やるぞ~」「目の前やってるぞ~」も、単なる「思い」ですから、
湧いたら、湧いたまま。
手を出す「自分」はいません。

しかし、正直、まだ徹底が足りません。
継続です。

ただいま



2013.12.03 15:46
みなちゃん
生活の発見会の森田正馬のことばは、参考になりますか。森田正馬先生、宇佐晋一先生の著書で参考になるものを教えていただけますか。お忙しいところもうしわけありませんがよろしくお願いします。不識様。
2013.12.03 23:31
みなちゃん
生活の発見会の現代に生きる森田正馬のことばでした。すみません。不識様よろしくお願いします。
2013.12.04 23:42
レッド
アドバイスお願いします。やはり強迫の衝動が凄まじく如何ともしがたいです。一挙手一投足に強迫が出てくるようになっています。何かする度に不可能な事の要求が湧き、それが出来ないことへの恐怖感を味わっています。「心に出た事を使う必要はない」、「火事の時にやらなくて良いことをしないといけない気なってやってしまう場合ではないでしょう」と以前言われましたが、それは火事の状況では確かにそうだと思います。強迫以上の生命の危機というストレスのせいで、すぐ逃げるという行動を取れます。というか取らされてしまう。しかし日常生活中にそのような生命の危機は存在せず、どうしても強迫観念への圧倒的なストレスからそちらの方を相手するようになってしまいます。ここを抜けるにはどうすれば良いのでしょうか?
2013.12.07 12:25
みなちゃん 様へ(12.01 20:55 )
>不識ですとは、今は、目の前だけなので、自分対自分があっても、振り返らずにいるので知らずとゆうことですか。
>今は、ありませんが。

「今」がないなら、「目の前」もない。
「自分対自分」の「自分」もないのです。
実は「自分対自分」は成り立たないんです。
何回申しても、あると思いこんでいる方に合わせてそう申しているだけです。

「不」とは脱落の代名詞です。
ですから、それでいえば、しるでもない、しらないでもない。

言葉で語ると、小難しいですが、なんということない、「このとおり」。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識


2013.12.08 16:10
ただいま様へ(12.3)

> 「道半ば」と思っても、その時が事実です。

おっしゃることはわかりますが、
「その時の事実」の「事実」は 概念化された「事実」です。


> 目の前は、「する」と言うより「なる」と言う感じです。「なっている」と言う感じです。


なっている時は、「なっていると言う感じです」が、なくなった時です。


>ですから、目の前が出来ていれば、自分に手を出すことは、ありません。外向きですから。

そうです。

> しかし、正直、まだ徹底が足りません。 継続です。

継続とは非連続の連続です。
前と後ろがあるものの、前と後ろが裁断されていいる。

ですから、継続のその先に、結果が待ちかまえてあって、そこへ努力して向かうのでなくて、
この行為即結果です。


よろしくお願いします。
合掌低頭、不識

2013.12.08 17:59
みなちゃん 様へ(12.3 12.4)
>生活の発見会の現代に生きる森田正馬のことばは、参考になりますか。
>森田正馬先生、宇佐晋一先生の著書で参考になるものを教えていただけますか。

何の参考ですか?禅修行の参考ですか?
そうだとしたら、すでに、原田老師や井上老師の本を読まれているので必要ないと存じますが。

生活の発見会や、森田療法学会が国内外に広めている「現代にいきる」森田療法は、オリジナルバージョンの森田療法・宇佐療法とは別ものです。
別ものとは、(森田という名がついていますが)認知行動療法(「自分」を実体あるものとして、自分を持ち運んでいき、自分対自分を脱しきれない)ですから、そういう視点で編集されています。
読む必要はないですが、もし何か読まれるのなら、その点、気をつけてください。

宇佐晋一先生の著書ですが、もし読まれるなら、どれでもかまわないです。
共著の木下さんが書いた部分も必ずしも正しい事を言ってらっしゃらないので気をつけてください。


よろしくお願いします。
合掌低頭、不識



2013.12.08 18:18
レッド 様へ(12.7)
>アドバイスお願いします。

このブログのねらいは、理の上で、納得してもらうためでありません。

ただ、そういう、知性を心に向け、考えの世界でのやりくりをすればするほど収拾がつかない。
納豆の糸を切ろうとして箸をつこんで、かきまわしてきりがないように。


>すぐ逃げるという行動を取れます。・・・ここを抜けるにはどうすれば良いのでしょうか?

①テーマ
以前も申したように、「ここを抜けるにはどうするか」をテーマにしているから、
みずから、止まらないようにしているんです。自縄自縛しておるんです。

②環境
自宅で自分でやってみても、いろいろな逃げ場があるのでなかなか難しいでしょう。
例えば、坐禅をひとり自宅で1週間、朝の4時過ぎから夜10時までトイレ食事以外坐りっきりは難しいでしょう。

ひとつの提案として、
入院生活環境に入り、PC携帯TV本などから離れられます。
そして、引きはがされるのです。内側の努力が。


よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2013.12.08 18:36
みなちゃん
不識様、コメント有難う御座いました。
2013.12.08 19:03
レッド
不識様

お返事ありがとうございます。また脱線してしまいました。
苦しい時は苦しいまま…この教えを使って自分を苦しいままにしようとするから、一層苦しくて堪りませんでした。自分を何とかしようとしないで生活の方を向けば良かったのでしょう。

>「ここを抜けるにはどうするか」をテーマにしているから、
>みずから、止まらないようにしているんです。自縄自縛しておるんです。

はい、良く分かりました。

自分で見た自分をついつい問題にしてしまうのですが、一体自分を見ている自分は何なのでしょうか?見ている方と見られている方、私は見ている方なんだから、見られている方を問題にする必要はないんじゃないかと思いました。おかしなことを言ってたらすみません。

入院することは出来ないので、経済的にも大変でして、朝、今日やることを決めて夜きちんと出来たかどうかチェックするようにしてみます。ちなみに今日は、そこそこ良い一日を送れたと思います。症状がどうこうではなくて、やると決めたことが出来たので。
2013.12.08 20:36
レッド 様へ(12.7 20:36)
>また脱線してしまいました。

過ぎたことは、(内面について)手をつけない。
つまり、そのように、自分を説明しないことをおすすめします。



>苦しい時は苦しいまま…この教えを使って自分を苦しいままにしようとするから、一層苦しくて堪りませんでした。自分を何とかしようとしないで生活の方を向けば良かったのでしょう。

そうです。


>>「ここを抜けるにはどうするか」をテーマにしているから、みずから、止まらないようにしているんです。自縄自縛しておるんです。
>はい、良く分かりました。

よくわかるという考えというデスクトップ上で左から右へ移動したことと、治りと呼ぶ実際は別ものです。
その証拠に、よくわからない方でも神経症を離脱して、サイトを立ち上げ、面白くない事を語り、フォロワーを惑わしておる。

なにを言いたいかというと、行為という手続きさへ、ふんで行けばよいんです。
ですから、フリ・演技でもいいんです。


>自分で見た自分をついつい問題にしてしまうのですが、一体自分を見ている自分は何なのでしょうか?

ですから、
わからないでもわかるでもないんです。


>見ている方と見られている方、私は見ている方なんだから、見られている方を問題にする必要はないんじゃないかと思いました。

そうです。
見られている方は、見た時には(認知した時には)、もうその時点にはないんです。「虚像の私」を相手にしているわけです。ですから、実際はありえないわけです。問題にできないんです。


>入院することは出来ないので、経済的にも大変でして、

わかりました。

ついでですから、・・・
他の方への情報としてですが、・・・知る限り、入院代は一番安いです。旧鈴木知準診療所で1月40万ほどと聞いていますが、三聖病院は平均して17,8万ほどです。お金がない人はお金を借りてもはやめに行ったら良いと思えるほどです。

ある有名な神経症サイトで常連さんは何年も何年間も同じ質問をしてその管理者にボロクソ言われそれでもしがみついておる、そんな時間はほんとうにもったいない。
しがみつくのは、神経症の背後に承認欲求があるからです。神経症という手段で「自分」を認めてもらいたいそういう欲求を満足させて一時的な安心を得ている。
そういう安心は、本物の安心ではないですね。

精神分析系のカウンセリングして内面の分析するまで週1,2回で3年かかるといわれる。そして、内面の整理をしつくすまで、ケースによっては、何十年もかかる。しかもそんな作業は虚構上のことです。
そして、はじめて、「さあ、日常の生活に手を出しましょうね」とアドバイスされるんです。そんな時間はほんとうにもったいない。


>朝、今日やることを決めて夜きちんと出来たかどうかチェックするようにしてみます。ちなみに今日は、そこそこ良い一日を送れたと思います。症状がどうこうではなくて、やると決めたことが出来たので。

そう、そう、
入院中、日記に書くことは、見たこと・した事だけです。


よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2013.12.08 22:24

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