「心の用事なし」-3

「心」に「論理」を持ち込む「知的やりくり」がやむ時、おのずと、直り(元通り)ます。
「部屋」の「掃除」は結構ですが、「心」についてはどんな「状態」であろうと「掃除」しない。
たとえ、「ゴミ屋敷」のようで、「蜘蛛の巣」だらけのようであろうとも、「掃除」しない。
そのまま「ただ」「(自分以)外」の「掃除する、作業する、仕事する、家事」するだけです。
繰り返しですが「心の用事なし」とあえて言うんですが、これでかえって、「心」に関わって(「用事」しないようにしようという「形」で)「用事」されないようにお願いします。
「心に用事したか・用事しなかったか」を問うてるんではないのです。
「心に用事なし」・「あるがまま」・「不問」・「純な心」・「事実唯真」・「努力即幸福」・・・
すべて「同様」です。
つまり、「状況」「生活上の必要」による(「外向き」の)「用事」・「生活活動」の実際です。
合掌低頭






.23 2017 他の療法との違い comment0 trackback0

「心の用事なし」-2

「森田理論」の「症状はあるがままに受け入れてなすべきをなす」ですが、
「症状はあるがままに受け入れて」というところが「心の用事」になるのです。
「心」のことは、一切、「何」もしようとしないで「よい」のです。
「結果」として「そのまま」になるのです。
「結果として」の「結果」とは、「いきなりぶっつけ本番の外向きの生活活動の結果」です。
「結果」と言っても詳しくは、「外向きの生活活動」即「そのまま」です。
「心」に何かしようとしたことに気づいたら、手をつけず放って「外向きの生活活動」。
ですから、「安心」して「生活上の必要」にもよおされるのです。
合掌低頭






.16 2017 他の療法との違い comment0 trackback0

「事実唯真」-5

「宇佐療法」は、「心意識」に手を出さないでいただく唯一の「精神療法」です。
ただ、「生活上必要なこと」してください(「事実」に手を出してください)といわれるのです。
そんなんで「精神療法」といえるのか、「親の小言」だかなんだかわからないじゃないかと
思われるかもしれない。
これだけ「苦しい」んだから何かもっと「手立て」があるはずだろうと思われます。
それだけでは、「単純」すぎて「当たり前」すぎて、「納得」されず「実行」されない。
そこで仕方なく、「法則」めいた「療法用語」・「禅の話」などを持ち出させていただいて、
「入院生活環境」で「理屈を持ちだす余地」がないほど、いきなりのぶっつけ本番「作業」に
「忙殺される膳立て」ですが、ほんとは「余計」です。
「生活上必要なことする」と分かったら、
「分かったこと」は忘れて、
「生活上必要なことする」のです。
「全治」して「全治」も忘れたら、同時に「宇佐療法」も「事実唯真」も忘れていただくのです。
合掌低頭







.02 2017 他の療法との違い comment0 trackback0

「心の用事なし」

落ち着かない時は落ち着かないまま。
いらついた時はいらついたまま。
緊張した時は緊張したまま。
退屈な時は退屈なまま。
安心の時は安心のまま。
不安な時は不安のまま。
「全治」と呼ばれる状態です。
「心の用事なし」とは、「心意識」に「注意」を向けさせる「説明概念」ではなく、
それ以外の「事実生活」(注目・注聞・注香・注触・注考)していただく「治療概念」です。
ところが、「治療概念」を「自分・心」に用いることは「全治」を妨げます。
ここで「分かったこと」すべて忘れて何も持たず、
いきなりぶっつけの「事実生活」。
合掌低頭






.18 2017 他の療法との違い comment0 trackback0

「絶学」-2

「もとになるもの」を認めた上で多くの「治療」が行われています。
「自分」を認めその「自分」を振りかえらない、観察しない、評価しない、注文しない。
合掌低頭







.04 2017 他の療法との違い comment0 trackback0
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