「心に用事なし」-8

以前、多忙な三聖病院診察室に、間隙を縫って製薬会社の営業マンが来た時の話です。
「不安でお困りの時には、この新薬が問題を解決します。」と、彼が意気揚揚に言うと、
「不安の時は不安で、何も困っておりません。」と、間髪入れず、先生は返答されました。
思いもよらぬ言葉に、営業マンは意気消沈して間もなく退室して行きました。

「不安」を感じて、悩む方が多いのですが、
「不安」を感じたからといって「病気」扱いする事は「間違い」です。  
「不安」の時は「不安」を感じて「正常」です。
「心に良し悪し」なし。
「不安」を「安心」に変えようとするから、「問題」になるのです。
「不安」の時は「不安」のまま。
それは、「生活上の必要」にもよおされる時に、「知らずに」「気づかずに」現成します。
合掌低頭






.19 2017 他の療法との違い comment0 trackback0

「事実唯真」-6

「悲しいから泣くのでなく、泣くから悲しいのである。」(ジェームス・ランゲ説)とは、
「事実が認知より先」ということです。
「森田理論学習」では、「認知を修正するから治る」というようですが「間違い」です。
治るから分かるのです。分かるから治るのではありません。
「答」を出さず、いきなり、ぶっつけで、「生活の必要」上、動かされるのです。
合掌低頭






.12 2017 他の療法との違い comment0 trackback0

「心に用事なし」-7

「心意識」は測り知れない変化をして、「意識」に上るのは、ほんのわずかと言います。
1刹那(1秒の75分の1と言われる単位)に500回も変化しているという「話」もあります。
計り知れない「因」と「縁」でいろいろな「心の状態」が展開されるのです。
「私」が動かしていると思いこんでいる「心」は「私」以前に動いているのです。
「心に良し悪しなし」ですから、「責任」もない。「用事」もない。
「私」に用事するから、「迷い」が成り立つのです。
「生活上の用事に動かされる」だけ。
「生活上の用事してますが苦しい」としたら、「生活上の用事」を治す「手段」とするからです。
それは、「心」を相手して「用事」しているのです。
「生活上の用事に動かされる私」はありません。
単に、「生活上の用事」に動かされるのです。
合掌低頭




.05 2017 他の療法との違い comment0 trackback0

「強迫観念」-2

「強迫観念」が離れないで困るという「訴え」がありますが、「強迫観念」も「仏性」です。
「実体」がないので、非合理な「心意識」に合理的「知性」を持ちこんで、つかめないものを
つかんだつもりになることは「脱線」です。
「強迫観念」は、「因」と「縁」により現われ消えていってるので、実は、留めて置きようがないのです。それを「言葉」に置き換え「情報」として保存しその情報化された「内容」を「実物」として錯覚し「良し悪し」つけて「悪しきもの」として排除することで「問題化」します。
止めようとするから止まらない。
つまり、「考え」の中で「実際でない虚構」を相手して、「苦悩」されているんです。
ですので、「今の心の様子」がどのようであれ「今の心の様子」以外求めない。
単に、「生活上必要」があれば、もよおされ、「その時その場」の「生活」がなされるのです。
合掌低頭







.22 2017 他の療法との違い comment0 trackback0

「習学」には非ず

多くが、実体のない「自分」中心で、「自分」「心意識」を「主題」にして「習学・修練」します。
「観念」上の「理想的な自分」「理想的な心意識」の「あり様」に向けて「努力」することで、「非合理領域」に「知性」を用いても奏効しないだけでなく、二つに分けられ「迷苦」します。
そのように続く限り、どこまでいっても「主観的虚構」内の「自分」対「自分」に終始します。
「主題」は「自分」「心意識」ではありません。
「生活上の行動・活動」という実際だけです。
合掌低頭







.24 2017 他の療法との違い comment8 trackback0
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