「強迫観念」

「消そう」「気持ち晴らそう」「気持ち切り替えよう」が「結果として」やめばいいのです。
「苦しみ」は「消そう」「気持ち晴らそう」「気持ち切り替えよう」から生じるのです。
「消そう」「気持ち晴らそう」「気持ち切り替えよう」をやめようとすると同じことになりますのでご注意ください。
知らずに、結果的に、「心の用事」がやめばいいのです。
その「時」その「場」の「生活上必要」することするだけです。
「頭から離れない」まま、「スッキリしない」まま、「割り切れない」まま。
できそうにありませんか?
もしそうなら、「できそうにありません」という「思い」のまま、捨てようとしない一体のまま、
その「時」その「場」の「生活上必要なこと」するのです。
「やる気」あるないに関わらず、「有名作家」のように一行も「書く気」がない時でも
とりあえず、「机」に向かう、「ペン」を取る、それだけでもいいです。
書いてる「瞬間」(結果として、後で気つけばですが)「強迫観念」は出ても気づきません。
「注意」は「同時」に「二つ」に向かないからです。
「強迫観念」あり=「悪い」その他の観念=「良い」に設定し、「悪い」排除「良い」残そうと、
コントロールできない「心」をコントロールしようとするので「問題」になるのです。
なぜ「そのまま」かと言うと、「そのまま」とは、「良し悪し」つけないからです。
「生活上必要」あれば、とりあえず、「道具」を持つのです。
合掌低頭、不識







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.10 2017 あるがまま・如如 comment7 trackback0

Comment

miky
進んで行き方、とてもわかりやすいです。ありがとうございます。
このことを信じて、進むしかないと思っています。
でも、「苦」て何なんでしょうか。「嫌だなあ、気持ち悪いなあ、苦しいなあ」と思う時があるということは、今の事実に、まだ刃向かっているということなのでしょうか。そんな時、「南無阿弥陀仏」と唱えたりしてしまいます。多分、結局、何とかこの不快なことがなくなって欲しい、楽になりたい、という気持ちなんだと思います。
どうも自分には、ここが抜け出られない気がします。
2017.09.11 09:58
miky様へ
mikyさんは三聖病院におられたのでしょうか?

>進んで行き方とてもわかりやすいです。ありがとうございます。

ありがとうございます。
「分かりやすい」のはけっこうですが、分かったら、すぐお忘れになるようにおすすめします。
「分かったこと(内容)」は「事実そのもの」ではないので、同一視すると「事実」から脱線し「迷い」が生じます。
つまり、このブログの「説明(内容)」は「妄想」に過ぎません。
どうぞこの「ブログの余計な説明」に、ご「修養」が邪魔されないようにご注意ください。

>このことを信じて、進むしかないと思っています。

そうですね。
それでいいんですが、よろしければ参照までに。

「信」「不信」に関わらず、とりあえず、「進む」のです。
「進むしかないと思っています」と実際に「進む」は別ですね。
十分ご承知のことと存じます。
「分かる世界に留まっている状態」から脱して実際に「進む」のです。

ちなみに、「これが私だという自分」が進もうとする以前に、実はすでに進んでいたのです。
「外向きに生活」するという以前に実はすでに「外向きに生活」していたのです。
聞こうとせんでも、「カラスの声」が聞こえる。動かそうとせんでも、「心臓」は脈打っている。
そのように知らずにできていて、すでに進んでいたのです。
その「何にでもないもの・自分」(=阿弥陀仏)におまかせ(=南無)のまま、乗っていくままです。

>でも、「苦」て何なんでしょうか。

「自分・自分のすがた・法」です。
ですので、「永久にこういうものだ」という固定的な「実体」を認められません。
「苦」に迷惑するとしたら、「事実」の中に迷惑するのではなく、「観念」の中で迷惑するのです。
「永久不変の実体」があると「認識」し「概念化」された「苦と名付けられ観念」を「実物」として「錯覚」し、「相手」にするから「実際」を離れて「生活」に「支障」をきたし「問題」になるのです。

「苦」と名付けられる前の「事実」そのままにありきる(外向きの活動)時、「相手」がなく「解決しようとする主体」もなく「問題」が成り立たないのです。

多くの「療法」・「修行」が「苦」を認め排除し「楽」を認め残そうとします。
一方、この「療法」では、「苦楽」ともに「解決」です。

>「嫌だなあ、気持ち悪いなあ、苦しいなあ」と思う時があるということは、今の事実に、まだ刃向かっているということなのでしょうか。

「思う(時がある)」という(その時の)「今の事実」です。
「嫌だなあ、気持ち悪いなあ、苦しいなあ」と「思う内容」に「良し悪しなし」です。
出てかまいません。出るまま。
「思うというはたらき」は「事実」ですが、「思う内容」は「事実」ではありません。
「相手」しない時はそれだけで流れてしまい「問題」になりません。
「相手」した時は刃向かうことになり,「対象」と「刃向かう自分」と二つに分けられ「痛い思い」をします。

>そんな時、「南無阿弥陀仏」と唱えたりしてしまいます。多分、結局、何とかこの不快なことがなくなって欲しい、楽になりたい、という気持ちなんだと思います。

繰り返しですが、「楽になりたい」と「思い」が出るのはかまわないのです。
「心(意識内容)」に「良し悪し」なし。
出るまま。
ただ、「楽になろうと工夫」はしない。
「気持ち」「「心(意識内容)」を目的にしない。
単に、「南無阿弥陀仏」(外向きの活動)。

「どんな気持ち」も「良し悪しなし」です。おでましになるまま「おまかせ」です。
ただ、「楽になろうと努力」されますと苦しくなります。
この「療法」であれば、「不快」の時は「不快」のまま、「全宇宙不快」ですので「不快」なし。

>どうも自分には、ここが抜け出られない気がします。

さらに繰り返しですが、「心(意識内容)」に「良し悪しなし」ですので、「どうも自分には、ここが抜け出られない気がします」と「思い」が出るのはかまわない。
ただ、「抜け出られない」という「自己意識内容」は、「mikyさんの思考回路内だけにある主観」に過ぎず、「事実」ではないのです。出る時は出るまま。ただ「抜け出そうと工夫」はしない。

ちなみに、実は、もとから抜け出てていたのです。
抜けようとすること(「内向きの工夫」)が「結果」として止んだ時、気づくのです。
何もないところに、「概念」=「事実」と思い込んで自ら「問題」を作って、「自縄自縛」していたんです。
知らずに「内向きの工夫」が止む時とは、「生活」にもよおされた「外向きの活動」の時です。
一切「内側」に「用事」なし。
こんな「手間」が省けることありません。

分かったら、「分かったこと」お忘れになって、単に「生活」。
「こんなブログなど用などないわい」と蹴とばしていただいて、単に「生活」です。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2017.09.17 00:15
miky
自分が「楽になろうと工夫」しているのかいないのか、よくわかりません。
でも「抜け出そうと工夫」しているかもしれません。。(わけわからないこと書いててすみません。)
外向きの活動はしている。。と思います。。
とにかく何を思おうと気にかかろうと、一切「内側」に「用事」なしですよね。。
ありがとうございました。
2017.09.17 17:51
miky様へ
>>mikyさんは三聖病院におられたのでしょうか?

よろしければ、お答えください。以後、余計な説明が省けます。

>自分が「楽になろうと工夫」しているのかいないのか、よくわかりません。

けっこうです。

>とにかく何を思おうと気にかかろうと、一切「内側」に「用事」なしですよね。。

そうです。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2017.09.17 21:17
-
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2017.09.17 21:37
コメントしました。
どうぞよろしくお願い致します。
2017.09.17 21:41
09.17 21:37 様へ
>・・・したところが、相変わらず、ずっと気になってしようがなくて

医学的検査して異常はないのですよね?
そうでしたら、気になるまま生活です。
よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2017.09.17 21:52

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