観念的な取り扱いをやめる

「このもの」(この「身体」)を「私」「自分」と思いこんで、観念的な取り扱いでどうこうしようとしたのが「脱線」のはじまりです。

その「自分」を不変・固定的なものと認め、「自分」をもち運んでの「修行」ではないんです。
「考え・教え」を先に掲げて、「考え・教え」のとおりになろうとするでしょう。「考え方」でなろうとすることをやめる。
いくら修行しても、「考え」から一歩も出られないのです。
「あるがまま」ときくと、「あるがまま」という態度・姿勢をつくるでしょう。(そうだとしたら・・・)
そういう観念的な取り扱い(「つくり事・はからい」)をやめる。
すでにそうなんだから、不要なんです。

(「自分」の方からでなく、)「事実」(「縁」によって変化していく生活状況)に(動こうとしなくとも)動かされていくんです。
鳥が鳴けば鳴き声が聞こえるように、必然的に活動するようにできているのです。
そういう作用にまかせていくのです。

合掌低頭




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.21 2014 他の療法との違い comment4 trackback0

Comment

ただいま
不識さん

悟った人

悟ろうとしている人

悟ろうとも思わない人


何が違うんでしょうか?
2014.09.25 17:29
ただいま様へ
そもそも、・・・の「人」はありますか?

疑問という作用がでたら、その作用が疑問するそのものになる。
「自分」を忘れる(⇒もと「自分」はないのですが)ほどに。

・・・ということも忘れるほど、
生活三昧。


よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2014.09.29 18:00
ただいま
不識さん

rurumikさんのブログから

宇佐先生のお話し

一つずつお答えしていきます。
一つ目は、なんであれ、求める事、嫌って避ける、厭う、そのどっちも全く要らない、です。求めることも嫌って避けることも要らない、ですね。
非常に気になったら気になったまま、ということです。決着をつけるほどのはっきりしたこの意識、ていうものを明確にする必要がない、ということですね。

r;
求めようと思う気持ちが涌いた時は、求めたらいい、てことですか。


u;
いや、気持ちが涌くところまで、するていうことは何らない、何一つないんです。求めたい気持ちが涌くことは、涌くにまかせて、求めるという心の中の行為はしない、行為といいますか、手出しはしない。

ただいま

これと同じと思います。
2014.10.02 14:51
ただいま様へ
ただいま様、このように、これまでの回答にご返事ください。
言葉のない返事の場合も表現はいろいろできるでしょう。


他の読者の方々へ、
この引用文だけではわかりにくいことがあるかもしれません。
よければ、rurumikさんのブログ(リンクからどうぞ)をご覧ください。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2014.10.06 18:46

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