自己観察しない・自己概念化しない

「精神療法」が300以上あると言われますが、「自己」観察しない「自己」概念化しない療法(不問療法)は、「森田療法」の元のバージョンを引き継ぐ「宇佐療法」だけです。
そう言われると、「自己」観察してないだろうかと、チェックすることもあるかもしれません。
もしそうなら、そういう「心の作業」から離れてください。
実際には、「環境状況」と一如に動かされておるまま生活です。
合掌低頭







スポンサーサイト
.23 2013 他の療法との違い comment8 trackback0

Comment

rurumik
おはようございます。
rurumikです。rurumikブログで、たくさん教えて頂いて、ありがとうございます。

>「目の前」に進もうとせんでも、「目の前」に関わっておる、そのはたらきのまま、動かされ、生活する。・・・仕事する。勉強する。家事する。畑仕事する。料理する。トイレする。入浴する。食事する。

これまでの経験から、自分の神経症(強迫観念)を治す(治す、という言葉が適当なのかどうかよくわかりませんが)には、目の前に進む以外ない、というのはわかりました。始めかけは、「よし、目の前に進まなくちゃ」と、意識してしまうことが多いです。(私が専業主婦で、一日の時間の多くが、自分の自由に使えるから…というのがあります。)
自己観察、自己概念化は、何かをやりながらでも、ハッと気がつくと、してしまっています。それも、何かをやりながら、そのまま…ということでしょうか?
2013.09.24 09:37
rurumik 様へ
ご質問ありがとうございます。
ご質問への回答は、わかること・納得してもらうことというよりは、納得いかなくとも、その場その時に応じた、はたらきそのものになっていただこうという趣旨です。

>神経症(強迫観念)を治す(治す、という言葉が適当なのかどうかよくわかりませんが)には、目の前に進む以外ない、というのはわかりました。


おっしゃるとおり「治す」は、わかりやすく言っているだけで、適当ではありません。

神経症は、精神的に、いわば、「健常」であり、病気ではありません。
いわば、病態です。
他の精神病のような、器質的障害と違います。
苦悩されている方は病気に間違いないと自信たっぷりですが、風邪などの身体の病気(客観的にわかる)ではない、主観的な障害です。


さて、大事なことは、
「治す」ために、
「目の前に進む」( という宇佐療法)を、治す手段方法として、持ちうる限りは治らないんです。
「自分」を認め、相手取って、「自分」を治す手段方法で取り扱おうとしているから、つまり、治そうとしているからです。
これは見た目、「外向き」でも、「内向き」作業になります。
この虚構の中の「内向き作業」「自分対自分の作業」「心の用事」の時が、神経症の時です。


「治す」目的でなく、
ただ、
必要あれば、
必要だから、やるということです。



>始めかけは、「よし、目の前に進まなくちゃ」と、意識してしまうことが多いです。(私が専業主婦で、一日の時間の多くが、自分の自由に使えるから…というのがあります。)


はじめは、それでも、よいから、とりあえず、「目の前」してください。


「よし、目の前に進まなくちゃと、意識してしまうことが多いです」というように、
意識の内容に関わらないようにしてほしい方便として、
あえて、「目の前」「外向き」といっています。
(実は、、「目の前」「外向き」もないんですが・・わかりやすく)



>自己観察、自己概念化は、何かをやりながらでも、ハッと気がつくと、してしまっています。それも、何かをやりながら、そのまま…ということでしょうか?


そうですね。

少し、詳しく言いますと、
意識は、
「何かをやりながら」というのでなく、
気がついた時・その瞬時は、何かやってることを離れ、気がついた方に行っています。
同時に二つに向かないんです。


自己観察、自己概念化してしまったら、したで、結構です。
それを後追いしないことです。
ただ、
(その時やってる)何かをやってください。


「前進(そのまま)」と療法の説明があるんですが、
実際には、そういう説明忘れて、何かをやっているだけで結構。
何かをやってらっしゃる時、おのずと、「そのまま」ですから。


そして、
「何かをやりながら、そのまま…」というより、
何かをやるだけ。
「そのまま」かどうか、「自分」の状態をチェックしないことです。
「自己観察、自己概念化しない」とは、
「自分」の状態をチェックしないでくださいということです。
「自分」の状態をチェックしないことを「そのまま」と表現したんです。

つまり、
実際には、
「目の前」に(の必要に応じて、はたらきのまま)動かされてください。


繰り返しますと、
何かをやりながら、「そのまま」とわからないで結構です。
「自分」の状態がわからないことが「そのまま」ですから。
「自分」の状態がどうなろうと無責任で結構、
ただ、
「目の前」。


余計な理屈いらんのですね。
理屈から離れていただくよう理屈しております。
詳しい解説は、しばしば、かえって、不親切になります。
わかった・わからないに関係なく眼前の実生活が大事です。
よろしくお願いします。


合掌低頭 不識
2013.09.29 10:21
rurumik
ご返答をありがとうございました。
「目の前」に(の必要に応じて、はたらきのまま)動かされて・・・行くようにします。
自分のことはもう見たくないです。でも、自己観察してしまったら…後追いせず、ただ、その時やってる何かをやる…。

いつもありがとうございます。

2013.09.29 21:10
rurumik 様へ
ありがとうございました。

合掌低頭 不識
2013.09.30 20:21
ただいま
>実際は、
音がすれば、聞こうとせんでも、音が聞こえるように、すでに、、「目の前」に進もうとせんでも、「目の前」に関わっておる、そのはたらきのまま、動かされ、生活する。・・・仕事する。勉強する。家事する。畑仕事する。料理する。トイレする。入浴する。食事する。

あらためて、言われんでも、皆さんやってらっしゃるとおり。
自動的に、
結果として、
心御留守になって、自己観察しない・自己概念化しないことになるんです


>>この、音を聞こうとせんでも、音が聞こえる。
   そのはたらきのまま、動かされ、生活する。

rurumikさんへのコメントに
「自分」の状態をチェックしない」
とあります。
が、自分を見ておりますと(これも自分の状態のチェックですね)
なにか、常に、自分の状態をチェックばかりしているようです。

その、自分の状態をチェックばかりしていること、とき
と、聞こうとせんでも、音は聞こえる。
聞こうと、しないのに、聞こえる・・・ここのはたらき

これと、チェックしている私。

はたらきに、動かされ、生活する。

チェックする 私。

外の音をチェックすることは、よろしい。不識さん

私の状態、状態=心

私の心のチェックをする。わたし。

聞こうとせんでも、聞こえる音。消化しようとおもわんでも、消化する胃。

はたらき。はたらきに 動かされ

それは、すべての はたらき

今、目の前のこと、つぎつぎ 変化していく はたらき

動かされるのは、私ではなく、

私と、思っている、私の心を含めた

すべて〜のこと。

自分の状態をチェックしようと する  内向き

テレビを見ている・・・        外向き

はたらいて いるのかな〜  と思わんでも

はたらいている  はたらき

その、はたらきに に 動かされ・・ 動かされていることも わからないで

わからん まんま 外向き

ふっと 自分の状態のチェック が はじまる。

の、まんま、外向き
   

2013.10.07 21:14
ただいま 様へ
>その、自分の状態をチェックばかりしていること、とき
と、聞こうとせんでも、音は聞こえる。
聞こうと、しないのに、聞こえる・・・ここのはたらき
これと、チェックしている私。


音は聞こえる時は、その音だけなんです。
チェックしている私の時は、チェックしている私だけなんです。


聞こうとせんでも、聞こえる音だけが、そのようにあって、「チェックしている私」が「死んで」るんです。
『万法に証される』ということです。
もともと、「(これが)チェックしている私だ」の「私」は、なかったんだということです。
「音も私もない」んです。
その「ない」という認識も失せるんです。


このように、言葉を並べられると、難しく聞こえるんですが、何のことはない、普段のことなんですね。



>その、はたらきに に 動かされ・・ 動かされていることも わからないで
>わからん まんま 外向き
>ふっと 自分の状態のチェック が はじまる。
>の、まんま、外向き


上記のような、
自分の説明(概念化)が、消えた時、
「外向き」という言葉が消えた時、
外向きなのです。(繰り返しますが、「内」も「外」もないのですが)


ご承知のように、上記はそのように実行された結果としてよかったということです。


よろしくお願いします。

合掌低頭、不識
2013.10.13 13:39
サボテン
私は、概念化するのではなく、常に自己に何が起きているのかに気づくことを、「自己観察」と呼んでおり、全く意味が逆になってしまっていますね。
だからどうだという事ではないのですが、私は私でこれを広めていっているので、混乱する人もいるかもしれませんが、その時はよろしくお願いいたします。
2014.05.17 12:01
サボテン様へ
>自己に何が起きているのかに・・・

そもそも、「何が起きているか」という「自己」を常なる不変の対象として認めることが、「間違い」であるということが趣旨です。

>気づくこと

「気づき」は「気づき」のまま。
この療法では、後生大事に残さない。

「気づき」という「分かること」は事実そのものではないのです。
それよりも
「わからなさ」(=「わかる・わからない」でない)です。

>私は私でこれを広めていっているので、混乱する人もいるかもしれませんが、

宇佐療法としては、「間違い」です。
宇佐療法以外では、それは一般的な事ですから混乱しないでしょう。

>その時はよろしくお願いいたします。

おっしゃっていることが、よくわかりません。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2014.05.18 16:35

Post comment

  • comment
  • secret
  • 管理者にだけ表示を許可する

Trackback

trackbackURL:http://miroku18.blog.fc2.com/tb.php/8-9e7e4953

最新記事

最新コメント

カテゴリ

カレンダー

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

リンク

月別アーカイブ

最新トラックバック

検索フォーム

RSSリンクの表示

QRコード

QR

カウンター