「庭前の柏樹子」

「学習」「訓練」を段階的に積み重ねて、「観念上の目的地に至る」のでなく、
言わば、「一気に奪い取られる」。
単に、「生活」にもよされるのです。
合掌低頭







.22 2018 他の療法との違い comment0 trackback0

「主題の喪失」

「思い」もよらない、「おみやげ」のようなものです。
「その時その場」の「事実生活」という「行ない」によって現成し、
「その場その時」の「事実生活」という「すがた」によって証されるのです。
もともと、「問われる主題」ともに「主題を問うもの」もなかったと気づかされるのです。
気づいたら、「気づいたこと」もお忘れになって、
単に、「生活上の必要」にもよされるのです。
合掌低頭







.15 2018 他の療法との違い comment0 trackback0

「とらわれ」

「神経症」は「精神の病気」ではありません。
実質、「とらわれ」に過ぎません。
「とらわれたら、どんどん進みなさい。」は、そのとおりです。
「玄雄先生の実体験からの言葉」です。
単に、「生活」上急がれることに動かされていくのです。
合掌低頭







.25 2018 他の療法との違い comment0 trackback0

「隻手の音聲」

清流に手を入れると白濁するという白隠禅師の例えを先生は親切と言われた如く、
「神経症という現状公案」もそのまま、
「生活上の必要」にもよおされるのです。
合掌低頭






.07 2018 他の療法との違い comment1 trackback0

「概念化の矛盾」

「苦悩」は、「概念」=事実そのものと錯覚することより起こります。
「治った・治らない自分」と概念化し「心の用事」が始まる以前、
「生活上の必要」にもよおされるのです。
合掌低頭






.31 2017 他の療法との違い comment0 trackback0
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