「強迫観念」

「消そう」「気持ち晴らそう」「気持ち切り替えよう」が「結果として」やめばいいのです。
「苦しみ」は「消そう」「気持ち晴らそう」「気持ち切り替えよう」から生じるのです。
「消そう」「気持ち晴らそう」「気持ち切り替えよう」をやめようとすると同じことになりますのでご注意ください。
知らずに、結果的に、「心の用事」がやめばいいのです。
その「時」その「場」の「生活上必要」することするだけです。
「頭から離れない」まま、「スッキリしない」まま、「割り切れない」まま。
できそうにありませんか?
もしそうなら、「できそうにありません」という「思い」のまま、捨てようとしない一体のまま、
その「時」その「場」の「生活上必要なこと」するのです。
「やる気」あるないに関わらず、「有名作家」のように一行も「書く気」がない時でも
とりあえず、「机」に向かう、「ペン」を取る、それだけでもいいです。
書いてる「瞬間」(結果として、後で気つけばですが)「強迫観念」は出ても気づきません。
「注意」は「同時」に「二つ」に向かないからです。
「強迫観念」あり=「悪い」その他の観念=「良い」に設定し、「悪い」排除「良い」残そうと、
コントロールできない「心」をコントロールしようとするので「問題」になるのです。
なぜ「そのまま」かと言うと、「そのまま」とは、「良し悪し」つけないからです。
「生活上必要」あれば、とりあえず、「道具」を持つのです。
合掌低頭、不識







.10 2017 あるがまま・如如 comment7 trackback0

「ありあわせ」

「心意識」を概念化して、それ(「実際でない概念」)を相手に「良し悪し」をつけ「悪いところ」を「病気」と確信して削除しようと知的努力したことが「神経症」の始まりです。
どれほど「確信」されても、すでに「健常」であり、本来器質的な「病気」ではありませんので
「今の心の様子」の「他」に求めるものはありません。
「神経症」だ「全治」だと仮にそう呼んでいるだけで「実体」はありません。
実際にこの「身心」は迷っていないのですが、「考え」の中だけ「治る」「治らない」があり、
「考え(内容)」と「事実」を混同なさるので「考えの世界」で右往左往しているだけです。
「今の状態」の他に「理想的な自分像」「特別な心境」を求めれば求めるほど「脱線」します。
「不安」の時は「不安」という「全治」です。
「怖い」という時は「怖い」という「全治」です。
「はっきりしない」時は「はっきりしない」という「全治」です。
ですので、「今の心の様子」がどんなであれ「今の心の様子」以外求めない。
「今の心の様子」のまま・「生活上必要なこと」がなされるのです。
合掌低頭






.03 2017 あるがまま・如如 comment0 trackback0

「カンフー(工夫)」-2

前回の続きです。どういうことかと言いますと、「自分」を「相手」にすることが止んだんです。その時その場の活動時、「自分対自分の虚構の戦い」はあるまま「作用」しないのです。
「工夫」は、「工夫」を忘れて「実行」することです。
「三聖病院」があった頃、「食事の時間」には「直日さんの木版」が鳴って知らされたと記憶しています。「ある日」、「食堂」に「修養生」さんほとんどが「席」に着いたにもかかわらず、
ただ一人「入り口」で立ち止まって動かない方がおられました。後で分かったことですが、
「自分対自分」の「葛藤の極致」だったようで、「身動き」できなくなったのです。
「自分対自分」の時は「自分対自分」のまま。「自分対自分」を「相手」にせず邪魔にせず。
(「相手にせず邪魔にせず」をしようとするのではありません)
ただ、「前進」(即、結果、そのまま)。「指一本」でも「動けるところ動かす」。
「どんな状態」もそのままぶっつけ「生活」。
そのように分かったら、「分かった」を忘れて「状況」にうながされ「実行」です。
合掌低頭






.09 2017 あるがまま・如如 comment0 trackback0

「事実唯真」-4

「どうして治らないんだろうか」
「これだけ外向き生活してるのに治らないじゃないか」
にひとつにありきる時、そのまま「外向き」生活する時、
「治そうとする自分」が知らずになくなってしまうのです。
「ある」と思っていた「治すべき対象」もなかったのです。
「神経症のカルテ」上「全治」と仮に呼ばれるものははじめから何もなかったのです。
「観念素材のロープ」で「自縄自縛」していただけだったのです。
それはそれとして・・・、
ただ、
「生活上必要な実行」だけです。
合掌低頭







.25 2017 あるがまま・如如 comment0 trackback0

「事実唯真」-3

「どうしたらいいんでしょうか」が続くうちは、「自分」対「自分」の無駄な「努力」になります。
「こちら」から「自分」を用いて手をつけようとする「手段」「方法」が尽きれば、
「観念内容が実際であると錯覚する世界」に「脱線」せず、
知らずにピタッと事実にあるのです。
合掌低頭







.11 2017 あるがまま・如如 comment2 trackback0
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