「仏法」と「仏教」


「法」とは、分かること以前、「今」ということ。「私」という介在がないのです。
「平常是道だ」「祗管打坐すればいいんだ」「百千の経巻ここにあり」という「教え」の上だけで納得し、そこにあぐらかくことはおもしろくない。
ですから、「法」に実証されるのです。
そして、「月」を見たら、「指」もそのものであったと知るのです。
すべてそのものですので、「そのもの」もない。
「影」も「形」もなく動かされ動く。

合掌低頭




スポンサーサイト
.17 2014 あるがまま・如如 comment0 trackback0

Comment

Post comment

  • comment
  • secret
  • 管理者にだけ表示を許可する

Trackback

trackbackURL:http://miroku18.blog.fc2.com/tb.php/69-c183e40a

最新記事

最新コメント

カテゴリ

カレンダー

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

リンク

月別アーカイブ

最新トラックバック

検索フォーム

RSSリンクの表示

QRコード

QR

カウンター