恐怖症について

何々恐怖というのはこんなことではいかん(欠点であると決めている)というところからくるんですね。何々恐怖の治し方は、欠点であることを治したら済むかと言ったらそうでなくて、欠点であることをそのまま気にしていくと、とたんに治るわけです。平気になろう(と変えよう)と気にしないようにしておこうしたのが間違いだった。からくりがわからんでも言った通りやっていれば治る。わかろうとしなくて済む、むしろ、、なるほど、わかりましたというと落第でして、恐怖していったらよい。
(宇佐晋一講話より)

わかれば治るはずと「自分」の状況を理論で解決しようとするから治らないんです。

合掌低頭



スポンサーサイト
.23 2014 全治 comment18 trackback0

Comment

ひょうたん小僧
 こんにちは  ブログをよく拝見させてもらっている者です。
私は、赤面や衆前であがってしまうことが気になって、仕事や人付き合いがなかなかうまくいかないと思いながら暮らしてきました。
 自助グループに入会したりして、ずいぶん元気に生活できるようになったのですが、最近、床についてから様々な思い(劣等感とか今まで何をやってきたんだとかいうような気持ち)が浮かんできて、暗闇が怖くなったり焦燥感が募って眠れないときがよくあります。
 今朝も、宇佐先生の本の中に「不安をしみじみと味わう」とあるのを読んで、気持ちがようやく落ち着き、少し眠ることができました。日々そんなことの繰り返しです。
 「欠点であることをそのまま気にする」というのは、このようなときに焦燥感をじっくり味わうということなのでしょうか。なかなかそれができなくて、夜中に「俺はダメだ!」などと声に出してしまうこともある始末です。欠点や不安と仲良く付き合えない自分がいます。
2014.06.23 21:52
レッド
>わかれば治るはずと自分の状況を理論で解決しようとするから治らないんです。

分かった自分というのは過去の自分でして、今の自分は分からないところに居るんですよね。自分に対して何もしないだけで良かったことが分かりました。

>欠点であることをそのまま気にしていくと、とたんに治るわけです。

こう言われると気にしていくようにしようと自分を操縦するようなイメージを持つことになるような気もしますが、自分に対して手を出さないということを仰りたいのでしょうね。結果として、欠点であることをそのまま気にしていく、となっていたわけでして。
2014.06.27 01:06
ひょうたん小僧
レッドさんありがとうございました。

今年は空梅雨なのか、今日は暑いけれどとても爽やかな一日でした。(静岡ですが)

気分に左右されるのも悪くないという日もあります。
2014.06.29 19:55
ひょうたん小僧様へ
>自助グループに入会したりして、ずいぶん元気に生活できるようになったのですが、

宇佐先生がいつもため息をつかれるのが、森田療法の自助グループの会報で、「症状をあるがままにしてなすべきをなす」というところです。

自助というのは、神経症においては、労多くて功なし。
寛解しても離れられません。
「自分対自分」の努力に終始するから。

>最近、床についてから様々な思い(劣等感とか今まで何をやってきたんだとかいうような気持ち)が浮かんできて、暗闇が怖くなったり焦燥感が募って眠れないときがよくあります。

いわゆる「健常」な状態です。
それを「欠点」としてとらえるから、
「自分」対「自分」の努力(戦い)となり、苦しんでおるんです。
 
>今朝も、宇佐先生の本の中に「不安をしみじみと味わう」とあるのを読んで、気持ちがようやく落ち着き、少し眠ることができました。

気持ちを落ち着くことを目的にしないことです。
「心」の用事なし。

>日々そんなことの繰り返しです。

「日々そんなことの繰り返しです」という「自分の物語」を作らないことをおすすめします。

その場その時で毎回終わっているんです。

> 「欠点であることをそのまま気にする」というのは、このようなときに焦燥感をじっくり味わうということなのでしょうか。

さて、では、実際に、欠点であることをそのまま気にするとは、焦燥感をじっくり味わうとは、どういうことか?

気になるまま、焦燥感のままの生活です。

>なかなかそれができなくて、夜中に「俺はダメだ!」などと声に出してしまうこともある始末です。

「自分」で「自分」に注文命令しないことをおすすめします。

>欠点や不安と仲良く付き合えない自分がいます。

「欠点や不安と仲良く付き合えない自分がいます」というように、「これが自分」という概念化をされないようおすすめします。

どんな状態であろうとあるまま、ひたすら、粛々と生活することです。
それ以外は、自縄自縛して苦しむだけ。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2014.06.30 18:22
レッド様へ
>自分に対して何もしないだけで良かったことが分かりました。

そして、
「何もしないだけで良かったことが分かりました」という「自分」を対象として、
「何もしないだけで良かったという自分」というように概念でくくらないようにお願いします。

>>欠点であることをそのまま気にしていくと、とたんに治るわけです。
>こう言われると気にしていくようにしようと自分を操縦するようなイメージを持つことになるような気もしますが、自分に対して手を出さないということを仰りたいのでしょうね。結果として、欠点であることをそのまま気にしていく、となっていたわけでして。

そうです。
つまり、ただ、生活。(「ただ」「生活」からも離れて)

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2014.06.30 18:33
ひょうたん小僧様(6.29)へ
>気分に左右されるのも悪くないという日もあります。

繰り返しますが、気分を目的になさらないようおすすめします。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2014.06.30 18:43
ひょうたん小僧
不識様

コメントをいただき、ありがとうございました。

読んでいくと、「なるほどそうか・・・」と、何回も頷きました。

>「自分の物語」を作らない。

>気になるまま、焦燥感のままの生活。

>「自分」で「自分」に注文命令しないことをおすすめします。

>「これが自分」という概念化をされないようおすすめします。

>どんな状態であろうとあるまま、ひたすら、粛々と生活することです。

粛々と生活・・・これを心がけてやってみます。

ありがとうございました。


2014.06.30 21:51
ひょうたん小僧
不識様

書き込んだ直後に、すみません。

不識様のコメントを読んでいたら、

>宇佐先生がいつもため息をつかれるのが、森田療法の自助グループの会報で、「症状をあるがままにしてなすべきをなす」というところです。

とありました。

この「なすべきをなす」と不識様の言われる「粛々と生活」とのちがいは何だろうな?

と考えていたらよく分からなくなりました。

「症状をあるがままにする」=そういう症状の自分を意識し自己と対決する

いうことになり、故によくないという理解でいいでしょうか。
2014.06.30 22:01
レッド
不識様

お返事ありがとうございます。

>「何もしないだけで良かったという自分」というように概念でくくらないようにお願いします。

自分を持つなということですよね。自分というのは考えの中だけと言われても、分かるような分からないような気持ちです。自分の為にご飯を食べてるんじゃないというのも未だに分かっていません。

>つまり、ただ、生活。(「ただ」「生活」からも離れて)

考えの中でやらなければならないことを膨大に作ってしまい、それが出来ていない自分は、生きて居てはいけないような気がしています。しかし、そういう気持ちは、それとして、今必要なことややっておきたいこと、いましていることなどを優先して片付けるようにしています。
2014.07.04 19:30
ひょうたん小僧様(6.30)へ
>これを心がけてやってみます。

心がけないで、ここの話は聞き流して、
ただ、生活してください。

「神経症的苦悩」以前、何もしらなかったはずです。
ここの話がわかってもわからんでも関係なく生活していかれるようにおすすめします。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2014.07.06 13:02
ひょうたん小僧様(6.30 22:01)へ
>「なすべきをなす」と不識様の言われる「粛々と生活」とのちがいは何だろうな?と考えていたらよく分からなくなりました。

「よく分からなくなりました」のまま、
整理の付かないまま、
生活。

>「症状をあるがままにする」=そういう症状の自分を意識し自己と対決するいうことになり、故によくないという理解・・・

そうですね、
まず、「症状」「心」を実体あるものとして認めて、虚構の中で作業しても実際からはずれるだけです。
「あるがまま」と認識する以前、「あるがままにする」以前が(宇佐先生の言いたい)「あるがまま」なんですから余計な(虚構の中の)作業です。
「心」に用事なし。(用事できないし、用事する「心」をつかむことができない)

森田先生の弟子のある先生が、西洋的な視点で森田理論として体系化してから、あらたに認知行動療法的な流れができてしまったんです。
今の森田療法学会が海外にまで広めているオリジナルでない森田療法は、それです。
世界に類を見ない「不問」という特色が削除されたのです。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2014.07.06 13:15
レッド様へ
>>「何もしないだけで良かったという自分」というように概念でくくらないよう・・・

「何もしないだけで良かったという自分」というように概念でくくらないとは、
「何もしないだけで良かったという自分」という言葉を出さんようにおすすめしとるんです。
そういう思いは出るのは構わんですが、言葉を出さんようにと。

>自分を持つなということですよね。自分というのは考えの中だけと言われても、分かるような分からないような気持ちです。自分の為にご飯を食べてるんじゃないというのも未だに分かっていません。
「自分の為にご飯を食べてる」・・・
(暫定的にこのようにある)「このもの」と「レッド」という名札・符号・記号は違うでしょう。

それはそれとして、
「分かるような分からないような気持ち」「未だに分かっていません」のまま、生活。

>生きて居てはいけないような気がしています

考えの上で、「迷いだ悟りだ」、「治らん治った」に関係なく、このとおり、あるままなんです。
考えの上で、「生きて居てはいけないような気がして」も、「もっと長生きしたい」と出てきても、関係なく、このとおり、あるままにあるんです。

>気持ちは、それとして、今必要なことややっておきたいこと、いましていることなどを優先して片付けるようにしています。

そうです。
そして、
あらためて、「気持ちは、それとして、今必要なことややっておきたいこと、いましていることなどを優先して片付けるようにしています」ということもなくなるほど、ただ生活。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2014.07.06 13:24
ひょうたん小僧
不識様

何度もコメントをいただき、ありがとうございました。

これからもブログを時々見に来ます。
2014.07.07 22:13
レッド
不識様

お返事ありがとうございます。

>「何もしないだけで良かったという自分」という言葉を出さんようにおすすめしとるんです。

自分という言葉を使うことで、不変の塊を想定することになるからでしょうか?社会生活で、私、自分という言葉を使うのは構わないでしょうか?

>「自分の為にご飯を食べてる」・・・
>(暫定的にこのようにある)「このもの」と「レッド」という名札・符号・記号は違うでしょう。

すみません、何度も説明して頂いているのに、やはり分かりません。

>それはそれとして、
>「分かるような分からないような気持ち」「未だに分かっていません」>のまま、生活。

はい、大丈夫です。分からないを分かるに変えるように心に働きかけるのは止めています。

>考えの上で、「生きて居てはいけないような気がして」も、「もっと長>生きしたい」と出てきても、関係なく、このとおり、あるままにあるんです。

はい。ただ生きていてはいけない想いが強いと自分の生活を良くする行動が行いにくいような感じはします。もはや自分の人生などどうでも良いのに一体自分は何をしたら良いのだろう?と悩む時が多いです。ただ人生に意味など無いなら、何をしても良いのではないか?何かが進歩していると感じられる時は、喜びがあるので、何でも良いから進歩、向上するように工夫していけば良いのではないか?と思い、そうしています。

>あらためて、「気持ちは、それとして、今必要なことややっておきたいこと、いましていることなどを優先して片付けるようにしています」ということもなくなるほど、ただ生活。

行っている時、自分自身、そうやって動いている事が分からないのが本物ということですよね?自分の取扱説明書を手放してしまいなさいということですよね。頑張ります。
2014.07.12 11:49
レッド様へ
>自分という言葉を使うことで、不変の塊を想定することになるからでしょうか?

そうですね。

>社会生活で、私、自分という言葉を使うのは構わないでしょうか?

そうですね、「私、自分(のようなもの)」という言葉を社会生活上の道具・方便として使って、使われないようにしてください。

>(暫定的にこのようにある)「このもの」と「レッド」という名札・符号・記号は違うでしょう。

「実物」と「概念」は別だということです。
「実物」=「概念」とするから迷うのです。

おぎゃぁと生まれた時には、「私」という概念・言葉を知らないので、ただ、このようにあるだけです。
ただ、六根のはたらきが作用している状態です。
それが、ものごころつくようになると、見聞覚知するこのはたらきを「私」と思い込むようになったのです。
見聞覚知するこのはたらきは、ただ縁によって成り立っている中心のないつかみところのないものです。
「私」が見ているというけれど、実際は見るはたらきが作用しているのです。
「私」を忘じることがその実証です。

>何をしても良いのではないか?

そうです。

>何かが進歩していると感じられる時は、喜びがあるので、何でも良いから進歩、向上するように工夫していけば良いのではないか?と思い、そうしています。

社会的に喜ばれるものでしたら、さらに、よいでしょうね。

>行っている時、自分自身、そうやって動いている事が分からないのが本物ということですよね?

眼は眼自体を見ることができないように、
「即今」と呼ばれる時、行っているその最中は、「分かる・分からない」という認識以前ですから、分からないのが本物というより、分かることが不可能なんです。
認識できた時は、行っている時から、ゼロコンマ何秒か、過ぎてからですから、時差(隔たり)がわずかあるのです。
一所懸命行なうことです。

>自分の取扱説明書を手放してしまいなさいということですよね。

そう、・・・もと、「取扱説明書」はないんです。
取扱おうとすることが間違いですし、本来できないのです。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2014.07.13 14:53
ひょうたん小僧様へ
ありがとうございました。不識
2014.07.13 18:29
レッド
不識様

ご回答ありがとうございます。

大体理解できました。あとは実証出来るかどうかだと思います。
2014.07.20 10:04
レッド様( 10:04)へ
>実証出来るかどうか

日常の行ないすべてそうです。

かならず、できます。


よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2014.07.20 13:59

Post comment

  • comment
  • secret
  • 管理者にだけ表示を許可する

Trackback

trackbackURL:http://miroku18.blog.fc2.com/tb.php/50-37fa2cee

最新記事

最新コメント

カテゴリ

カレンダー

09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

リンク

月別アーカイブ

最新トラックバック

検索フォーム

RSSリンクの表示

QRコード

QR

カウンター