「努力即幸福」

森田先生が言う、「努力即幸福」ですが、「努力」というても、バタバタすることだけではない、「内向き」以外の活動と受け取ってください。
ですから「努力即幸福」というのは、「外向き」だけになっていて、「外」が「活動」がすべてとなり、「外」も「内」も「活動」も「幸福」「不幸」も「こちらの自分」「あちらの相手」も「生」「死」もない。
そのようにあるまま(「外」「内」「活動」「幸福」「不幸」「こちらの自分」「あちらの相手」という名札がつく前の状態)にある(その最中は「そのようにある」とも知らない)ことです。
合掌低頭




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.06 2014 他の療法との違い comment15 trackback0

Comment

ひのき
不識さま


いつも丁寧にご教示いただきありがとうございます。
ひのきです。

rurumikさんの
【三聖病院 宇佐晋一先生のお話 (その4) (再掲)】
http://ameblo.jp/rurumik/entry-11936415962.html

を拝読し、宇佐先生のお書きになった図を元に教えていただきたいことがあります。

1)六根の「意」は、宇佐先生の図で言うと、どこの部分になるのでしょうか?
2)六根の「意」以外は感覚的認知に属するのでしょうか?
3)坐禅の効用は、感情的認知・感情的認知が静謐に向かうということでしょうか?
4)3)の結果より、自忘する、ということは、認知(知性的認知)部分が停止するということでしょうか?


以上、ご多忙の折大変恐れ入りますが、
どうぞよろしくお願い申し上げます。
2014.10.09 11:20
ひのき様へ
>1)六根の「意」は、宇佐先生の図で言うと、どこの部分になるのでしょうか?
>2)六根の「意」以外は感覚的認知に属するのでしょうか?

「無眼耳鼻舌身意」とあるとおりです。
この図をきっかけに「内向き」の作業に手をつけないようにおすすめします。

>3)坐禅の効用は、感情的認知・感情的認知が静謐に向かうということでしょうか?

静謐に向かっても向かわんでも、その時の状態のままです。
その時のどんな状態のまま、「脱落」です。
いずれにせよ、
「効用」を求めますとよろしくないです。

>4)3)の結果より、自忘する、ということは、認知(知性的認知)部分が停止するということでしょうか?

「眼耳鼻舌身意」の「外向き」作用のままということです。

「自忘」は「自分」・「人」も「もの」も忘ぜられることです。

そして、忘れるべき「自分」という中心がもともとなかったということ。
「このもの」だけでなく「みんな」そうだったんだということ。
(「自忘しましたという自分」が残っては面白くないのですが、、、)

もとそういう状態にあるのだけれど、「言葉・考え(見)」で覆い隠してしまっているのです。(その言葉・考えを事実そのものと錯覚しておる)
「言葉・考え(見」)を「名札」のように張り付けて、その勝手につけた「名札」によって、ないものを「ある」と振り回されておるのです。

「名札」以前のこのとおりの「事実」が「事実」に証明されていたんだということです。


よろしくお願いします。
合掌低頭、不識

ps;
rurumikさんのブログ宇佐先生の話(1,2,3)にコメントさせていただきました。よろしければどうぞ。
2014.10.13 19:18
ひのき
不識さま


こんにちは。ひのきです。
いつも丁寧なお返事ありがとうございます。

今週始めから参禅に行っており、現在なぜか思考停止状態です。

しっかり拝読しお返事差し上げますので、
少々お待ちください。

当方からお尋ねしておきながら、わがままを言って
心より申し訳なく存じます。


2014.10.16 22:07
ひのき
不識さま


追伸です。

ただ湧いてくる考えも「意」の働きなら、
それを捕まえて考えに引きずり込むのも「意」の働き。
ただ、縁に触れてそういう働きがあるのではないでしょうか?

それにはたと気づいたら、思考のブレーカーが落ちてしまいました。


>そして、忘れるべき「自分」という中心がもともとなかったということ。

おっしゃる意味はよくわかります。

まずは、この思考停止状態をなんとかしないと、仕事になりません!(苦笑)
2014.10.16 22:58
ひのき
不識さま


いつもご多忙の折、ありがとうございます。
ひのきです。


考えがまとまるのを待っていると
いつになるかわからないので、
とりあえず思いつくままお返事差し上げます。

先日私が質問差し上げたことについては、
「その時、そういう思いが出た」だけです。

なので、不識さんのお答えくださった内容に関しては承知いたしました。
ご丁寧にありがとうございます。


大変ぶしつけな質問で申し訳ないのですが、
お尋ねしてもいいですか?
(不快・不都合でしたら、この書き込みは削除くださってかまいません)

湧いてくる思いは、ただこの自分らしきものの「意」の機能として
縁に触れ湧いてきているだけであって、いいも悪いもない。

だから、「あいつムカつくーー!」は「あいつムカつくーー!」のまま
グダグダ考え続けてもそのまま放置。
「心配でしょうがない」は「心配でしょうがない」のまま
グダグダ考え続けてもそのまま放置。

※↑いずれ消えるので。
(どうがんばっても24時間365日ずっとその思いを考え続けるのは不可能)

「あいつムカつくーー!」や「心配でしょうがない」は
不快に感じるから排除(出てこないように)しようとしますが、
排除(出てこないように)しようとすることさえ意の働きですよね?

「手をつけない」ではなく、
そもそも「何一つ手をつけられるものがない」のだから、
頭の中でループしていても結果的に
「目の前のことしかできることはない」のですよね?
(たとえば、飲み込んだご飯(過去のこと)を
吐き出して作り直すなんてできません。)


ちなみに
色即是空・空即是色 は 六根と六識(?)のことだと思ったのですが、
違うでしょうか?
2014.10.19 02:05
ひのき様へ
>現在なぜか思考停止状態です。

そのように、
「自分」を観察・眺め、概念化することはおもしろくないです。
坐禅で言うといわゆる二人連れの禅です。


>「その時、そういう思いが出た」だけです。

ひのきさんのコメントにはコメントせずに、
「その時、そういう思いが出ただけですか」と受け流していけばいいということですか?


>「あいつムカつくーー!」や「心配でしょうがない」は不快に感じるから排除(出てこないように)しようとしますが、排除(出てこないように)しようとすることさえ意の働きですよね?

そうです。

>「手をつけない」ではなく、そもそも「何一つ手をつけられるものがない」のだから、頭の中でループしていても結果的に「目の前のことしかできることはない」のですよね?

そうですね。
そして、「神経症」になることもできる。

>色即是空・空即是色 は 六根と六識(?)のことだと思ったのですが、違うでしょうか?

そうですね。
色声香味触法即是空・空即是色声香味触法といえます。
色声香味触法即是色声香味触法・空即是空です。
色声香味触法なく、空なし。

言葉で言うと難しく聞こえますが、事実で示すと義衍老師でいうとパンという音です。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2014.10.20 22:09
ひのき
不識さま


こんにちは。
いつもご多忙の折、ご指導いただきありがとうございます。
ひのきです。

>そのように、
>「自分」を観察・眺め、概念化することはおもしろくないです。
>坐禅で言うといわゆる二人連れの禅です。

はい。不識さんのご親切に応えたく、
迅速にご返答を差し上げたかったのですが、
あの時は何を記せばいいのかまったく思いつかず、
ただ、近況報告だけを差し上げようと思い、記した次第です。


>ひのきさんのコメントにはコメントせずに、
>「その時、そういう思いが出ただけですか」と受け流していけばいいということですか?

まだ整理できていないのですが、というより、
整理しようと考えてもいないのですが、
しいて言えば、不識さんの仰る、「わからなさ」のまま生活している次第です。
「わからないことをわからないままでいてもいいんだ」ということに
気付いたと申しましょうか…。

以前は、「そのまま」でいようとして「そのまま」でない状況に
迷い込んでいました。
「そのまま」でいようとすることがすでに「そのまま」じゃないのですね。


最初の図解をお伺いしたのは、理論細分化を理解していくなかで
何やらヒントがあるのではないか?と思って書き込みをしました。

しかしながら、「何も手を付けようがない」と気付いてみれば、
何故だかわからないのですが、
理屈で整理しようと懸命に探しまわっていた気持ちが止んだのです。

でも、確かにあの時は不識さんにおたずねしたいと思ったのです。

>そして、「神経症」になることもできる。
はい。ちなみに↑は、「意」とひとつになっている。
実は、自分がない状態とは違うのでしょうか?


ご親切にも不識さんにたくさんご教示賜り
「わからなくていいんだ」ということに気づいて安堵してみたら
今はあまり雑念が出てこない(雑念なんてないんですが)、という状況です。
雑念が止んでも、生活が出来ている不思議さ。
↑これも「観察しています」とご指摘を受けそうですが、
現状報告と受け止めていただければ幸いです。


※私はほとんど仏教も仏道も学んでいませんが、
仏教も仏道(悟り)も実はないんじゃないか?と感じています。

法はあるかも…知れません。。。まだわかりません。


いつもありがとうございます。
2014.10.21 10:08
ひのき
不識さま


>言葉で言うと難しく聞こえますが、事実で示すと義衍老師でいうとパンという音です。


そうですね!
あーそうですよね!
なんて端的で美しい表現なんでしょう!!
無駄がひとつもないという。。。
(もともとないですね。)



ありがとうございます。


2014.10.21 10:32
-
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2014.10.22 14:10
ひのき様へ
>「わからないことをわからないままでいてもいいんだ」ということに気付いたと申しましょうか…。

ここでいう「わからなさ」は、「わかる」の対ではなく、
「わかる・わからない」以前のことです。
それからもうひとつ、
「~でいいんだ」というのは、気をつけてください。
「いいんだの自分」が残ってしまうから。
あるいは、
「~でいいんだ」という考えを基にしてそれを目的にするのはおもしろくないです。

>「そのまま」でいようとすることがすでに「そのまま」じゃないのですね。

そうです。
(まずはそこをおさえて、その次にそれも実はそうだったと気づいてください)

>理屈で整理しようと懸命に探しまわっていた気持ちが止んだのです。

結構です。
気持ちが止んだまま・気持ちが止まないまま、いずれにせよ「外事」だけです。

>ひとつになっている。実は、自分がない状態とは違うのでしょうか?

そうです。
実は、「自分がない状態」ばかりです。

>(悟り)も実はないんじゃないか?と感じています。法はあるかも…知れません。

「一毫も仏法なし」のとおり「法」・「悟り」も説明概念です。
仏教は、「ある・ない」以前を「悟り」と仮に呼んで、「観念」以前の事実生活に気づいてほしかったのです。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2014.10.27 00:13
ひのき
不識さま

いつもご多忙の折ありがとうございます。
ひのきです。


>「~でいいんだ」というのは、気をつけてください。
>「いいんだの自分」が残ってしまうから。
>あるいは、
>「~でいいんだ」という考えを基にしてそれを目的にするのはおもしろくないです。

そうですね。以後気をつけます。
↑といっても、気をつけることに注意は払いません。


>まずはそこをおさえて、その次にそれも実はそうだったと気づいてください
はい、そうでした。本当に。。。


>実は、「自分がない状態」ばかりです。
ああ、これもそうです。自分があったことなどないという。。。

※すべて、素直に湧いた思いを述べました。


ありがとうございます。
2014.10.27 21:33
ひのき様へ
>素直に湧いた思い

「思い」は、事実について思うのですが、事実そのものとは違うことを再確認してください。

思いは、ぱっと出て、消えていくまま、観察し追いかけることない時、「思い」と「自分」というような「へだて」ができず、「ふたつ」にならないのです。

「事実」が先「思い」は後です。
「事実」生活が先、ご承知のとおりです。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2014.11.03 17:16
ひのき
不識さま


はい。そのとおりですね。
いつもありがとうございます。

2014.11.09 00:45
ひのき様へ
よろしくお願いします。
合掌低頭、不識

2014.11.10 20:48
-
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2014.11.11 18:56

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