「心的葛藤」のまま

「心的葛藤のままでよい」という話が三省会で出ました。
「心的葛藤のままでよい」を間違いますと、「自分」で「自分」を観察して、「自分の状態」を「よい・わるい」と評価する「自分」が残ります。
「自分をこういう状態にしておいたらよいのだ」という「見解」をもって「自分」を取り扱うこと、
つまり、「心の用事」になっては面白くないのです。
「葛藤する自分」対「それを観察、評価し、処理する自分」になってしまうからです。

「心的葛藤」・「自分対自分」は、事実はありえない。比較する「対象」がないからです。
できるように思えるのは「考え」の中だけです。
事実より、「考え」を先行させてはならないのです。

さて、
「心的葛藤のままでよい」(=「内向き」の用事なし)と表現された実際は、
「外向き」の生活ということです。
「外向き」の生活と申しても、何もバタバタ動くだけではありません。
入院第一期のように横になるままにあることもある。入院第二期のように眼に映るもの映じるまま観察することもあるのです。(いつも申すように「内」「外」があるわけではありません)

合掌低頭





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.19 2015 あるがまま・如如 comment8 trackback0

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rurumik
12月19日の宇佐先生のご講話、文字起こししました。
rurumikブログにupしました。
よろしくお願いしますm(__)m
2015.01.21 12:30
ただいま
不識さん

見たり、見なかったり、聞いたり、聞かなかったり

頭で、認識したり、認識しなかったり、認識したり、認識しなかったり

自分対自分がなければ、自動的に「外向き」

2015.01.22 13:50
rurumik様へ
ありがとうございました。合掌低頭、不識
2015.01.26 18:54
ただいま様へ
>自分対自分がなければ、自動的に「外向き」

そうです。
「自分」対「自分」は、本来ありえません。妄想です。
釈尊の苦行6年の直後はそのような状態だったはずです。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2015.01.26 18:58
ただいま
不識さん

「あっ!」と思った時は、それが事実。
続けて「そんなこと 思って!」 と思ったら、それが事実。
今、今、が事実です。
その事実に、任せていく。取り返せないこと。
2015.01.29 19:54
ただいま様へ
>続けて「そんなこと 思って!」 と思ったら、それが事実。

ここで取り上げている事実あるがままは、概念でとらえられる以前の言葉のないところ・ナマの事実をいっておるのです。

ナマの事実は、言葉・考えのおよばないところにあるのです。不変の固定したものとして認識し「概念化されたもの」・「思い」・「考え」・「見解」・「観念」=動いているナマの事実と勘違いすると苦しみにつながります。
そして、ナマの事実から離れた「考え」の中で、追究、操作、改善しようと努力するため苦しむのです。

>その事実に、任せていく。
すでにまかせてあるんです。
ですから、「任せていく」は、そのままということです。
ただ、「私が生きてるんだ」という時、「我見」が邪魔して、すでにまかせてあることがわからないのです。
>取り返せないこと
そう、取り返そうと思う時、その心の状態は過ぎ去っているのです。
ですから、過ぎ去ったその状態を概念に置き換えたもの・「観念」を相手に用事しないことです。
十分おわかりでしょう。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2015.02.02 00:14
ただいま
不識さん

>「観念」を相手に用事しないことです。


徹底いたします。
2015.02.04 13:07
ただいま様へ
そうです。
単に、「外向き」 です。(「外」も「内」もありませんが)

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2015.02.08 17:28

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