「心」(心意識)が目的ではない

今日までに銀行でお金を振り込む目的がある時、現金を振り込む「手続き」さえなされればその目的は、済むのです。
「集中している、集中していない」・「やる気がない、やる気がある」・「不安だ、安心だ」というような、「心」(心意識)の状態に関わりがないのです。
必要な「行動」が実行されれば十分です。
そもそも、「心」(心意識)の状態を「問題」にしてどうこうしようとしても、その「心」(心意識)を「相手」にできないのです。
「眼」が「眼」を見ることができないように。
合掌低頭




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.05 2015 他の療法との違い comment55 trackback0

Comment

ただいま
不識さん

なんか、こんな言い方をすると、言葉が多すぎると思いますが・・・

人は二つの生き方があるんじゃないかと最近思うのです。

一つは、自分が経験して来たことで培った自分の物差しで

これは良い、これはダメ、ああすれば、こうしよう、と思い、

それのみが「自分」すべてとなって、朝から晩まで物差し使って生きているこ

と。(もちろん、実際の生活を過ごす為には必要ですが)

もう一つは、その物差しとは別の世界で、皆が平等であること。

井上哲玄老師が、「扇子を、パーンと叩いたら、聞こえる音は同じですよ」

と言われた世界での生き方と思うのです。

どちらを選択するかは自分の自由ですが、自分の物差しで生きる世界は「辛い」

と相場が決まっているのです。

「どう生きるか」ここを自分が選択して、「パーン」と鳴った音が、赤ちゃん

も、青年も、大人も、男も、女も、皆が「パーン」と聞こえる(聞ける)

世界に生きることに、諦めることなのです。

こんなこと 思いました。


2015.04.10 17:11
ただいま様へ
>皆が「パーン」と聞こえるに生きる

そうでありながら、「実際の生活を過ごす為には必要」な「物差し」を「道具」として使うこともできます。

>こんなこと 思いました。

どんな素晴らしい「思い」は、それはそれでよいのですが、
「このもの」を「私」として、その「思い」で取り扱って、行くようになると「問題」になることでしょう。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2015.04.12 19:17
-
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2015.04.20 19:21
ただいま
不識さん

自分のことを、自分の思いを、自分が説明することは「自分対自分」になりま

す。

相手がどのような人か考えるのは、生きる上で必要なことです。

が、自分がどんな人間か考えても、何もありません。

これが「内向き」です。

が、概念として、思い、それは自分のことを思おうとする、あるいは、過去のこ

とを思いだす。それは湧いて来ます。

湧くものもは、それはそれで事実です。ですからそれは、そのままです。

相手のことを考えて腹の立つこともあります。

しかし、これは「自分対自分」ではありません。

腹が立つ自分をつかまえて「どうしてこんなに腹が立つのか」とやると

「自分対自分」となります。

腹が立つ時は、立つ。

悲しい時は、悲しい。

嬉しい時は、嬉しい。



2015.04.22 08:48
ただいま様へ
>概念として、思い、それは自分のことを思おうとする、あるいは、過去のことを思いだす。

「自分」のことを思おうとするのは、「自分」を認めている時です。

>相手のことを考えて腹の立つこともあります。

相手のことを考えて腹の立つのは、「相手」(「自分」)を認めている時です。


これでは、注意が「内向き」です。

何度も申し上げるように、
「今日、コーヒー飲んだ。」で十分です。
「見た事・した事」など「外向き」のこと以外不要です。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識

2015.04.26 19:04
ただいま
不識さん

書けば

久しぶりにゴルフの打ち放しにいった。

夜は串カツを食べた

ですが

自分としては

球をを打っている

串カツを味わっている

です。

の折りに湧いてはきます

それはそれです

まず やってみることです

やっていることを やってみること です

「でも」「どうして」「この心が」

湧いてはきます

不可思議 と 言います

理屈でなく

今を たんたん と 生きる
2015.04.30 05:58
ただいま様へ
>ですが自分としては球を打っている。串カツを味わっているです。

「自分」がするのではありません。

>やっていることを やってみること です、、、

「やってみる」でなく、「やる」だけです。
「やる」だけの時、「やる」はありません。

>理屈でなく 今を たんたん と 生きる

「今をたんたんと生きる」という説明は、いりません。
「久しぶりにゴルフの打ち放しにいった。夜は串カツを食べた」だけで、十分です。

「今」と仮に呼ばれる瞬時には、「今」「たんたん」「生きる」がありません。

合掌低頭、不識

2015.05.03 17:25
明子
とらわれているのかわかりませんが、空白のときが多いです。

なにかしようとして、していていろいろ思ううちに空白になります。

しばらくして戻ってきますが、ぼーとしていたと思います。

思うにあれこれ迷い易いのですが、決めれなくてそこから空白です。

あれこれ迷い易い症状を持っているので...


対人面では、あまり人と付き合えませんが、少し話ができるようになった人が最近、話さなくなって、全く話ができません。

事実であると思えば心は流れますが、まだその人が浮かびます。

自分から今度は挨拶しようだけ反省しました。書いているうちに少し楽になりました。
2015.05.06 01:38
明子
申し訳ありません。

ただいまさんの下になりました。

独立して投稿するのはどうしたらいいでしょうか?
2015.05.06 01:41
明子
次々書きます。

対人ですが、人と上手く付き合えません。

少しずつ人ともいられるようになりました。

でも恐ろしい感情が沸いてきます。

恐ろしいままにいることが苦痛で、適当に話ます。

心の奥底で認められたい感情があることが分かってきました。

なにか軽く扱われているとき、素直にあしらいたいけどできない。

もっと心を出せたらと思います。

恐ろしいままにいることも辛い。

自分を守る為に話ているようです。

当然、話に入っていたのに心が会話から離れてよく思われたいが出てきます。

恐ろしいままにいることが怖い。

話から離れ自分になることがいけないと思います。でもなかなかできない。

これもそのままにと思ってきましたが、同じことの繰り返しです。
2015.05.06 08:18
明子
先日、不問に巡り合ってこれこそが正しい方向に気づきましたが、具体的にはこれからです。上記、思い切り心に向き合っていてすみません。

2015.05.09 00:15
ただいま
不識さん

今夜は名古屋まで来て、井上住職と食事をしました。
2015.05.09 22:15
明子様へ
気づいてらっしゃるとおり、「注意」が「内向き」です。
努力するところは「外」です。


>空白のときが多いです。

「心に良し悪しなし」。
「外」の事だけ注意。

>あれこれ迷い易い症状を持っているので...

「あれこれ迷い易い症状を持っている自分だ」というように、「言葉」で、「このもの(この身心)」を限定し、くくらないようにしてください。
事実から離れた考えの中で、「葛藤」する「相手」ができるので、「葛藤」する準備ができます。
「神経症的苦悩」の内実は「葛藤」です。


>対人面では、あまり人と付き合えませんが、少し話ができるようになった人が最近、話さなくなって、全く話ができません。

話さなくなったのだから、全く話ができないというその時の事実だから、それだけです。
それに「○」・「☓」つけると「問題」になるのです。


>事実であると思えば心は流れますが、

「心」が流れようがどうしようが、いちいち観察して評価しないことです。

観察するなら「外」のことです。
ごみが落ちていたら、そういう「状況」に動かされて、拾ってください。


>まだその人が浮かびます。

浮かんだ時は、「相手」にしなければ、消えていきます。
「心に用事なし」。
「外」の事だけ注意。


>自分から今度は挨拶しようだけ反省しました。

そうです。「自分」を相手に反省しないことです。
反省は、「外向き」の「行動」についてだけです。

>少し楽になりました。

「心」(意識)が目的でないのです。



コメントさせてもらいましたが、それだけでは何の役にも立ちません。
「その時、その場」の「状況」に、もよおされて、実際に行われることが大事です。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2015.05.10 06:53
明子様へ(5.06 08:18)
十分ご承知と存じますが、「こうなりたい自分」を目標にすると、「そうでない自分」と「こうしようと命令する自分」の葛藤になり苦しむのです。
「こうなりたい自分」を目標にすることは「内向き」の作業です。
「内向き」の作業をやるから、自ら、苦しめることを知ってください。

ですから、
「その時その場」の、「必要」な事をするだけです。


>恐ろしい感情が沸いてきます。

恐ろしい時は、恐ろしい感情が沸いてきます。「仏性」です。

>恐ろしいままにいることが苦痛で、適当に話ます。

「苦痛」のまま、「その時その場」の、「必要」な事だけ話せばよいです。

>なにか軽く扱われているとき、素直にあしらいたいけどできない。

「素直にあしらいたいけどできない。」まま、「その時その場」の、「必要」な事をするだけです。

>もっと心を出せたらと思います。

「その時その場」の、「必要」な事をすることが、「心」を出すことです。

>恐ろしいままにいることが怖い。

怖い時は怖いが、「本当」。
怖がりになって、「その時その場」の、「必要」な事をするだけです。


繰り返しますと、・・・
コメントしましたが、それだけでは何の役にも立ちません。
むしろ邪魔になるだけです。
大事なことは、
「その時、その場」の「状況」に、もよおされて、動かされ、実際に行われることです。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2015.05.10 06:57
明子様へ(5.09 00:15 )
>具体的にはこれからです。

そういうことは考える必要がありません。
「この時この場」のことだけで十分。

>上記、思い切り心に向き合っていてすみません。

「心に向き合っている」つもりになってらっしゃるだけ。
「本当」は、「心」に向き合えません。
向き合おうとした時、それはもう過ぎ去っておるのです。

合掌低頭、不識
2015.05.10 07:02
ただいま様へ(5.09 22:15)
そうですか。わかりました。
合掌低頭、不識
2015.05.10 07:07
明子
症状を持っている自分だ、対人の私だを離れることですね。

ありがとうございます。涙が出てきます。

私は何者でもない。


苦しいときは、「外」を観察、「促されて」「行動(見ているだけでもいい)」


楽であろうが苦であるろうが、その時の心のまま、

でも苦のままであるとそのままいることがなかなか苦しい。浸ってしまう。

そんな時は、外を観る、感じがキャッチできなければ(苦しみに覆われて)どうしたらいいのでしょう?

苦痛のままに必要なことを話す。なかなかですし、次の実際は分かりませんが、覚えておきます。


その時の必要なことをすることが心を出すこと
とても感動しました。ありがとうございます。


ブログの中にある、ある僧侶の話より 月別アーカイブ2014.11

状況に応じた行動ができていれば問題ない、では状況に応じていなければ(囚われていれば)そのときはそれで過ごし、経験を積み重ねるでしょうか?


初一念がニ念に覆われていてはっきりしないことがあります。

当然行動も曖昧です。



多くの気づきをありがとうございます。




2015.05.11 20:41
明子
ただいまさんの とても貴重な内容で私も考えさせてくれますか?


>相手のことを考えて腹の立つこともあります。

相手のことを考えて腹の立つのは、「相手」(「自分」)を認めている時です。


相手に腹が立つ 湧き上がった感情

考える時、相手を認め感情に向き合っている。

感情がありながら、置いときながら、目の前に向く




2015.05.12 08:23
ただいま
今日はイタリアンを食べに行きました。
ワインを飲んで、少し良い気持ちです。
店をかえて、日本酒を飲んでいます。
2015.05.12 21:11
明子様へ(5.11 20:41 )
>症状を持っている自分だ、対人の私だを離れることですね。


離そうとしないことです。
「心」に用事なし。
「外」向きに用事する時、おのずと、離れています。(本人知らずに。わからずに。)


>私は何者でもない。

そうです。
「私は何者でもない」とも考えることも不要です。


>苦のままであるとそのままいることがなかなか苦しい。

「そのままいること」に努力するから苦しいのです。
「そのままいよう」としないことです。
「心」に用事なし。

「外」向きに用事する時、おのずと、「そのまま」しています。(本人知らずに。わからずに。)


>どうしたらいいのでしょう?

「(私について)どうしたらいいのでしょう?」時は、「自分」相手に「心」相手に用事しようとしている時です。
「心」に用事なし。

「外」向きに用事する時、おのずと、「解決」しています。(本人知らずに。わからずに。)


>では状況に応じていなければ(囚われていれば)そのときはそれで過ごし、経験を積み重ねるでしょうか?

状況に応じていない時、(囚われている時)は、「今」の、この「身心」にありません。
ただ、事実から離れた、「考え」の中で「囚われている」という「考え」があるのです。


>経験を積み重ねるでしょうか?

「経験を積み重ねる」には「土台」がいるでしょう。
「経験を積み重ねる」べき「土台」になるのは「これが私」という考えの上の「私」です。
「私」という名の看板のようなもので、実体はありません。
生まれた時には、「私」という「言葉」「概念」を知りませんから、「私」などと思わないのです。
ところが、ものごこころつくと、社会生活上、名前を呼ばれているうちに、このものを「私」と思い込むようになるのです。
その虚構の「私」を中心にして行じていってはいけません。
これは大事なことです。
ほとんどの「行法」が「私」を中心にしていっています。
これでは、熱心にやればやるほど、「逆方向」に進むだけ。

ただ、「その時その場」の「必要」に、もよおされて・動かされていくようにおればいいです。


>初一念がニ念に覆われていてはっきりしないことがあります。

はっきりしない時は、「はっきりしないという形」で、はっきりしているのです。
はっきりしない時は、はっきりしないまま、
「テーマ」を「心」に置かないで、
「外」向きに用事する時、おのずと、「はっきり」しています。(本人知らずに。わからずに。)


>当然行動も曖昧です。

「四方八方」注意して行動してください。


>多くの気づきをありがとうございます。

「気づき」を大事に残さないように、くらましてください。
「心」に用事なし。


ここで得たことを道しるべ的な理論として、先に掲げて、「自分」を引っ張っていくようなことをしないでください。
「自分」中心の行になります。
繰り返しますが、
コメントお忘れになって、「その時その場」で「必要」に動かされる実際です。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2015.05.19 04:40
明子様へ(5.12 8:23 )
>相手に腹が立つ 湧き上がった感情考える時、相手を認め感情に向き合っている。

「相手を認める」ということは、「相手」を実体視している(変化しない固定的なものと見ている)ということですね。
つまり、事実から離れた、「考え」の中で、変化して、これだと決められないものを、固定的にとらえているのです。
「感情」も同様ですね。
常に流れる「感情」を「概念」に置き換えて、その「言葉」で置き換えられた「概念」を「本体」と勘違いして、(本人は、)向き合っているつもりなんです。
実際は、「本体」は流れて、その時には通り過ぎていっているのです。

つまり、「言葉」で置き換えられた「概念」を相手して、「考え」の中で、熱心に、(無駄な、しかも苦をもたらす)努力していたんです。

>感情がありながら、置いときながら、目の前に向く

そうですね、もう少し、補足させてください。

「ある」ように思えるのですが、上記のように、それ自体は、すでに、過ぎ去っています。
「ある」ように思えるのは、「言葉」で置き換えられた「概念」です。それは、「言葉」で置き換えられた「概念」を事実そのものと勘違いするからです。勘違いする時、問題にもなるでしょう。

「置いときながら」という「心の用事」なしです。
ですから、
ただ、「目の前に向く」だけでいいです。
「目の前」に動かされるまま。

それが、おのずと、「あるがまま」です。(本人、知らずに。わからずに。)

いろいろ、くどくど、コメントさせていただいたのですが、…
何も学習すること・おぼえることは、ありません。
何も、「教え」などなく、ただ、「生活」です。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2015.05.19 04:49
ただいま様へ
>良い気持ちです。

「気持ち」は不問でお願いします。

「自分」の説明がなく、
「外」向きの「はたらき」だけでしたら、「外」がすべてとなり、「外」がなくなる(「内」もなくなる)。
よくおわかりでしょう。
「認識」以前の、あるがまま事実の世界に、もともと「外」「内」ともにありません。

普段「私」がやっていると思い込んでいたとしたら、
やっている「私」以前に、「私」関係なく、おのずと、活動しているじゃないかと気づく時があります。


よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2015.05.19 04:57
-
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2015.05.19 09:07
ただいま
不識さん

以前、不識さんから頂いた言葉です。


1.
考えが先ではない。
考えだけが先行するのは、・・・
考え=事実と勘違いしている証拠です。

事実がいつも先にあるんです。考え(知性)は、後付けです。



2.
事実より先に
「眼前」、「時の最前線」という考えをもってこない。
「自分」を立ち上げて、それに考えでもって取り扱うことのないようにお願いします。

「明日までに暗記しないといけない」という状況に、
ただ、動かされるだけ。
そこに、実況中継は要らない。

事実に、動かされ、作業・作用そのものになる。
その瞬時、「眼前」、「時の最前線」は消滅するんです。
なぜか?
「眼前」、「時の最前線」と同化しているからです。

もともと、六根の「はたらき」のまま、「はたらき」そのものにあるんですが、
それに気づかないのは、「これが自分」が介在するからです。

そのまま、六根の「はたらき」のまま、「はたらき」そのものする、実行する。
そして、「自分」と関係なく、、無自性に、、「はたらき」が作用しているだけなんだと実感する時が来ます。

事実に、動かされてください。



承知しました。

ただいま
2015.05.21 10:39
明子
感情

考えるときすでに通りすぎている


でも、感情は山折に沈んでいくもの

感情が下りつつあっても消えてはいません。

すでに通りすぎていると思うこともありますが、自分にとっての波が大きい時は、まだまだ波うっているように思います。
2015.05.23 21:23
ただいま様へ
よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2015.05.25 19:08
明子様へ
>でも、感情は山折に沈んでいくもの

森田療法のいわゆる「感情の法則」は忘れてください。
それをきっかけに「内向き」になっては「不問」になりません。


>感情が下りつつあっても消えてはいません。

一瞬一瞬、感情が出ては消えているんです。
次々に同様の感情が出ているだけ。
明子さんが「相手」になさっているのは、感情それ本体でなく、「概念」に置き換えられたものです。
いずれにせよ、
それをきっかけに「内向き」になっては「不問」になりません。


>まだまだ波うっているように思います。

そのように、「思い」=ナマの事実として扱うから迷うのです。
「観念」とナマの事実は別である事を森田先生は「思想の矛盾」という説明されたんです。
いずれにせよ、
「内向き」になっては「不問」になりません。
「…ように思います」という思いのまま、生活。


「外向き生活」が「不問」の実際です。


よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2015.05.25 19:17
明子
感情の発生する現場は、すでに過ぎ去っていますね。

後で自分で再現しているのですね。

分かりました。

あるように思いながら過ごすですね。
2015.05.28 20:44
明子
>「神経症」的「苦しみ」は「言葉」なくして成立しないからです。

心に残りました。


2015.05.28 20:57
明子様へ(5.28 20:44)
>あるように思いながら過ごすですね。

「心」は、ほったらかし。
ただ、
「外向き生活」だけ。

何も、「教え」はありません。
「不問」をも、考え、「自分」に注文したら、それも余計です。
ただ、
「外向き生活」の実際だけです。

簡単でしょう。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識


2015.06.01 00:44
明子様へ(5.28 20:57 )
>心に残りました。

それはよかったです。

ご承知かもしれませんが、ご注意申しあげることがあります。

ここは、森田理論学習の場ではないことを再確認してください。
森田理論学習の会のように、分かったことを積み重ねていかないようにお願いします。
もし、そうすると何十年もかかる方がいらっしゃる事をご存じでしょう。
しかも、寛解することがあっても、全治することはありません。

大事な事…、
「分かったこと」から離れて、
ただ、「必要」に動かされ、もよおされて、生活です。

「分かったこと」抜きの実行だけ。
簡単ですね。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2015.06.01 00:48
明子
>分かったことを積み重ねていかないようにお願いします。

何もかも過ぎ去っていっているように思います。

今日、休みで朝気分が悪かったのですが、昼から家事をしんどいながらしました。

でも、今は全て過ぎ去ってしまってここに書いています。

以前は、一日のことが思い出されながら過ごしてたのですが、忘れる(忘れたように思う)ことが多いです。

でも調子のいい日だけで、不調な日や不安があると浮かんでいます。

何があっても今なんですね。

これさえも置いてまた過ごす。自分がない。
2015.06.01 20:20
明子
>分かったことを積み重ねていかないようにお願いします。
もし、そうすると何十年もかかる方がいらっしゃる事をご存じでしょう。
、寛解することがあっても、全治することはありません。


先ほどの投稿、言葉を追いかけて書いてしまいました....。


積み重ねるとは、概念化していってるからでしょうか?
2015.06.01 23:29
明子
「心」は、ほったらかし。
ただ、
「外向き生活」だけ。


理論は、わかるのですが、実際は難しいです。

先日も休日で不安に煽られ、なにかしようと家事を始めたのですが、しばらくして止まり何もできなくなりました。

テレビでもみようかと思っても、上の空、趣味もない、結局一日ぼんやりしてしまいました。

仕事なら否応無しにいつの間にか現実の中で密着して?入られるのですが、休日一人ではなかなかです。
2015.06.02 09:22
明子様へ(6.01 20:20)
>何もかも過ぎ去っていっているように思います。
そうです。認識できるということは過ぎているからできるのです。
>今日、休みで朝気分が悪かったのですが、昼から家事をしんどいながらしました。

けっこうです。
「しんどい」「しんどくない」というように「心の状態」を概念化しないことです。
「不問」ですから。

つまり、
「心」に用事なし。
「家事」が用事。

>でも、今は全て過ぎ去ってしまってここに書いています。

(見た事・した事など)「外向き」の行動については、書いてけっこうです。

>以前は、一日のことが思い出されながら過ごしてたのですが、忘れる(忘れたように思う)ことが多いです。

「忘れた事」も忘れてください。
つまり、
「外向き」の行動だけ。

>でも調子のいい日だけで、不調な日や不安があると浮かんでいます。

「生活」、浮かんだまま。

>何があっても今なんですね。

「考え」の上で、便宜上、「今」と呼んでいるだけ。
「今」ということも忘れて、
ただ「外向き」です。

>自分がない。

そういうことも忘れて、
ただ「外向き」です。

「理論」「教え」「わかったこと」「気づき」から、離れて、
ただ、実行のみです。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2015.06.08 00:41
明子様へ(6.01 23:29)
>積み重ねるとは、概念化していってるからでしょうか?

そのような「理解」で結構です。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2015.06.08 00:43
明子様へ(6.02 09:22)
>先日も休日で不安に煽られ、なにかしようと家事を始めたのですが、しばらくして止まり何もできなくなりました。
>仕事なら否応無しにいつの間にか現実の中で密着して?入られるのですが、休日一人ではなかなかです。

このように、「自分」を観察して「説明」しないことです。
「説明」と「実際」は別物です。

換言すれば、「内向き」しないことです。
「不問」とは、
「外向きの活動」です。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2015.06.08 00:45
明子
>自分がない。

そういうことも忘れて、
ただ「外向き」です。

「理論」「教え」「わかったこと」「気づき」から、離れて、
ただ、実行のみです。

換言すれば、「内向き」しないことです。
「不問」とは、
「外向きの活動」です。


自分の中の推し量ってが全てなくなることもあるのかもと思います。

でもそうなれば、(不安)をおいたまま過ごすことは、恐ろしいです。

不安の時は不安は消せないから不安をもったままでいい、でも「全て外」を思うとき不安もおいたまま(ほっといたまま居れるときは、ほっとく)が、怖いような、これが学習なのかとも思います。

無防備なような、これが自分、を離れるようなと思いながら、また生活します。

2015.06.08 19:28
明子
追伸

思いながら過ごすではなく、生活します。

2015.06.08 19:34
明子
>不安の時は不安は消せないから不安をもったままでいい


何度もすみません。

書いたあと不安を自分の中に持っていることに気づきました。

でも実際は、持つとか持たないとか考えることなく、浮かんだまま生活しています。
2015.06.08 22:17
明子様へ(6.08 19:28)
>(不安)をおいたまま過ごすことは、恐ろしいです。

恐ろしいまま生活。
本当の怖がりになってください。

>不安の時は不安は消せないから不安をもったままでいい、

不安の時(不安と認識する時)は、その本体は過ぎ去っているのです。「へだて」があるから、認識できるのです。

「不安は消せない」という「考え」があるだけです。
その「考え」を実際と勘違いしてらっしゃるんです。


>でも「全て外」を思うとき不安もおいたまま(ほっといたまま居れるときは、ほっとく)が、怖いような、

「全て外」を思う時、「不安」はありません。
同時に二つに意識は向きませんので。

>これが学習なのかとも思います。

「心」について、あらたに、学習する(付け加える)ことはありません。
そうでなく、「余計な作業」をそぎ落とすほうです。
もし、理論学習会の延長のつもりでしたら、明子さんにとって面白くありません。

>無防備なような、これが自分、を離れるようなと思いながら、また生活します。

「これが自分」というのは単なる「考え」です。
防備する「中心、核、司令塔」のようなものはありません。
ですから、防備する必要がないのです。
ただ、生活。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2015.06.15 18:36
明子様へ(6.08 19:34 )
>思いながら過ごすではなく、生活します。

そうです。ただ生活。
(「自分」について以外に思う事、仕事について家事についてなど「外向き」の事は、かまいません)

よろしくお願いします。合掌低頭、不識
2015.06.15 18:40
明子様へ(6.08 22:17 )
>浮かんだまま生活しています。

そうです。

よろしくお願いします。合掌低頭、不識
2015.06.15 18:43
明子様へ(6.02 09:22) その2
前回、書き忘れました。
大事なところです。

>理論は、わかるのですが、実際は難しいです。

「実際は難しい」とおっしゃるのは、実際ではありませんよ。
ここ大事です。
「実際は難しい」は、実際について語っておられるけれど、「考え」です。
換言すれば、「難しい」というのは、あなたの「意味付け」です。

実際自体は、「難しい」「簡単」という「意味付け」がされる前の「状態」を言うんです。

よろしいでしょうか。
ここが、繰り返し申し上げている、「実際」とそれについての「説明」とは別ものです。
その時の明子さんは、「考え」「理論」を実際と同等にとらえてしまったことを知ってください。
繰り返しですが、「理論」と「実際」は別ものです。
以前申した、森田先生が「思想の矛盾」という表現で言いたいところです。

つまり、繰り返しですが、
明子さんが、その時、「実際」として見ていたものは、実際そのものでなく、「その時の明子さんの意味付け」を見ていたのです。
大事なところです。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2015.06.15 18:49
明子
本当の怖がりになってください。

ありがとうございます。

今まで心を押し殺してきたので、感じていいんだと思うとほっとします。

涙が出ます....


>「全て外」を思う時、「不安」はありません。

つい構えてしまって...

ほっとしました。

>「心」について、あらたに、学習する(付け加える)ことはありません。
そうでなく、「余計な作業」をそぎ落とすほうです。
もし、理論学習会の延長のつもりでしたら、明子さんにとって面白くありません。

心を削ぎ落とす。

何度もですが、ホッとします。

学習会の延長だと、次々学びがあると思ってしまいますね。

ある意味、今までしゃかりきになってそれはそれで良かったのですが、確かにこれも学習しなければになってくると苦しいときもありました。

でも何故か今はこちらに来てとても心地いいです。

学習会が何故か違和感を感じます。


シンプルがいいです。


>明子さんが、その時、「実際」として見ていたものは、実際そのものでなく、「その時の明子さんの意味付け」を見ていたのです。

心を見ていたのですね。

心で判断するから、難しいになるととても億劫なのかな?

何故意味付けをするのでしょう?

過去に苦手だったこと、自分の苦手を知っているから結びつけるのでしょうか?

好きなことには、向けるのに、よほど嫌でなくてもとても億劫に感じます。

そして難しいとか思ってしまします。


やれば楽しいもあるのに、終われば終わる。

また外に向きやり始めれば、乗ってくるのに終われば終わる。

エンジンかけながら、過ごしています。



2015.06.17 00:10
明子
この場をお借りしまして、私は地方ですが、関西に行こうと思えば行けます。

年1~2回くらいなら...

不問をもっと知りたい、

宇佐先生の講演や三聖会関係の催しなど参加させていただけないでしょうか?

もしも可能なら、情報いただければ幸いです。

2015.06.17 00:25
明子
>何故意味付けをするのでしょう?

ふと思ったことを書きましたが、そんなものだと思ってました。

スルーしてください。

後で訂正になり申し訳ありません。



>よほど嫌でなくてもとても億劫に感じます。
>エンジンかけながら、過ごしています。

少し補足します。
生活は、時間とともに流れてしています。

仕事から帰ったあと暫く休んだあと、家事をすることが億劫です。
休日も疲れてもないのに、なかなか手をつけられないことが多く、ぼんやりしてしまいます。

これも自分を観察、説明かもしれませんが、常なのできになります。

これも外向きを展開していけば、いつか解消されてくるということでしょうか?
2015.06.17 05:57
明子様へ(6.17 00:10 )
>好きなことには、向けるのに、よほど嫌でなくてもとても億劫に感じます。そして難しいとか思ってしまします。

何を思ってもかまいません。
「心」に良し悪しなし。

>やれば楽しいもあるのに、終われば終わる。また外に向きやり始めれば、乗ってくるのに終われば終わる。

事実そのものは、「楽しい・苦しい」「簡単・難しい」という「意味付け」以前の、ただそれだけの事ということがわかるでしょう。

>エンジンかけながら、過ごしています。

「自分」が「自分」に注文しないことです。
ただ、「必要」に動かされる。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識

2015.06.22 00:02
明子様へ(6.17 00:25)
>不問をもっと知りたい

(精神療法の研究でしたらよいですが・・・)
(「神経症」の解決でしたら)そういう作業が余分です。

「不問」は知るべきものでなく、実際に行うものです。
繰り返しですが、「不問」=「外向き」生活

そして、「外向き」生活に徹したら、「外向き生活」・「不問」も忘れ去るのです。

>三省会

http://ykm12jp.wix.com/sanseikai
参照してください。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2015.06.22 00:04
明子様へ(6.17 05:57)
>とても億劫に感じます。

「億劫に感じます」という「自分」を観察・説明は不要。
「不問」の逆をやってらっしゃるんですよ。
よろしいですか。

>これも自分を観察、説明かもしれませんが、常なのできになります。

おっしゃるとおり、「常なので」という「自分」を観察・説明は不要。


>外向きを展開していけば、いつか解消されてくるということでしょうか?

「億劫」という、「概念化された心」がテーマになっていますよ、そういう「自分」「心」を目的にしないことです。
あるいは、「億劫でなくできる自分」になろうとしないことです。

「億劫」の時は「億劫」のまま、するしかありません。
「目的」は「心」ではありません、「心に用事なし」。
「目的」はその時の「家事」です。

ついでですが、
「私」がやってるんだと思い込んでいると、「私」が「私」に命令することになり、「反発・葛藤」が生じ、動きにくくなるのです。
「私がやってるんだ」以前に、「私」に関係なく、たとえば、心臓は、「縁」によって、動いてるでしょう。

ただ、
「必要」に、もよおされ、「はたらき」にまかせるのです。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識

2015.06.22 00:15
明子
「不問」は知るべきものでなく、実際に行うものです。
繰り返しですが、「不問」=「外向き」生活

そして、「外向き」生活に徹したら、「外向き生活」・「不問」も忘れ去るのです。


ありがとうございます。何もかも忘れるくらいになりたいです。



>三省会

ホームページ見ました。ここの皆さんも会員でしょうか?

いつかお会いしたいです。

皆さん、投稿願います。

参考になるお話を聞きたいです。



またホームページの

「わからずに居る」が良かったです。

以前、ビデオをみてこの言葉は何も感じませんでしたが、今は、何も考えなくていいと思うとほっとします。

つい、いろいろ考えてしまうので、考えなくていいんだと思うと心地いいです。

私も少しずつ変わっているのですね。




「目的」は「心」ではありません、「心に用事なし」。
「目的」はその時の「家事」です。

「私がやってるんだ」以前に、「私」に関係なく、たとえば、心臓は、「縁」によって、動いてるでしょう。

ただ、
「必要」に、もよおされ、「はたらき」にまかせるのです。


ありがとうございます。
2015.06.26 19:40
明子
>「不問」は知るべきものでなく、実際に行うものです。
繰り返しですが、「不問」=「外向き」生活

そして、「外向き」生活に徹したら、「外向き生活」・「不問」も忘れ去るのです。


ありがとうございます。


>三省会

ブログ見ました。良かったです。

またいつか会に参加できればいいなあと思っています。


「わからずに居る」という言葉もよかったです。

いろいろ考えてしまうのですが、なにかほっとします。

考えなくていいんだ...

もうなにも考えたくない、ただ、その時の現実に生きるのみと思います。

以前、ビデオで見たときは何も思いませんでしたが、今は心に響きます。



>「私がやってるんだ」以前に、「私」に関係なく、たとえば、心臓は、「縁」によって、動いてるでしょう。

>ただ、
「必要」に、もよおされ、「はたらき」にまかせるのです。


対人の場面で、その働きにまかす....

少しできました。

構えているように思いますが...



ほかの皆さんもまた投稿願います。

いろいろなお話が参考になったり、勉強になります。

2015.06.26 20:00
明子
二重投稿になりすみません。
2015.06.26 20:01
明子様へ(6.17 05:57)
>何もかも忘れるくらいになりたいです。

「何もかも忘れるくらいの自分」になろうとする「自分」目的にならないようにしたいです。
ただ、
「外向き」生活の実行。


>参考になるお話を聞きたいです。

治そうとして、そうなさると、治りません。
「参考になるお話」を「自分」に応用することで、「自分」対「自分」の工夫が始まるからです。

>ほっとします。…心地いいです。

結果としてそうならけっこうですが、
そういう心の状態を求めては面白くないです。
「心」に用事なし。

>私も少しずつ変わっているのですね。

よろしいですか。
「不問」とおっしゃってましたね、再確認お願いします。

「私」を認め、観察しない。

「私」目的ではなく、
「生活」目的です。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2015.06.29 00:13
明子様へ(6.26 20:00)
>考えなくていいんだ...

このように、「自分」を決めない。

>もうなにも考えたくない、ただ、その時の現実に生きるのみと思います。

「外向き」生活に必要の時、「考えという道具」を「外向き」に使うことはかまわないです。

>対人の場面で、その働きにまかす....少しできました。

けっこうです。

よろしくお願いします。
合掌低頭、不識
2015.06.29 00:16

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