「事実唯真」-2

「こういうこと(神経症の症状)で困っています。どうしたらいいんでしょうか。」
「何でもないことだよ。」(鈴木大拙)
「何」ということ以前のそのまま。
そのままに「問題」は成り立たないのです。
合掌低頭







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.28 2017 あるがまま・如如 comment6 trackback0

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スーパー健康人
何と言う前のそのまま… 描いた、言葉にしたら脱線と言うことですか?宇佐先生の話、三聖病院での生活を思い出しました。ありがとうございます!
2017.05.31 21:13
スーパー健康人様へ
> 描いた、言葉にしたら脱線と言うことですか?

「このもの」を「私」として認識して、「描いた、言葉にしたら」「脱線」ということです。
「外」に向かっては、道具として有効です。
「描いて、言葉にして」、「情報」交換できます。
「描いた、言葉にした、情報(内容)」はナマの事実ではないことをふまえて、「イメージ化され概念化された情報」を(使われずに)使えばよいのです。
ご承知のとおりです。

>三聖病院での生活を思い出しました。

どのような生活でしたか。
皆さんのために具体的な体験例をお伺いしたいですが・・・
よろしければ具体的にお願いします。
合掌低頭、不識
2017.06.04 19:07
スーパー健康人
退院の日に向けて宇佐先生に質問した話です。退院に向けて外出したいのですが?宇佐先生…はぁ? 私「退院に備えて人混みに慣れるとか一人で電車で出かけるとかしてみようかと思います?」宇佐先生「慣れると言う事がいけません」 私「いろいろ不安が…」 宇佐先生「しらなさ」「わからなさ」「きめられなさ」それでよろしいと… 慣れると言う事もしないまま退院。無事に電車を乗り継ぎ帰宅出来ました。電車の乗り継ぎや人混みで不安にならないようにイメージを作り事実ではない事に自分を合わせようとしていたのかも知れません。うまくお伝えできませんが… 私が体験した一部の話です。
2017.06.06 20:38
スーパー健康人様へ
素晴らしい記事ありがとうございました。
スーパー健康人さんはご承知のとおりですが、他の方々のためにあえてコメントを追加させていただきます。どうぞご了承ください。

>宇佐先生「慣れると言う事がいけません」

考えた「自分」を概念に置き換えた「自分」(観念内容)を実物として取り扱うことになるからです。
その「自分」が第一「目的」になる時、より良くしようと勤勉に真面目に熱心に努力するほど、「自分対自分の葛藤」が生じ消耗しますので、「生活」に支障をきたします。
同様の理由で、「試みる・試す」というのもよろしくないです。ご承知のとおりです。

>私「いろいろ不安が…」

「不安」が出ると「迷い」だったところ、「心」の状態に「良し悪し」がつかなくなると、
「不安」はそのまま「悟り」になるのです。

>宇佐先生「しらなさ」「わからなさ」「きめられなさ」それでよろしいと…

「しる」「わかる」「きめる」・・・それら「言葉」「考え」が出る以前の、見えたら見えたまま聞こえたら聞こえたままの事実ぴったりにありきる時、「時間」「距離」「空間」もなく「真実」もなく「悟り」も「迷い」もなく「事実」も「あるがまま」もなく「しるもの」も「しられるもの」もなく「しらなさ」「わからなさ」「きめられなさ」もなく「ある」もなく「ない」もないのです。・・・
そのあたりを先生がそれでよろしいと言われたわけです。

「言葉」でくどくど「説明」しますと、毎度難しく聞こえますが、・・・何のことはない、講話中、先生がマイクを指し出して「マイクでないものが見えますか」のとおりです。

何を申し上げたいかと言うと、・・・
宇佐先生が「しらなさ」「わからなさ」「きめられなさ」それでよろしいと言われたことが腑に落ちた方は、そういうことを「教え」(分かったこと)として後生大事に残していると、あらたに「薬害」「副作用」をかかえることになるので注意が必要なことがあります。修養中どんなに良いことでも「得たもの」として残そうとすると、それを認める「自分」も残りやすいからです。ご存知のとおりです。

> 慣れると言う事もしないまま退院。

ご承知のように「慣れる自分」を「目的」にしないからそれがよいのです。
重複しますが、「慣れた自分」を「観念」の中で作り上げ、そういう対象に対して「自分」を合わせていこうと「努力」することは、実際を離れた「二元相対世界での虚構の努力」です。

>無事に電車を乗り継ぎ帰宅出来ました。

ご承知のように「電車を乗り継ぎ帰宅する」ことがこの時の「目的」です。「不安」か「安心」かどうかは、「目的」ではないわけです。

>電車の乗り継ぎや人混みで不安にならないようにイメージを作り事実ではない事に自分を合わせようとしていたのかも知れません。

世間の多くの「療法」がそれです。(「療法」という実体もありませんが)禅で言えば「習禅」にあたります。
「訓練」してある程度までの「寛解」はあるかもしれませんが、
「全治の全治知らず」という「完治」がありません。

ありがとうございました。
合掌低頭、不識
2017.06.11 07:00
スーパー健康人
自分が伝えきれないところまで詳しく説明していただきありがとうございます!
2017.06.19 21:09
スーパー健康人様へ
ありがとうございました。
くどくどと「説明」することがかえって、他の方の「修養」の邪魔になることが多々あります。
ご承知のように「説明」は「ナマの事実」それ自体ではなく、「薬」の「効能書き」にあたります。
「効能書き」をいくら勉強しても、「薬」が必要な時「薬」を飲むという実際がなければ、何の役にも立ちません。
「宇佐療法」は「思想」がない、つまり、「方法・手段」がない、ただ「実際の活動」を促される「方便」にすぎません。
それぞれ、「縁」が違うので、いろんな「体験談」を聞いても同様にいくかわかりません。しかも、「体験談」「分かったこと」を「航海図」のように持ち歩き、それをご「自分」に応用しご「自分」を取り扱うことになると、治すための「手段・方法」になり面白くありません。
それでも、「体験談」は、ご「自分の修養」が「間違い」かどうか知ることに役立ちますし、ご「自分」で実証していく「きっかけ」になればよいのです。
「神経症」は「主観的虚構障害」と呼ばれ、「一般的な病の治療」とは別物なので、ややこしいところもありますが・・・
今後も「皆さま」の役に立つ「体験談」などありましたら、ご投稿していただければ幸いです。
合掌低頭、不識
2017.06.25 00:15

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