神経症の範囲

「神経症の範囲」とは、森田先生の後、さらに宇佐先生が付け足した話です。
そういう実体はないのですが、「神経症」が実体としてあるという方に合わせた話です。
さて、皆さんおわかりでしょうか。

合掌低頭




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.01 2014 他の療法との違い comment20 trackback0

Comment

ただいま
不識さん

範囲と言うのが、神経症でない、神経症だ、だとしますと

神経症の範囲は、すべて、だと思います。

生きている人、すべて神経症だと思います。
2014.12.01 12:27
rurumik
こんにちは。

>神経症の範囲

ただいまさんのコメントを読ませて頂いて、なるほどー、そうかも。。と思ったのですが、
実感としては、自分の回りの人たち、とても神経症とは思えない。どうして皆、あんなに自分のことを振り返らずにいられるんだろう(人のことなので、実際のところはどうかわかりませんが、自分にはそう見える)と思ってしまう時があります。あれ?今、書きながら思ったのですが、もしかして、神経症の範囲は、自分を振り返った時だけとか??
2014.12.06 09:23
ことぶき

本来計ることができないものに自分のモノサシをあてて、計ろうとする。「こっちから神経症、あっちは正常」これによって神経症の範囲が生まれるんじゃないかな。ワンマンショー、一人相撲です。範囲をつける=神経症かな。
2014.12.06 19:55
わや
 こんにちわ。いつもお世話になっております。

 >「神経症の範囲」とは、・・・
 それは、自分を対象とした考えにしかないと思いました。
2014.12.07 13:18
ただいま様へ
>生きている人、すべて神経症だ

そうと限らないでしょう。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2014.12.08 00:28
rurumik様へ
そうですね。
宇佐先生の説明では「自己意識内容」と限定しておられます。
とはいうもののこれも固定的な実体はありません。

申し上げたいことは、宇佐先生の言葉をお借りすれば「外」向き活動ですね。
繰り返しますが、これも「外」「内」「振り返る対象の自分」という固定的な実体はありません。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2014.12.08 00:30
ことぶき様へ
>ワンマンショー、一人相撲

「自分」対「自分」ということになりますね。

ですから、宇佐先生の言葉をお借りすれば「外」向き活動ですね。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2014.12.08 00:35
わや様へ
そうです。

考えも道具として「外」向きに使うようにある。
「外」に活動しておる時は、自動的に「神経症」が不成立。
「神経症」で苦しもうと思っても苦しむことができませんね。

十分ご承知のとおりです。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2014.12.08 00:40
ことぶき
不識様、ご返答ありがとうございます。
2014.12.08 08:02
ただいま
不識さん

そうですね。

私は神経症と言われる者ではありませんが、

煩悩に悩みを持つと言う点では同じ人間であります。

この道に入る前は、煩悩(欲)は、人間生活をより満喫させるために

あり、これを満たして行くのが人生だと思っておりました。


しかし、この道に入りまして、自分を振り返った時に、

自分の煩悩は、この人生を満喫するためのもの、と言うよりも、

自分を苦しめているのではないか! と気が付いたのです。


一般の人は、気が付かないだけで、この煩悩を満足させる生き方に、

何の疑問も持っていません。

が、実際は、それは人生を豊かにするどころか、

自分が苦しむ、そのものであるのです。


神経症の方は、その自分の煩悩に苦しんで、苦しんでおられる方と思います。

神経症でない、私も、自分の煩悩に苦しんでおります。

普通の人も、知らないだけで、自分の煩悩に苦しんでおります。


そう言う意味では、すべての人が神経症だと思いました。


不識さんの言われますように、自分が自分(煩悩)に向かった時のみ

神経症が成立する、と言われることの方が、

範囲としては正しい言い方だと思います。

私の言い方では、「外向き」が出てきません。

2014.12.08 14:52
rurumik
不識さん

お返事ありがとうございました。
2014.12.08 18:31
わや
 ご返信ありがとうございました。
2014.12.08 20:53
ことぶき様へ(12.08 08:02 )
ありがとうございました。
合掌低頭、不識
2014.12.15 00:32
ただいま様へ(12.08 14:52 )
>自分を振り返った時に、自分の煩悩は、この人生を満喫するためのもの、と言うよりも、自分を苦しめているのではないか!と気が付いたのです。

「煩悩」と概念化し、それを相手にして、どうこうしようとするから、苦しむのです。
煩悩のまま、手付かず、前に進む時、煩悩だけにあり比較がなくなり、苦しむことはありません。
不満足のまま、手付かず、前に進む時、不満足だけにあり比較がなくなり、苦しむことはありません。
実験してください。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2014.12.15 00:36
rurumik様へ(12.08 18:31 )
ありがとうございました。
合掌低頭、不識
2014.12.15 00:37
わや様へ(12.08 20:53 )
ありがとうございました。
合掌低頭、不識
2014.12.15 00:39
ただいま
不識さん

実験しております。

少し感じたことは

不識さんが言っておられることですが、

一つのことにしか意識を向けられない です。

Aと言うものに意識が向けば、そこに心が湧きます。

その途中、Bが気になれば、そこに、心が湧きます。

その時、Aのことは意識にないのです。

かと言って、Bに向いていれば、そこに心が湧いていますから

平安ではありません。

「前へ進む」とは、この「今」の、前へ、前へ進んで行く「今」に

いる、と言うことです。

それは、不識さんの言葉で「外向き」と思います。


2ヶ月前くらいから、肩こり解消のため、ヨガを始めました。

今朝もしておりましたが、心は早く終われせたいと、動き、

その場におりません。

ふと、そのことに気付き、体を動かす痛みに意識を向けました。

そして、その時「今」にいることは安定していて、意識に対象がない

ことを感じました。

体の痛みを感じようした、その時のことです。


>手付かず、前に進む時

とは、「今」にあって、不満(何かを対象として湧いている)とか、

意識が、「今」以外を意識していないので、対象がないから比較がなく、

苦にならないことと思いました。

Aのことで悩んでいたのに、ふっとBが気になった時、Aの苦悩は忘れている。

苦悩が無くなっていることと同じで、

Aのことが苦になっていても、「今」そのものに意識が向けが、

そこにはBのような対象はないけれど、そのAとの苦悩は無くなっている。

と言うことです。


>不満足だけにあり

とは、不満足と言う心がある時、「外向き」であり「今」であり「進む」であ

れば、「不満足」と言う心は、そのまま手付かずでありながら、

ただ「ある」と言う、対象のない「外向き」にあって、苦にならない。

と言うことだと感じました。
2014.12.24 15:09
ただいま様へ
>Aのことで悩んでいたのに、ふっとBが気になった時、Aの苦悩は忘れている。

そうですね。
Aを実体あるものとして認識して相手にするから、問題が生じます。
「言葉・考え」という素材がない時、問題が成立しないのです。

そして、
…説明より、まずは、なくなったかどうかです。
自分で自分の実況中継のようなことにならないようにお願いします。

合掌低頭、不識
2014.12.29 15:40
ただいま
不識さん

承知しました。
2015.01.06 14:07
ただいま様へ
よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2015.01.12 22:11

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