「とらわれ」がないとは・・・

「今まではどう具合が悪かったのかというと、こわいものをこわくないようにしようとするという風に、治すというのは悪い状態の克服であったんですね。勝とうとすることだったですね。そういう事実でない状態、克服という気にならない状態にしていこうとする、事実に反する事柄を実現しようとした,それさへひっこめれば、もう事実があるだけでして、自分を変えようという余計なやりくりが実はいらないのです。もうその感情のまま大事な仕事や勉強をなさるその瞬間瞬間が、とらわれから離れた状態なんですね。自分を変えようと努力をするその事実に反する努力をする前に実際の生活に骨を折るということですね。
それが、ここで数十日皆さんに是が非でも体験していただこうとする課題、今晩の課題でもあるんです。
そうしますと、お望みの対人恐怖より離れるということより、もっと上等な何物にもとらわれない皆さん方がさっそくあらわれて、自分でも全く思ってみなかった自分、知らなかった自分、そういう知ることから離れた皆さん方が、さっそく、すべてのとらわれについて、知ることから離れて、事実に従い、ただその事実だけで、ご自分の問題は解決・処理というわざとらしい、やりくりが何もなされないままで、放置して十分満点なんです。」
(宇佐晋一講話より)

「とらわれ」のまま、前進する時、(結果として、知らずに)「とらわれ」がないんです。
合掌低頭




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.20 2014 あるがまま・如如 comment19 trackback0

Comment

レッド
脳の故障によるうつ病は、宇佐療法をやっても回復しないのでしょうか?
2014.07.20 12:25
レッド様へ
脳の故障でない、うつ=神経症性障害のうつ(抑うつ神経症)では、まったくアプローチが異なることはご承知でしょう。

抑うつ神経症の場合、精神状態は「健常」です。
ただ、その使われ方が違うのです。
ですから、脳の故障によるうつ病のように、まず休養をとっていただくことをしません。

脳の故障によるうつ病については、
その回復期に神経症性障害のうつ(抑うつ神経症)的になることがあり、その時期に宇佐療法が奏功します。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2014.07.20 14:07
ただいま
今、今、と言いますか、その時、その時、と言いますか、
何もしない、が結果論として言える。
何かをしようと、解決しようとしていたことを
そんな自分が涌いても、ただ、その時に任せて
いれば、それで、良い!。
あ~
何をしていたのやら

そんな事実が分かって来ました。
自分が変化するのではなく、変化していく今、
そのままに、ある、ことを継続したいと
思っています。
2014.08.14 04:18
ただいま様
>何もしない

「自分」を認め「自分」に何もしないということです。

>そのままに、ある、ことを継続したいと

ということも、お忘れになって。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2014.08.15 21:10
ただいま
「自分」を認め「自分」に何もしないということです。
       ↓      ↓

>そのままに、ある、ことを継続したいと

ということも、お忘れになって。


生活している
2014.08.18 16:34
ただいま様
>そのままに、ある、ことを継続したいと

「そのままにある」と認知した時、そのままから離れますね。

以前から、「継続したい」とおっしゃいますが、
その分、不要です。

>生活している

コメント上、そう言われるのもやむえませんが、
ご自身には、「生活している」もお忘れになってください。
坐禅で言えば、坐を忘れることが坐であるように。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2014.08.18 17:45
ただいま
不識さん

そうですね、私は「継続したい」「継続します」と言います。

頑張って、継続して、そして、信心を得るんだ!

と思っているから。

確かに、以前は、100%その気でした。

が、そのように、頑張って、継続して、分かるものでは、ない、と

頭の中だけでも理解はして来たようです。

しかし、「努力して得る」ことを、全く忘れたのではありません。

忘れると言うか、頭を出して来るのです。

「その気」にさせる心が。

と書きますと、不識さんから「心の中の説明は無用です」と言われそうです。

時々、頭を出して来るものであれば、説明することもないですね。

なかなか筆が進まなかったのも、何を書いて良いやら、何を書いても

ダメなのでは、と思っていたからです。



自分としては、頭で理解するのではなく、その理解してすっきりしたい

と言う、それもそのままに、鳥は鳴き、自動車は走る、美味しいものは旨い、

アホな話を友達とする、嫌な奴が来ると苦しい・・・

その時、その時を、「生きよう」・・・この「生きよう」も無用で、

その時を、その時で、その時だ  と 思わずに・・・

思わずに、と「思う」のが、もうすでに、その時、と。

生まれて、すでにあったその時、思わなくても、あった、その時、

変化する今の時、を感じています。

2014.10.07 16:43
ただいま
最後をどう書こうかと思い「感じています」と書きましたが、

感じている、では、どうもしっくり来ません。

感じよう!もありませし、感じた、も後のことです。

どう書こうか?も、同じことで…


どう書こうかと湧いて、コーヒーを飲んで、嫁が見ている韓流ドラマを

チラチラと見てます。

外はよい天気で、連休に台風が来なければいいが、と心配が湧き、

コーヒーを継ぎ足し、今晩は一杯行くか~と湧く。

と、「内のことは、書くな」と言われたが、と湧いて

コーヒーを飲み込む。

嫁がテレビを消したので、なんか音楽でも聞くか…


2014.10.08 13:52
ただいま
不識さん

rurumikさんのブログ

三聖病院 宇佐晋一先生のお話 ( その4) (再掲)
http://ameblo.jp/rurumik/entry-11936415962.html

にある宇佐先生の書かれた画像とお言葉から、
前回のコメント

どう書こうかと湧いて、コーヒーを飲んで、嫁が見ている韓流ドラマを

チラチラと見てます。

外はよい天気で、連休に台風が来なければいいが、と心配が湧き、

コーヒーを継ぎ足し、今晩は一杯行くか~と湧く。

と、「内のことは、書くな」と言われたが、と湧いて

コーヒーを飲み込む。

嫁がテレビを消したので、なんか音楽でも聞くか…


ここで、「連休に台風がこなければいいが」と心配し
    
    「今晩は一杯行くか~」と思う

こと、これは、外のことに対して「知性的認知」をして湧いて出てくる

ものですから、なんら問題はないのです。

そこで「今晩は一杯行くか~」と出て「しかし、飲んでいたんじゃ分かるものも

わからないぞ」「まだ、そんな心が湧いてるのか、つまらんことだな」

などと、自分の内に「知性的認知」を内に使うと良くない訳です。


ハンバーグにしようか、牛丼にしようか、いくら考えても決められない、

あ~両方食べたい。どっちにしよう~ 

と、うん、うん、するのは、問題ないのです。

何をやっているんだ、少しは心の問題を勉強してるのに、ハンバーグと牛丼で

いるまで迷ってるんだ、そんなんじゃダメだぞ~

と出て来たら、それまでです。

これは「観念的な取り扱いをやめる」のコメントに書きましたが、

rurumikさんのブログの 三聖病院 宇佐晋一先生のお話 ( その1 )

http://ameblo.jp/rurumik/entry-11932871113.html

にありますように


r,
求めようと思う気持ちが涌いた時は、求めたらいい、てことですか。


u;
いや、気持ちが涌くところまで、するていうことは何らない、何一つないんです。求めたい気持ちが涌くことは、涌くにまかせて、求めるという心の中の行為はしない、行為といいますか、手出しはしない。


だと思います。

その現実でいる ことです。
2014.10.09 18:16
ただいま様へ
>なかなか筆が進まなかったのも、何を書いて良いやら、何を書いてもダメなのでは、と思っていたからです。

「ダメな方」が分かればいいではないですか。
余計な努力が省けます。
以前から申しあげますように、見たこと・した事など「外事」のみ書けばよろしいです。

>変化する今の時、を感じています。


変化するそのものを「無常」と呼んでいます。
注意することは、何か変化する「中心、土台」があって変化するということではありません。
何か変化する「中心、土台」は不変のものとして認められないのです。


十分、ご承知のことでしょう、「今の時を感じて」の時、その「今」は過去になっています。
過去(未来)のことしか認識できません。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2014.10.13 18:33
ただいま様へ
>ここで、「連休に台風がこなければいいが」と心配し「今晩は一杯行くか~」と思うこと、これは、外のことに対して「知性的認知」をして湧いて出てくるものですから、なんら問題はないのです。

そうです。

>そこで「今晩は一杯行くか~」と出て「しかし、飲んでいたんじゃ分かるものもわからないぞ」「まだ、そんな心が湧いてるのか、つまらんことだな」などと、自分の内に「知性的認知」を内に使うと良くない訳です。

そうです。
それでも、「まだ、そんな心が湧いてるのか、つまらんことだな」と出ても、それはそれで、手をつけず、そのまま。
どんな思いが出てこようと、良し悪しなし。

このブログ同様、あの図を、ご「自分」に応用して、「内面」の作業のきっかけにしないことをおすすめします。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2014.10.13 18:37
ただいま
不識さん

rurumikさん へのコメントを読ませて頂き、自分の(理屈でない、我として)整理がついたようです。


三聖病院 宇佐晋一先生のお話 ( その1 )不識さんコメント

4http://s.ameblo.jp/rurumik/entry-11932871113.html


「苦しめる素材は何だったでしょうか?」

同じコメント4から

「問題をつくっている「自分」がなければ、自分以前の問題のない「地面」があらわになる。」

そういうところにいるのに、「自分」で「自分」に問題をつくり「自分」を苦しめているのです。
繰り返し申し上げているとおりです。


同じその1-コメント7

先生の言われる「自分に目的のない行為」とは、「自分」を立ち上げてもち運ぶ、内向きの「自分」対「自分」の努力でないということです。
「外向き」の努力ということです。

同じその3-コメント4

http://s.ameblo.jp/rurumik/entry-11934794755.html

「内面整理」のつかない、「内面消化不良」のまま、ぶっつけで、「外」の作業だけに向かえるようにしたらよろしいです。

同じその2-コメント4

http://s.ameblo.jp/rurumik/entry-11933768102.html

「わからなさ・知らなさ・決められなさ」です。
つまり、無言で行動(「疑問」「不満足」の思いは出っぱなし、「疑問」「不満足」の思いとひとつ)です。


これより、ただいま

つまり、「自分対自分」これがなければ、自然に、すでに外向きです。
そして、「自分対自分」に陥る、その癖は、「わからなさ・知らなさ・決められなさ」
これに任せて、そのまま外向きの生活です。
2014.10.15 10:36
ただいま様へ
>「自分対自分」これがなければ、自然に、すでに外向きです。
そういうことです。

繰り返しですが、「自分対自分」がある時はあるまま排除しようとしない。
ある時はあるまま「眼前事実」に動かされる。

>そして、「自分対自分」に陥る、その癖は、、、

「「自分対自分」に陥る、その癖」というように、
「自分」をわかる・知る・決めることから、離れてください。
つまり、
「こういう癖がある自分」のように、
「自分」説明・「自分」概念化は、しないことおすすめします。

>「わからなさ・知らなさ・決められなさ」これに任せて、そのまま外向きの生活です。

そうなんです、結果としてね。

ただいまさんは、十分ご承知と思いますが、
他の方の参照のために繰り返しますと、・・・

わからなさ・知らなさ・決められなさ状態を文章で伝えると
「わからなさ・知らなさ・決められなさ」と書くんですが、
実際のわからなさ・知らなさ・決められなさ状態は、そのようであることもわかっていない気づいていない様子です。
そうわかっていたら、「わからなさ・知らなさ・決められなさ」と表現していることではなくなるんです。

「これに任せてそのまま外向きの生活」とありますが、
実際に
その方が、このブログで繰り返されておる理屈から離れて生活できているかです。

何を言いたいかというといつも申し上げているとおり、
「わからなさ・知らなさ・決められなさ、これに任せて、そのまま外向きの生活」という「教え・考え」を先に掲げて、それに「自分」をあてはめていこうとするとおもしろくないのです。
「自分」対「自分」になってしまうから。
それより、廊下にごみが落ちていると、ごみを拾うというように、事実から動かされるのです。

メールでのやりとりで伝えても考えの中の会得に終始してしまいがちです。
そうでなく、考えの中の会得・考えの整理以前に、 考えの世界で解決しようとすることから離れ、中途半端な感じで、いきなりぶっつけの「外向き」活動そのものにありきってしまうのです。
一言付け加えず、理屈抜きに、ただ活動の「縁」に活動するということ。無言の行です。

「自分の都合」が通じない、「自分の言い訳」できない、「内面整理」のつかない、「内面消化不良」のままです。
「整理」のつかない「形」で「整理」が実はついておるのです。

(「整理」のつかないまま、)ぶっつけで、「外」の作業だけに向かえるようにしたらよろしいということです。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2014.10.20 21:59
ただいま
不識さん


>「「自分対自分」に陥る、その癖」というように、
「自分」をわかる・知る・決めることから、離れてください。
つまり、
「こういう癖がある自分」のように、
「自分」説明・「自分」概念化は、しないことおすすめします。




「「自分対自分」に陥る、その癖」
と、思うことが、出たことで、思いっぱなしであれば、すでに出てしまったもの、と言うことです。
概念化になりませんね。



>「これに任せてそのまま外向きの生活」とありますが、
実際に
その方が、このブログで繰り返されておる理屈から離れて生活できているかです。



繰り返している「理屈」とは湧くもので、消えるものです。
湧いては来ます。が、それがそのまま消えて行く様、そのものであれが、離れて生活できている
ことです。外向き生活者です。



>「わからなさ・知らなさ・決められなさ、これに任せて、そのまま外向きの生活」という「教え・考え」を先に掲げて、それに「自分」をあてはめていこうとするとおもしろくないのです。
「自分」対「自分」になってしまうから。




「そのまま外向きをしようとする自分」があると思うではなく、
「こうしようとする自分」と思った、思いを、そのままにまかせている、
 ことです。
「まかせる」もない、すでに「おまかせ」の「まま」です。


>こうしたいと思った
それより、廊下にごみが落ちていると、ごみを拾うというように、事実から動かされるのです。




思いは、いろいろ湧いて来ますが、それは、それだけのもので、不識さんの言われる「名札」です。
それをNo.1と生きて来たことから、目の前の事実、外向きの生活です。



>メールでのやりとりで伝えても考えの中の会得に終始してしまいがちです。
そうでなく、考えの中の会得・考えの整理以前に、 考えの世界で解決しようとすることから離れ、中途半端な感じで、いきなりぶっつけの「外向き」活動そのものにありきってしまうのです。
一言付け加えず、理屈抜きに、ただ活動の「縁」に活動するということ。無言の行です。

「自分の都合」が通じない、「自分の言い訳」できない、「内面整理」のつかない、「内面消化不良」のままです。
「整理」のつかない「形」で「整理」が実はついておるのです。

(「整理」のつかないまま、)ぶっつけで、「外」の作業だけに向かえるようにしたらよろしいということです。




「理屈」でなく、理屈でない外向きの生活、理屈が出ようと構わない生活。
>「整理」のつかない「形」で「整理」が実はついておるのです。
2014.10.21 17:56
ただいま様へ
>「自分対自分」に陥る、その癖」と、思うことが、出たことで、思いっぱなしであれば、すでに出てしまったもの、と言うことです。
概念化になりませんね。

コメントに明記なさったので概念化になります。
それから、「癖」という実体はありません。


>離れて生活できていることです。外向き生活者です。

「離れて生活できている」なら、生活それ自体で十分。
「できている」「外向き生活者です」という「自分」説明をなさらないようにおすすめします。

>思いは、いろいろ湧いて来ますが、それは、それだけのもので、、目の前の事実、外向きの生活です。

そう、それだけのものです。

>「整理」のつかないまま、、、

「整理」ばかりに気を取られていたことが、「整理」のつかないままにあるのは、素晴らしい。
「ない心に用事」する・「ない自分に用事」する余計な手間が省けて、とてもいいでしょう。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2014.10.27 00:21
ただいま
不識さん

「整理」のつかないままに「ある」
2014.11.07 19:29
ただいま様へ
>「整理」のつかないままに「ある」

繰り返しでくどいようですが、、
このブログによって、「内面」の作業をすることにならないようにお願いします。
「整理のつかないままにある」という「内面」説明不要。
「整理付かない形で整理がついておる」と申したのは「内面」の作業やめてもらうためです。


釈尊も6年間、「私」をたちあげて、わかったこと・考えをもってその「私」を作りかえようとした。徹底した6年でしたが、うまくいかなかった。
やりようがなくなり、「考え・見方」でやりくりすること・「観念生活」がやんで、事実の中にどうしようもなくあったんです。

その時、「私」が介在せず、事実がちゃんと事実していてそれで成り立っていて問題なかったと気づいたんです。この「私」をあるものとして「私」を取り扱うことが間違いだったと気づいたんです。

「自分」に用なし、「自分内面」説明なし、
「コーヒ―飲んだ、仕事した、TV見た、花 が咲いていた」のように、見た事・した事だけ書いてください。
「わかったこと」すべて、棚上げして、「ただ、生活」 。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2014.11.10 20:59
ただいま
不識さん

そうでした。

車に乗る時、ハンドルを持つと、その革の滑らかさが手に伝わり

アクセルを踏む微妙な力加減を感じいています。

朝、顔を洗う水の冷たいこと!

二度とない、この日、この時を生きています。

2014.11.21 17:01
ただいま様へ
>ハンドルを持つと、その革の滑らかさが手に伝わりアクセルを踏む微妙な力加減を感じています。

そうです。
「外」だけになった時、すべて「外」になり、「外」がなくなる。「内」もなくなる。

>顔を洗う水の冷たいこと!

「冷たい」という状態にありきっておるその瞬時、
「冷たい」という状態のすべてです。
玄沙和尚は、山道で爪をはがした痛さで悶絶し、痛さがすべてとなった時、「私」はないと聞かされていたが、どういうことだろうかと思いが出て、、、大悟したということです。
それは非日常の神秘体験的なことではありません。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2014.11.24 00:47

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