「苦しい」時

「苦しい」時ほど、純一になれるんです。「苦」の時は「苦」のまま、生活上、必要な事をひとつひとつもよおされていく。
「心」はそれはそれとして、できることをやっていくということがいわゆる「苦」と同一化、「苦」になりきるということです。
結果として、「苦」のままであれば、「苦」が「苦」でなくなってしまうのです。
「楽」も同様になくなってしまう。
「苦楽」超然、「苦楽」も同時に解決です(解決すべき「苦楽」はもとなし)。

合掌低頭




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.06 2014 あるがまま・如如 comment10 trackback0

Comment

ひのき
不識さま

ご無沙汰しております。
以前書き込みをさせていただいたひのきです。
その節はご丁寧にご教示いただきありがとうございます。

最近気づいたことがあるのですが、
例えば、感情の悲しいとかつらいとかいうような
単語というか、言葉ですが、本当はそんな言葉に置き換えられるものではないですね。

「悲しい」といわれているような感情は胸が締め付けられるような
なにやらそのような「何か」を感じることが出来るだけで、
それを「悲しい」という言葉に置き換えて言っているだけなんだな、と
気づきました。

だから、私が感じる悲しさと私以外の人が感じる悲しさは
イコールなことはない気がします。
人によっては、足の裏がむずむずする悲しさもあるかも、と。(笑)

ここのところ感情を言い表すのが難しくなっているので、
そのままにしています。

そして、その感情を否定(拒絶・抵抗)しないと、
なぜかその感情はどこかにいなくなります。
2014.07.15 22:09
ひのき様へ
>「悲しい」といわれているような感情は胸が締め付けられるようななにやらそのような「何か」を感じることが出来るだけで、それを「悲しい」という言葉に置き換えて言っているだけなんだな、と気づきました。

そうですね。
置き換えますと、「悲しい」という言葉にくくられることがあります。
その時は、
そのような「何か」は通り過ぎて、すでにないのに、
「悲しい」という言葉にひっかけられ、ズルズルとひきずられて、苦悩するんです。
(生まれたてで、言葉に置き換えることができない時は、このような苦悩はしようとしてもできません)

>だから、私が感じる悲しさと私以外の人が感じる悲しさはイコールなことはない気がします。人によっては、足の裏がむずむずする悲しさもあるかも、と。(笑)

そうですね。
言葉としては、大雑把に表現されますが、
実際は、
雪の結晶、葉の葉脈、雲の形、波の形状がひとつとして同じものがないように・・・です。

>ここのところ感情を言い表すのが難しくなっているので、そのままにしています。

結構です。
否定肯定する以前を「そのまま」と呼んでいます。

>そして、その感情を否定(拒絶・抵抗)しないと、なぜかその感情はどこかにいなくなります。

そうです。
否定(拒絶・抵抗)しない時も・否定する時も、
その感情はどこかにいなくなります。

もし、あるように思える時、・・・
それは、その感情を言葉に置き換えた概念をその感情そのものと勘違いしておるからです。
(あるいは繰り返し出ておることもあるかもしれん。)

ところで、「気づき」ですが・・・
そういう「気づき」を、取っておいて、それを、(「自分を認め」)、「自分」観察して、「自分」に応用しないことをおすすめします。
「気づき」は、それはそれとして、手放ししてしまう。
いずれにせよ、「心」に用事なし。
つまり、
「内向き」でない「眼前」に生活です。(「自分」、「内向き」、「眼前」、「心」も実体としてつかめませんが・・・)

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2014.07.20 13:33
ひのき
不識さま


毎々ご多忙の折、ご丁寧なお返事をいただき、深謝いたします。

>「気づき」は、それはそれとして、手放ししてしまう。

はい、意識して「手放す」というよりは、次のことが起こってきて、
そちらに意識が行くと「手放れている」という印象です。

2014.07.23 11:19
ひのき様へ
>>「気づき」は、それはそれとして、手放ししてしまう。
>はい、意識して「手放す」というよりは、次のことが起こってきて、そちらに意識が行くと「手放れている」という印象です。

そうですね。
いかなる「気づき」も手元に持っておかないということを知っておられたらそれでよいです。
「気づいた自分」がなければそれで結構です。
そのあたりを道元禅師が「眼横鼻直にして一毫も仏法なし」と表現しておられるとおりです。

よろしくおねがいします。
合掌低頭、不識
2014.07.25 20:28
ひのき
不識さま

たびたびのお返事ありがとうございます。

最近坐禅を行っていると、自分の「意」がぽつぽつとただ湧いてきて、
自分でどうこうできるものは本当にないんだなぁ、とただ坐っています。
毎日、ただ仕事をして、ただ生活をしています。


>生まれたてで、言葉に置き換えることができない時は、
このような苦悩はしようとしてもできません。

はい。仰せのことを痛感しています。

ありがとうございます。
2014.07.27 02:08
ひのき様
>最近坐禅を行っていると、自分の「意」がぽつぽつとただ湧いてきて、自分でどうこうできるものは本当にないんだなぁ、とただ坐っています。毎日、ただ仕事をして、ただ生活をしています。

そうですね。
その「ただ」も忘れて…です。

よろしくおねがいします。
合掌低頭、不識
2014.07.28 22:55
ひのき
不識さま

ご多忙の折、いつもありがとうございます。

>その「ただ」も忘れて…です。

ああ、そうですね。「ただ」というと向かっている気配というか、
力んでいる感じがしますね。

ご教示ありがとうございます。

2014.07.30 22:00
ひのき様
ありがとうございます。
よろしくおねがいします。
合掌低頭、不識
2014.08.02 23:33
ひのき
不識さま


こちらこそ、いつもありがとうございます。

酷暑の折、ご自愛ください。


2014.08.04 15:01
皆様へ
今週の記事はお休みします。
不識
2014.08.04 18:22

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